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プライドって重荷でしかなくない?って話

プライド、この言葉が嫌いなのである。
結局のところそれだけの事なのだ。ほんとに、
なんでこんなこともできないのか、自分ならもっとできるはずだ、こんなこと聞くのなんて恥ずかしい。自分に過剰に期待し、その期待に応えられない自分に過剰に絶望する。自分が恥をかきたくなくて、見栄を張り、嘘をつく。なんで見栄なんてものがあるのか。大体誰に対して見栄を張るのか。そんなことを考えるが、大概結論は出ないのだ。いや、なんとなく結論は見えているのだが、その答えに納得ができなくて先送りにしているだけなのだ。
結局のところ、自分が見栄をはる相手は自分なんだ。

ちょっと調べてみると、自分に自信がないから。コンプレックスがあるからなんて出てくる。確かにその通りだ。誰も自分の弱い姿なんて認めたくないし、見たくもない。当然のことだ。誰だって自尊心はあるのだから。結局のところ自信が持てない自分を覆い隠したくて見栄を貼ってしまうのかもしれない。
でもそれだけなのだろうか?ああなりたい、こうなりたい、自分にとって少し高い目標を設定し、そこへ向かう自分を奮い立たせる一種の自己暗示的なものもあるのではないか?なんて思う。この手の見栄は積極的に使った方が自分を高められるので良いと思うが、あまり実力と解離した目標設定をしない方がいい気もする。では目標はどうやって設定したらいいのか。そんなもんはググれ。僕よりよっぽど詳しい人がいるしここで解説始めたら話がこじれる。

見栄を張ってしまう根本はもしかしたらただの考えすぎなのかもしれない。自分を知りたくて、他人と比べる。比べると悪いところばかり見えてしまう。だから少しでも自分をよく見せたいと思って。でももしかしたら悪いと思っているところはそんなに悪くないのかも、自分には悪く見えるだけで。なんでもできる人なんていない。自分にできて他人にできないこともきっとある。わからないことを素直に聞けるようになれたらきっといつか見栄を張る必要がなくなる日がくるのかもしれない。
それでもプライドって言葉は好きにはなれなそうだけど。

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