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「時の流れに身をまかせ」の歌詞が熱い。
昨日、瓦割りカワラナの営業を終えて外に出たら、「♪一度の人生それさえ捨てることもかまわない~」と聞こえてきた。お向かいの24会館のカラオケで歌われていた曲。
あれ、これって何の歌だっけか。すぐには曲名が出て来なかった。土砂降りの夕立が過ぎて少しだけ涼しくなってきた夕暮れにすごいハマっている気がした。自分でも口ずさみながら、曲名を検索してみる。
あー、「時の流れに身をまかせ」だったか。道理でいい曲だ。
もしも あなたと逢えずにいたら
わたしは何を してたでしょうか
平凡だけど 誰かを愛し
普通の暮らし してたでしょうか
時の流れに 身をまかせ
あなたの色に 染められ
一度の人生それさえ
捨てることもかまわない
だから お願い そばに置いてね
いまは あなたしか 愛せない
もしも あなたに嫌われたなら
明日(あした)という日 失くしてしまうわ
約束なんか いらないけれど
想い出だけじゃ 生きてゆけない
時の流れに 身をまかせ
あなたの胸に より添い
綺麗になれたそれだけで
いのちさえもいらないわ
だから お願い そばに置いてね
いまは あなたしか 見えないの
時の流れに 身をまかせ
あなたの色に 染められ
一度の人生それさえ
捨てることもかまわない
だから お願い そばに置いてね
いまは あなたしか 愛せない
時の流れに 身をまかせ
あなたの色に 染められ
一度の人生それさえ
捨てることもかまわない
だから お願い そばに置いてね
いまは あなたしか 愛せない
昭和的世界観。
昭和的な歌詞なので、もしかしたらあまり好きでない人もいるかもしれない。こういう女性像を描くということが令和には合わない気もする。スタンスとして何か大きなことをしようとかではなくて、ただ近くにいたいという、それだけの気持ち。
目下、コロナウィルスの広がりによって(それに加えて政府対応が拍車をかけて)今まで築き上げてきた多くのものが解体されていっている。今後さらに解体と分断とが続いていくと予想されるので、少し不安にも感じる。
コロナ以前の日本では、「自分らしさ」を如何に探し求めるかと躍起になっている風潮が感じられた。没個性していた時代から個の時代へのシフト。
それが今後はそんなこと言っていられなくて、「どうやって生きていくか」というプリミティブな生命にフォーカスされるようにいくんじゃないかと予想している。「自分らしさ」探しって高尚なもので、生きていくために必ずしも必要ではなかったじゃないかって気もする。
ちゃんと生きていく。一緒にいたい人と一緒にいる。
そういう当たり前に大事なことをそれぞれがやっていけたら、人生それでいいのではないか。コロナ対応の喧騒が終わった後で、いろんなものに傷ついた僕らが改めてベーシックを見直すタイミング。
スペシャルな存在になろうと大事なものもかなぐり捨ててゴリゴリ進むよりも、平凡でも厭わない、自分のサイズに合わせた生活でも満たされることを知る。そういうスタイルを提示してくれている気がした。
もしくはそういうスタイルを志向している自分がこの曲を通して浮かびあがってきた。ナンバーワンとかオンリーワンとか、そういう人から見られる自分とか他人と比較した自分を目指すのではなくて、流れに沿いながら生きていくという美学。ステキだ。
「あなた」は何にでも読み変えることができる。
加えて、この曲の歌詞における「あなた」はパートナーシップだけではなくて、他のものも代入できる。女性から見た恋愛の歌だけではない。
「子供たち」でも、「仕事」でも、「会社」でも、「世界」でも、
どんなものでも自分が選択をしたものであれば言葉を入れ替えて読むことができる。「あなた」を恋愛ごとだけで見てしまうのは勿体ない。
個人的には、「この時代」と読み替えてみたら深い気がした。
時の流れに 身をまかせ
「この時代」の色に 染められ
一度の人生それさえ
捨てることもかまわない
だから お願い そばに置いてね
いまは 「この時代」しか 愛せない
もちろん、文章として成立しにくいところも発生はするけれど、この歌詞の広がりを思わせてくれる気がする。
この時代の色に染まった僕らは、時の流れに身を任せながら歩んでいく。一度の人生を無駄にすることも構わない。だから、このままこの時代にいさせて欲しい。今はこの時代しか愛せない。
どう読み替えてみても、ステキな歌詞になる気がする。
・・・
昭和的歌謡曲は名曲ぞろいなので、是非この機会に一度聞き直してみるのはオススメ。しんみりくる。
楽しく暮らすためのサジェスト
「時の流れに身をまかせてみる」