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「もしもの時は延命処置をされるのか、ご家族の方とよくお話ください。」

あぁ、またこの言葉をかけられてしまった。
お昼ごろまで普通の様子だった母親が、胸が痛いと言い出し、晩御飯もあまり食べずにもう寝ると布団に入った。
1時間後、様子を見に行ったら、痙攣を起こしていて体を触ったら熱くてたまらない。
体温計の数字がグングン上がり、41度を越えた。
救急車を呼び、母親に声をかけつづけた。
夜の救急病院は、嫌な記憶を思いださせる。
待ち時間は、家族や職場の人に連絡して、ただひたすら時を待つ。

2時間くらい経過したころ、呼ばれて中に入った。
どこからか鳴っているピーピーとした心拍数、血圧の機械音。
急いでいる看護師さん。
酸素マスクを付けられている母親の横で、説明を聞いた。
肺炎らしい。
突然の肺炎は高齢者にはよくあるらしい。
89歳なんだから高齢者で当たり前だ。
とりあえずは、炎症を抑える処置をしてくれるらしいけれど酸素が非常に少ないらしい。
このまま入院をして経過観察をしていくと。

その時に言われた言葉だった。

初めて言われたのは父親のときだった。
父親は62歳の時にくも膜下出血になり、左半身が不自由になり18年の闘病生活の中、心筋梗塞、大動脈粉瘤、など数々の合併症の中で手術を行い、その都度、この言葉を投げかけられた。

2回目は義理の母の時。
義理の母は、自分の息子が(私の主人)身体が弱い事を、いつも心配していたので、私の事も気遣ってくれていた。
ある意味、同志の様な関係だった。
亡くなる前の数年間は認知症を患い、徘徊や暴言を繰り返していた。
そんな中、入院先で食べ物を喉に詰まらせ脳死状態になった。
その時にも言われた言葉だった。
1ヶ月ほど、そのままの状態で家族全員で決断するのにとても時間がかかった。  

3回目は主人の時。
その時のことは、あまり覚えていない。
いや、鮮明に覚えているけれどあまり思い出したくない。

3人とも延命処置をしてもらった。
でも3人とも亡くなってしまった。

今回は、姉と2人で相談だ。
私は、もう延命処置はやめよう、寿命に任せようと言った。姉は、何も答えなかった。

幸い、母親は今のところ順調に回復をしている。
食事も出されて、口から食事や水分も取れるようになってひとまず安心だ。

仕事場の人のおばあちゃんは、肺炎になって、そのまま亡くなったらしい。
80歳で、主治医の先生に来てもらったけれど、そのまま何もすることなく老衰だと言われたそうだ。

もしかしたら、私の母も、あのまま気付かずに朝をむかえていたらどうなっていたのかわからない。

先進医療がすぐそこにあるからこそ助かる命もあるけれど、家族は選択に悩まされる。

どちらがいいとかの話ではなく。

この言葉を聞くたびに
私が自分に問うのだ。

どんな最後を迎えるのか?
どこの場所で?
どんな思いで?

後悔なく過ごそう
周りの人を大事にしよう
生きている意味を考えていこう
社会に貢献しよう
未来の子供たちに何ができるのだろう

いろいろな言葉や意味があるけれど
全部、本当のことで。
自分にしっかりと浸透させる。
大きなことを考えすぎると、何もできない気がするから、まずは私から。

私は私を生き尽くす。

そんな思いの1つの衝動として
noteをはじめました。











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