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一般人の日記、n=1の記録

超名人でも成功者でもないし
インフルエンサー的な人もでもない。
ビジネスもファッションも料理もインテリアも、なんのセンスもないし
共有できる知見もない。
役に立てる何かを持っていない。
そもそも誰かのロールモデルになんてなれないし、なりたいわけじゃない
夢や目標を聞かれると怖くなる 怯えてしまう。

ただ、わたしは、今日が楽しかったなと思ってお布団に入れればそれでいいのだけどそれって意外と難しい。
「何者か」になりたいわけではなかく、
わたしは、わたしの人生を愛して暮らしていきたい。
病めるときも 健やかなるときも
富めるときも 貧しきときも。

一般人のわたしにも、今日という日がちゃんとあったんだということを残すために
今日という日の出来事とその裏にある逡巡にピンを立てるために
日記を書くことにします。
人には、それぞれ、みんな異なる背景がある。
アウトプットは同じに見えても、全員が違う。似ていても違う。
わたしが日記で残していくのはそのn=1の背景です。
たぶん、この日記に書くことから想像するわたしと
社会に表出しているわたしでは、印象がずいぶん違うんじゃないか。どうだろう。

案外、他人の表出している暮らしの奥で巡らされている思考って
わからないものだから
ルソーだって、自分を誤解されることに憤って『告白』という自伝を書いたんですよね。「わたしの敵どもによって歪曲されていないわたしの性格の唯一の確実な記録」として。

自分とおなじ人間仲間に、ひとりの人間をその自然のままの真実において見せてやりたい。そして、その人間というのは、わたしである。

ジャン・ジャック・ルソー(著), 桑原武夫 (翻訳),2015,『告白』上, グーテンベルク21,p.3


たくさんの人に読んでもらうには(”面白いこと”が書けない場合は)役に立つことを書きましょうというのがセオリーなのかもしれないけど
インターネットには役に立つことしか書いてはいけないわけじゃない。
汎用的な学びのないn=1の暮らしと思考の垂れ流しに「役立ち」はない。
役に立たないものを書いたっていいじゃない!と自分を奮い立たせています。
(だから、いいねや、コメントなどもらえると、本当に嬉しいです、ありがとうございます)
その中から「役に立つ」部分をなんとか捻り出すとして……
人の生活にはそれぞれ背景があるのだ、という記録が残せたら
100年後の人が、100年前の一般人の日常を分析する資料として使うかもしれない……


日記を書き続けると何かにいいらしいので
書き続けることで、その何かについても確かめてみようと思っています。


仕事のことでちょっと具体的で公開しづらいなということや、
これは意見がさまざまあるテーマだから不用意に炎上したくないな…
ということが出てきたら、気持ち程度有料にするかもしれません。
(ちなみに、こんな無名人の誰も読まない日記がそもそも炎上なんてするわけないだろ、という気持ちももちろんあって、そのくせ炎上リスクなんて気にしてるんかい〜って気持ちが戦っている)

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