「ロマンティックあげるよ」の歌詞が熱い。
おもむろだけれど、「ロマンティックあげるよ」の歌詞が熱い、ということに気がついた。まだ少年時代でしっぽのある悟空が活躍する頃の「ドラゴンボール」のエンディングテーマ。
「ロマンティックあげるよ」
おいでファンタジー 好きさミステリー
君の若さ 隠さないで
不思議したくて 冒険したくて
誰もみんな ウズウズしてる
大人のフリして あきらめちゃ
奇跡の謎など 解けないよ
もっとワイルドに
もっとたくましく 生きてごらん
ロマンティックあげるよ
ロマンティックあげるよ
ホントの勇気 みせてくれたら
ロマンティックあげるよ
ロマンティックあげるよ
トキメク胸に キラキラ光った
夢をあげるよ
いつかワンダフル きっとビューティフル
人のジャングル 迷いこんで
スリルしたくて 幸せしたくて
何故かみんな ソワソワしてる
思ったとおりに 叫ばなきゃ
願いは空まで 届かない
もっとセクシーに もっと美しく
生きてごらん
ロマンティックあげるよ
ロマンティックあげるよ
ホントの涙 見せてくれたら
ロマンティックあげるよ
ロマンティックあげるよ
淋しい心 やさしく包んで
愛をあげるよ
ロマンティックあげるよ
ロマンティックあげるよ
ホントの勇気 みせてくれたら
ロマンティックあげるよ
ロマンティックあげるよ
トキメク胸に キラキラ光った
夢をあげるよ
冒険することが美徳だった
この頃の「やりたいこと」の描き方はすごく自由で、むしろ挑戦することが美徳とされていた。世界にはまだまだ不思議が多くて、それらを見付けにいく冒険がある。
ドラゴンボールやドラゴンクエストの世界観だ。
頑張って自分のレベルを上げる。仲間を見付ける。強大な敵を打ち倒す。
つかの間の休息。そうしているうちに次の敵が現れる。
ヒーローズジャーニー的でもある。
しかしながら現在の状況は変わってきてしまったのかもしれない。
データやロジックや効率が全盛の時代に突入してから、ドラゴンの倒し方が分析され、そこに面白みがなくなってきてしまったのかもしれない。
もしくは、ドラゴンを倒せる人と倒せない人を明確に区分するようになってしまったかもしれない。
もしくは、意外とドラゴンを倒しても自分の投下した労力や時間に対してコスパ悪いなと考えるようになってしまったのかもしれない。
いずれの理由にしても(もしくはその複合的なものだとしても)、
「ドラゴンを倒しに行くアドベンチャーはやらない」という方向にシフトしていっている感覚がある。
「ロマンティックあげるよ」の視点
この歌詞を書いている人の視点がすごい。
「不思議したい」「冒険したい」「奇跡の謎を解きたい」といったものにトライすればロマンティックになれるという強烈な前提で歌詞を紡いでいる。
もうそれ以外に方法なんて言わんばかりに。
なんだかその信念に近いその感覚に自分は打たれている。
コスパ感覚よりも信念が大事だってことを届けてくれるから「この曲をいいなー」って思うのだろうと。
「もっとワイルドにたくましく生きてくれればロマンティックになれる。
本当の勇気を見せてくれれば、絶対にロマンティックになれる。だから、それを信じて進んでいこう」
開拓時代。フロンティアスピリット。前例を気にしない。
月を見て巨大猿化することもその表現として捉えられるかもしれない。(もちろん理性を失って破壊を繰り返すことを是とはしないけれど)
……昨年生まれた双子の娘たちの子守歌で口ずさめる曲は自分がカラオケで歌っていた曲や子供の頃のアニメの曲が多い。
そのうちの1つで「ロマンティックあげるよ」の歌詞がとんでもなくいいことを言ってるなーと思ったので、この感覚と歌詞を共有できればと思った次第。
楽しく暮らすためのサジェスト
「本当の勇気を見せてみる」