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自らの死に備えるべきか?

事件や事故、あるいは急病など自分自身が予期していなかった事象で命を落とすリスクというものについて、昨今の無差別刺傷事件や車のブレーキとアクセルの踏み間違いに起因する事故のような情報を耳にすると、自らが突然命を落とすことに対して備えが必要なように思う。

もちろん結婚したりしている場合には生命保険を掛けていたりと金銭面での対策は多くの人が行っていると思うけれど、それ以外。
例えば自分のSNSアカウントや私用のパソコンのハードディスクデータ、スマホのデータ等についても必要だと思うし、何よりも自分にとっ大切な人等に対して、どうケアを行うのか、なんてことを考えた。

ひとつの方法として、宇宙飛行士のような極限環境に赴く人たちが行う方法があると思う。ひとつには事前に遺書を残すものがあり、シンプルではありながら自分自身が自らの死についてしっかり向き合うという意味では十分な効果があると思う。この方法であれば自分が何か伝えるべきと思う人や存在に対して、自分の死後に第三者の意思によって言葉が届けられ、別れというものを乗り越える助けになるのかなと思う。

他の方法として、親しい人たちに対して、日ごろからこの手の話をしておくことも効果があるのかもしれない。遺書のような文面で伝えるよりももっと確実に相手に伝えられるからだ。人によっては文面を用意するよりもはるかに難易度の低いものになると思う。とはいえ、親しい人たちと自らの死について語り合うというのは相当な信頼関係が必要なようにも思えるのでやはり簡単にはいかない。

まぁこの短い文章の中で答えを導くことはおそらく不可能だと思う。とはいえ、若いからという理由で死亡リスクが低いというわけではないと思う。
事故や病気、事件には様々な性質があり、年齢を重ねたからといってすべてのリスクが増大するわけではないはずだ。だから早いうちに自らが突然死んだ場合を想定したときのことを自分は考えたいと思う。自分自身が親しみを持っている数人に対してメッセージを用意することもやってみようと思うし、自分の趣味の道具や蔵書などの行く末についても考えてみたい。

まだ死ねないと思っているが、明日突然自分の人生が終わる可能性はゼロじゃないから。

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