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現在の地位を築き、これからを拓く“他より一歩前”の精神
※この記事は、2022年10月5日に取材した内容です。
今回インタビューした社長はこちら!
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■自動車メーカー各社に必要とされる技術力
1933年、「嶋田製作所」として創業しオリジナルのタッピング盤や切削機で事業を拡大してきた同社は、自動車メーカーに自社のナットが採用されたことを契機に大躍進を遂げた。
「当時、ボルト製造の企業は多くありましたが、当社はナットを専業にしていたこと。また一般的には1日2,000〜3,000個しか生産できなかった時代に、日本で初めて圧造機械を購入したことで10分間に3,000個作れるほどのマスプロダクション化を果たしていたこと。これらの要素が大手企業のニーズに適い採用に至ったのでしょう」と話す4代目社長の嶋田 氏。
現在は社是となっている創業者の口癖、“常に他より一歩前に進む”
二歩も三歩も前に行く必要はない、ほんの少しでいいという理念が、大いなる結果を生んだ。
日本のモータリゼーションの潮流を巧みに読んだフセラシは、今や日本の大手自動車メーカーのほとんどと取引している。
「たまたま群馬や九州に工場を作った後に、お客さんがその土地に来てくれたという幸運もあります」と言う嶋田 氏だが、これだけ多くのメーカーに重宝される理由はもちろんそれだけではない。
「メーカーから受け取った図面に基づいて作るのではなく、図面を描くところから参画するというアプローチをしています。できあがった図面を受け取るだけでは、できるかできないかの二択になってしまう。そうではなく、これならできる、こういう形ならどうかと提案することで、当社の技術を生かしながら顧客の要望を満たす、ソリューションプロバイダーのような役割を担いたいと思っています」
各メーカーに設計部の社員を出向させ、深く食い入る。
結果、メーカーの要望を満たすと同時に、「フセラシでなくては」と認識されるほどの独自の地位を築いてきた。
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嶋田 氏が現地で指揮を執って設立した初めての海外拠点。
■前例に答えを求めず、局面ごとに多様性をもって対応する
製品ラインナップのなかでも代表的な製品は自動車用鍛造パーツが挙げられるが、電動自動車用パーツの比率も上がってきているようだ。
時代の変化を捉え次世代ビークルにも対応しているところを見るとそちらに重心をシフトするかのように思えるが、しかし決して片方に的を絞っているわけではない。
嶋田 氏が旨とするのは、多様なニーズに対する多様性に富んだ製品の展開だ。
ここで嶋田 氏が入社してからの経歴を紐解きたい。
入社してすぐ群馬工場に転勤し、7年後には新設された三重工場に転勤。
その後、アメリカ工場を立ち上げるために3年予定で海外赴任したが、そのまま運営を任されて14年あまりアメリカにいることとなり、2006年に帰国。
2007年に社長就任したあとも、翌年はリーマンショックを経験し、さらにタイ工場を建てた直後には洪水に遭い、工場は無事だったものの顧客が被害を受けて経営的にダメージを被った。
「東日本大震災もそうですし、新型コロナウイルスもそう。100年に1度あるかないかというインシデントが5年・10年のタクトで起こりました。そのたびに積み木が崩れて、一からやり直す作業の連続でしたね。そうした経験から言えるのは、過去にこうやってきたからという例は通用しないということ。環境と時代の変化を捉え、同じように変化できたからこそ生き残ってこれたのだと思います。また新しいもの一辺倒に変わるのではなく、従来のかたちも残し、バランスをとることも大切です」
昨今意識が高まっているCSRやESG経営、SDGsに関してもいち早く取り組まれた嶋田 氏。
時代の機運や社会の意識の変化を捉え、企業としての生き残りだけでなく社会的役割も踏まえた経営は、ご自身の経験から身につけた柔軟で多角的な視点と、抜群のバランス感覚によるものなのだろう。
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■グローバル企業だからこそ、日本製にこだわる
フセラシでは社員全員に『海外駐在員心得』と題したクレドを手帳サイズの紙に記して配布している。
「国内・海外に7拠点ある当社では、様々な人種と文化、言語が入り混じる中で業務をしています。日本の企業だからかといって日本式を押し付けるのは、現地の文化や人に対するリスペクトに欠ける行為。私自身が海外駐在員の第一号でしたから、戒めとして考えていたことを心得としてまとめています」
拠点各地の風土や慣習、生活を尊重し、それぞれの土壌に適ったかたちで根を張る。
そのうえでフセラシの社員として全従業員の幸福を実現したいという想いが凝縮されたクレドだ。
グローバル企業として海外拠点ともシームレスかつフェアな関係性を築く一方、“日本製の品質”の差別化にも言及している。
「海外で作るものは、重量があるものやかさばるもの。日本は「この品質じゃないとだめ」と顧客が納得する製品に特化したい。日本で作っているという理由が信頼となるぐらいの技術力と競争力、そして自信がないといけません。あくまで東大阪をベースとした企業ですから、日本のものづくりをしっかりと残していくことが最も重要だと考えています」
日本の製品は、機能性や安全性においてはっきりと差別化できる立ち位置であるべき。
“他より一歩前”のマインドはフセラシにとってものづくりの原点であり、企業としてのアイデンティティでもあるようだ。
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同じフセラシグループの一員として公平であることなど、
グローバル企業としての在り方を説いた「海外駐在員心得」
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グローバルに展開している。
■MOBIO担当者 村井のコメント
紀元前には既に発明され、身の回りで必ず目にする“ねじ”。
創業当時には、ボルトよりも加工業者が少なかったナット製造をスタートされる等、“常に他より一歩前(さき)に進”んで来られた同社。
時代の波に紆余曲折しながらも独自のバランス感覚と、ものづくりの原点を忘れずにメイドジャパンにこだわった嶋田社長の熱いお話をうかがいました。
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