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早く車に轢かれそうな子供助けたい

ゴミの思考を書き殴る。
25年生きたら同じ悩みにそろそろ飽きましょう

[はじめに]
三年と少しやってた仕事を辞めてから三ヶ月が経つ。三ヶ月間は特に何もやっていないので振り返ることもない。仕事を辞めた理由は今年になって人の命に関わる仕事になり、ミスする前に辞めたくなったからである。それとその仕事に面白さを見出すことができなかったこと。このnoteには自分の日々思っていること(プライド、恥、自分ルール、呪縛、自己肯定または自己否定、)を全部書こうと思う。それで空白の三ヶ月を自分を振り返ったことにして意味あった期間にしたい。それから自分のような若い人間に「お前が思うようなことは誰しも思っている、自分が世の中の外れ値だと思い込むな」と伝えるために書く。

[辞める直前に思っていたこと]
辞める直前はバイトの募集を見て、朝6時から12時まで働いてやりたいことやる生活最高だろ。とか思ってた。でも仕事辞めると何にもやるきでないし、行動ができない。物語描いてみようとか音楽作りたいなとかあんなに思っていたのに不思議とやる気力がなくなる。一般人のクリエイターになりたいという気持ちはただの現実逃避であり、逃げたい現実がなくなった途端、役目を無くし、どこかへ消えてしまった。

[辞めてから]
ずっとYouTube観てる。たくさん時間を使えるようになり、接種できていない映画や本があるにも関わらずYouTubeばかり。『人の脳みそは常に見ているものを必要とする』とどこかで見たことあるけどそうなのかもしれない。youtubeを見て思うことは何かやりたい、こうはなりたくない、こういう人たちよりマシ、といったことぐらい。無職の現実逃避ほど空虚なものはない。働いてお金を稼ぐという人生においてやりたくはない労働をするための現実逃避は必要だ。しかし、無職を続けるための現実逃避はいらない。でも下を見つけて安心したくななる。25歳の貯金額を調べて、安心する。どこかにいる働いて貯金をしない人よりは下ではないと思っている。しかし実際は新米のころにする貯金なんて大した意味なく、スキルアップの方が大切なのである。だから貯金はあるがスキルや人脈、将来につながるものがない自分の方が下であることはわかっている。

[自惚れ]
無職になったがどこかで自分には才能があり、どうにかなると思っている。でもどうにもならないということもわかっている。常に自分の中には二つ以上の思考があり、「自分のやりたいこをやっていい」と言われても自由に社会の波は泳げない。社会不適合者という自認はあるが、社会が悪いと言い訳するし、社会不適合者という自認で凹んだりする。

[社会は俺に優しくない]
俺は繊細である。「猫が生まれたから飼わない?」という連絡はされた相手が飼わないという選択をした後、猫を買う時に罪悪感を覚えるだろうから悪どい行為だと感じているほどに。文字でやり取りする際にびっくりマークを一切信じていないし、スタンプを押す人は本当に今の気持ちと全く同じスタンプがあったのかと思うほどに。〇〇に似てるという行為がどれだけ暴力的な行為か理解してるし、お土産渡したら言われるありがとうが本当に感謝がわからないから怖くてお土産は絶対に渡さないほどに。社会は自分に嘘をついてる人ばかりで、それに耐えられる人ばかり。気をつかうことが気遣いだとは思わない。気を遣わせないことが気遣いだと早く全人類が気づいて欲しい。他人の片付けをあえてやらない。他人が喜ぶであろうからと言ってお菓子をあげられない。人がした当たり前のことにあえてお礼を言わないまるで感謝されたくてしているようだから。お皿に残った残りの一つはあえて食べる。気を遣わせない社会になって欲しい。気を遣って稼いだポイントを盾に人を使えない人間扱いするのはやめろ。それと一般論を盾に話すのはやめろ。社会はもっと俺のような考えすぎてしまって動けなくなってしまった人に優しくして欲しい。何かを発言することは何かを貶すことのように考えてしまった人間の末路ではある。大人なんだから自分のイスは自分で出せよ、大人なんだから自分の持ち物は自分で持てよ、大人なんだから自分で必要な書類は自分で用意しろよ。若者に空気読んでやらすな、ちゃんと上司からの命令であればこっちだって気持ちよくやる。へりくだることを気を遣えるっていうな。機嫌とりたくない。だから床屋も嫌いだし、無職だから行ったタイミーのシール貼りもミスが多い人とペアになったが、どっちがミスったかわからないようにして、声かけたくさんして気持ちよくやれるような空気を作ってしまった。気を遣わなくていいのが日雇いの一番のメリットと考えていたのに。人間と関わるのが嫌で仕事辞めてて、人間と関わらなくていい仕事見つけたと思ったのに結局気遣いかよと。なので一度しか行けてない。気を遣わせるなよ。

[憧れ]
まだ文章で食べていけるとか「オモシロ」で、食べていけるとか思ってる自分がいる。一度も文章書いたことないし、芸人として人前に出る度胸もないし、ネットで時間と労力をかけて何かを成そうとする熱意もない。こんなやつどうしようもない。ダウ90000の蓮見とかオモコロの恐山とか浅井りょうとかR指定とかスシボーイズとかスシラーメンリクとか雷獣とか加藤純一とかピーナッツくんとか葛葉とかラランドとか佐久間宣之とか雨穴とか終わった人とかスパイギアとかはんじょうとかK4senとか木下龍也とかサイカタヒとか梨とか大森時夫とかおませちゃんとかオードリーとか星野源とか満島真之介とか山田孝之とか大山海とか清野とおるとかヒコとかみくのしんとかピエ郎とかさわぐちけいすけとか丸山ゴンザレスとかバナナマンとか中村佑介とかアジカンとか結城了とか始条明とかレオトイとかクラフトとか久保建英とかアルピーとかカミナリタクミとかゆる言語学ラジオとか福留光帆とか永野とかヒコロヒーとか梶裕貴とか中村悠一とか麻布競馬場とか宇多丸とか松田龍平とか天竺鼠川原とかリックジーとかマヂラブとかドロピザとかスクリューとか、卯月こうとかヤギハイレグとかトコロさんとかタモリさんとかナスDとかガリレオガリレイとかフジファブリックとかアナウンサーになるようなやつとか小川哲とか町田康とこモルゲンとか漫画太郎とか石黒正数とか柊つるぎとか諫山一とか漫画ワンの編集者とかONEとか鱧とけゆきおとかイブラヒムとかRalphとかティラノサウルスとかスタンミとかオメシスとか、坂本裕二とか生方ミクとか野木亜希子とか金子茂木とかバカリズムとかamazarashiとかエルレーガーデンとか原宿とかフランツKエンドウとか大童スミトとかにゃんたことかさらばの森田とかジュニアとか住吉九とか藤本タツキとか真島ヒロとか大久保篤とかたいじとか爬虫類ショップの店員とか本屋の店員とかカフェのマスターとか電気屋さんとか大工さんとかになりたい。うるかとかタイヨーとかラスとかセリーとかおぼとかササティックとか山田ハウスとかへやピンまみれとかバキ童とかロロとかヨーロッパ劇団とかホモサピとかにもなりたい。
憧れだけ大きくて、その人の作品見てなぜか嫉妬して、指摘して、面白かったら自分のことのように嬉しくて、それを知ってるのか偉いかのように人に教えてみたり、いつまで他人基準の人生を送るんだって話。憧れを羅列したら自分のやりたいことを見つけてやってる人たちが羨ましいんだろうね。何か始めて自分が才能ないのをわかるのが怖いし、結婚したくてもやばい人と結婚する方が怖いしむしろ離婚するのが一番嫌だし、本気でゲームやっても一位にはなれないし、やる前から諦めてることが多すぎる。でも自己防衛ではある。だが、それは自分の立場がある人間がするはずのことだろ。
絵かける人羨ましいし、ボドゲ作る人もうらやましいし、ゲーム作る人も羨ましい。高校進学時にやりたいこと見つけて専門性のある高校行った人羨ましいし、大学進学の時点である人も羨ましい。街録チャンネルとか風俗行くチャンネルとかハイパーハードボイルドグルメとかクレイジージャーニーとか良い。

[嫌いなものたち]
世論を盾に話してくる人嫌い、血液型で人を決めるの嫌い、同じだけど星座とか出身とかMBTIとかで人を決めてほしくない。でもポジショントークが必要なのもわかる。人に何かを言った人のルックスをバカにしたら勝ちだと思ってるネット民、モテないということが悪口だと思っている人、人がなにかに頑張っているのにそれをバカにする人、若者が成功するのを妬む人(大人の義務は若者を育てることだろ)あえて厳しくすることが教育だと思っている人、名作映画や小説を見てるのが偉いと思ってる人、好きなものでマウント取ろうとしてくる人、知らないやったことないで有意に立とうとする人、思っていることも反対のことを言って人の反応を見て人を評価する人(試し行動というか、イヤミというか)異性と仲良くすることを恋愛目的しか思わない人、性行為が偉い、エモい、かっこいい、良い経験、だと思ってる人間、そういう風潮。女子高生がエモい、価値があるということ。女性に年齢を聞かないことがマナー(若いということに価値はないのに年齢を聞かないことがマナーということはエイジズムを助長していることに気づいて欲しい)喫茶店巡りが趣味、犬猫赤ちゃん小動物ディズニー、カエル、などに含まれている可愛いという概念。lo-fiHIPHOP、タバコの煙、古い扇風機、カメラ、ローファー、クリームソーダ、時計、などに含まれる哀愁。可愛いとか哀愁とかは苦手というかその空間に身を置いて感じていることなら自身の気持ちであるが、名前だけを並べられた時に思う気持ちには価値はない。梅干しを想像して涎が出ることは自分の体験からきているモノだが、タバコの煙が“エモい”というのはあなたが得た狭い世界から作られた仮想であるからと自覚して欲しい。サウナで話すなと書いてあるのに話す人、サウナで友達と入って友達と出て行く人(一人一人違うだろ)未成年でお酒が買えないときにコンビニの店員に文句を言う人、時間ギリギリにお店に入りのんびりできる人、満員電車で当然の権利のように新聞を読んだり、スマホを見る空間を得ている人、サウナで12分入れるよと自慢げな人(サウナによって違うし、体調によっても違うよといいたい)新幹線の自由席で荷物置いてる人なに?(座れない人がその辺にいるのにあれなに?)電子マネーの話をしてどれだけ買ったかわからないと言う人(履歴残るから現金よりわかる)早い安いが絶対的な価値観だと思っている人。ふんいきと言いたいけど空気的にふいんきと言ったほうがスムーズにいきそうな場でふいんきと言った時に「ふんいきだよ」と指摘する人、気を使うことが正義だと思っている人、マイノリティに理解があると思い込んでいる人、セクハラになっちゃうよねと言う人、相手が話が通じないから折れてくれているだけなのに対話がうまいと思っている人(説得ではなく納得させようね)メジャーなものがダサいと思っている人。ベタがことがダサいと思っている人(ベタをベタと気づいてないのも嫌)誰しも興味のない友達の友達の話や、親の話を長尺でする人(しかし、情報開示が人との距離を縮める手段ということもわかっている)人に注意したら治ると思っている人、みんながスポーツ好き、バーベキュー好き、大人数好きだと思ってある人、声がでかい人、個人間でのメッセージなどを開示できてしまう人、サプライズ好きな人、善な行為があると思っている人、手作りのモノをあげられる人大勢に。お世辞を言える人(お世辞言ってたらお世辞言われるよね。真実のない世界を生きることの怖さ)整形が悪ということ(結婚相手が隠してたとかなら隠し事をしていたという面で思うことがあるかもしれないし、子供ができるという面で子供に遺伝するものでそこをパートナーの条件にしている人がいても良いと思うが、ただ見られることが仕事である人たちが整形してて騒ぐ意味がわからない)ファン間での傾倒具合の争い(かけたお金、期間、あった回数とかで優劣をつけるのはやめましょう)痛バッグ(自分のためにやるのは個人の自由、かけたお金を可視化させファンサービスをもらうことは消費者としての権利だと思う、でも、お金を使うことが応援することとなると高校生などが参入しづらかったり、推しから元気をもらうはずなのに推しに元気を費やしてしまったりするのはおかしい)ランダム商法、ガチャ(お目当て以外をハズレだと思ってしまうこと、コンプが目的になってしまうこと、人ってなにか買う時に何かを買わない選択をしているわけで、一番くじやガチャはそのコストを紛らわしてくれる。欲しいものが出た時の射幸感がリスクをないことにしてしまっている。儲かるのはわかるし、個人的には嫌い)
エモいという言葉は浸透しても良いがエモいことが良いことというのはまた違うでしょ。HIPHOPの広まり方。芸人がミュージシャンをやったり、サラリーマンが芸人をやる時の風当たり。髪を伸ばしてることに嫌悪感があったのにヘアドネーションですと言われたら「そっか」となる人間の浅はかさ(行為の善性と見た目の嫌悪感は違うはずじゃないの?)人の感想に違うと言えてしまう人。いろんな育ち方があるのに育ちが悪いの一言で済ませてしまう人。苦手なものがトマト、黒板の音、お父さんだと共感されるのに、メイクの匂い、性行為、障害のある人だったりすると怒られること(文面だけをみて何か意見をするな、背景を知ろうとして欲しい)共感っていいものだと思ってないか?朝が素晴らしいと思っている人、人間なんでもできると思っている人、世間が悪口を言っているから悪口を言う人、たけのこきのこ戦争、吉田沙保里が最強ということ、京言葉へのいじり、北関東のたたかい、お笑い好きといっている人気者好き、みんながモテたいと思っている考え、恋愛が優先順位の最上位にある人(人生設計が最上位にあるならわかる。今現在の人間関係の悩みなら悩むことが最適解なのか?と思う)売れてるものへの逆張り、他人の意見へのフリーライド(ゼロイチが労力いるし、存在するものに文句を言っているだけ、賢ぶろうとするな)ファッションチェック、観光地にある観光客向けの高い店(一度しか行かないから何してもいいと思ってる)悪意のあるものが苦手(悪意がなければ大抵許す)自分に被害が被ってないのに延々話すな(芸能人の不倫とか)興味のないモノを下げるな、人の神様を馬鹿にするな(大人でアンパンマンを神聖視してる人だっている)人の作ったモノで目立とうとするな(コメント欄とか)写真撮ることを馬鹿にする人、動画撮ることがメインになっている人(ディズニーとかで初のアトラクションに乗っている時とか花火大会とかすごいモノを前にしたらそのときに思ったことを口から出したいが、動画を撮っている人的には動画にいらない言葉が載るのは嫌かもなとか思って見知らぬ誰がの動画を優先してしまう。絶対その場の反応の方が優先されるべきだがな)生きてるだけで偉いということを本気で人に言う人(偉くなくても生きる)あそこで買った方が中古で買った方がいいのにと言う人、人の傷や善意を利用する人(悪徳医者とか悪徳宗教とか悪徳会社とか、でもそれでしか癒えない傷もあるかもとかも思ってしまうが、借金してしまったり、元の生活に戻れないようになってしまうのはおかしい)お金目当てだよねと言う発想(学歴で戦っている人もいればルックスで戦っている人もいるし、お金で戦っている人がいる。だから人を好きになる際にルックスでもお金でも性格でも言動でも全てに貴賤なし。)自分ができることが人にもできると思っている人(予約とか、早寝早起きとか旅行の荷造りとか)人間を一度見ただけで決めつける人(しかもそれが本当に会ったわけでなく、メディアからでもそう思ってしまう人間もいる。)男女論争(違いはあるから想像して考えろよ、間違いだってあるし、勘違いだってあるし、しらないこともあるんだから一緒に考えていけばいいでしょ、当事者だけが意見を言ってもなかなか世論は変えられない日本人が日本人差別するな!って言ってもなんか言ってるよと思われておしまいなので)専門家より詳しいと思うな(医者より医療のこと知ってる人ってなにもの?)赤ちゃんファーストではないこと、弱音を言ってはいけないこと(言いたいだけのこともあるじゃん、子育てママとかたいへん管理職とか何言ってもいいでしょ)アイドルの脇とかスポーツ選手のセクシーに見えるカットを見て喜ぶ(それでスポーツの道諦めた人がいたらどうするの?)動物の動画とか人の発言だけを集めて載せるアカウント嫌い

[吃音と半生]
小さい時には自分の気持ちを口に出すことが苦手でよく泣いていたのを覚えている。幼少期の記憶は泣いてたことぐらいしかないけど幼稚園入る前に兄の小学校の面談についていき、兄の持っていた漫画を読んでたら漢字とかよめてすごいと褒められたことや、幼稚園の鼓笛隊でお願いされて指揮者やってたし、水泳で一番上のクラスだったし、卒園のときに園長先生から「あなたは頭が良かったね」といわれたから多分出来は悪くなかった。小学校では友達も多く、スポーツも勉強もつまづいたことなかったし、まぁ楽しかった。小3か4ぐらいの家庭調査票みたいなところに「ときどきどもることがある」と母が書いてあり、「どもるってなに?」と母に聞いたことがある。その時が初めて吃音を理解し始めたときだと思う。自分の中では幼稚園の時に「さしすせそがたちつてと」の発音になってしまって、よく笑われたことがあり、滑舌が悪いんだろうなぐらいに思ってた。でも小学生低学年のときには、自分だけ授業を抜けてみたことない先生と話したことがあり、あれがことばの教室だったんだろうと大人になって気づく。家族と吃音の話をしたことはこれが最初で最後かな。そのとき母に「悩んでる?」って聞かれたけど学校に吃音の症状出てる友達もいたし、「別に」って言ったの覚えてる。本当に小学生の時は気にしたことなかったかな?でもインターホン苦手で、外で待っててって友達に言ってた覚えもあるけど小学生のときはあんまり吃音で悩んだ記憶はない。
吃音ということが中学生頃からかなり悩みになってくる。友だちに話したいことが話せないもどかしさ、思いついた冗談を言えない瞬間、本当のことを言えないから冗談で返すようになったし、授業中指されても言えないから「わかりません」って言うようになって、勉強するモチベももちろんない。流石にわかる問題を解らないって言ったら呼び出された。そこで正直に話したら自分も吃ってた時期があったとか言われたけどべつに響かず。俺は辛いということは変わらない。だからと言って特別な配慮を思い付いているわけではないので大人に言っても困らせてしまうと思ってた。今思うと相談しても良かった。それが子供の権利であるはずだが自分の話となるとそうは思えなかった。吃音のある自分は常に俯瞰で生きていないと詰む瞬間があるので先を読みながら生きてたけど中学生って視野狭窄というか視野を獲得している最中なので自分より周りが見えていない人が多かったため、自分はマシだと思って生きていくことができてしまった。中学から今にかけて、生きていると言うか生き延びていると言うことが正しい。学校が辛いからLINEもやらなかった。パソコンでチャットをやってた瞬間があるけど、こんなに流暢に話してしまうとどもりがキツくなるのではないかとなぜか思ってビビりながらやっていた。だから学生の本分である恋愛なんてもってのほかで本当の自分で生きていないのだから思いを寄せられても学校の俺は俺じゃないし、俺の悩みを共有できるのかと思っていた。ずっとアニメ見て漫画読んで、部活は楽しいというか実力があったから楽しかった。多分中学のときに世界仰天ニュースで文字が読めない人の話をしていた。学校で音読ができないのがバレたくないからヤンキーになるし、友だちにバレたくないからご飯屋さんでの注文は同じやつとしか頼めない。電話が普及してビジネスがうまく行ったみたいな話だったと思うけど、生きづらさの部分は心底共感した。自分的にはうまく生きてないけど不良になってないだけ感謝しろ親と思っていた。中学ではいろんな人間がいて、しょうもないこともたくさんあると思った
高校編
行きたい高校とかはなく、塾の先生がお薦めした行ける高校に入った。受験の日向かう電車で『ウィッチクラフトワークス』を読んでるぐらい受験には興味がなかった。高校生にもなると自己紹介が怖くてたまらない。中学生より自意識が高まり、変なやつだと思われたくないとあうか、自分が想定してる笑いじゃないというか、上手い受け身も取れないし、とか思ってた気がするし、吃りを馬鹿にする奴はクソ雑魚だとも思っていたし、友達にそんなこと思いたくなかったし、吃音をみせたくないのは高校生らしい言葉でいうと「ダサいから」だと思う。今この言葉にできてしっくりくる。高校生で「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」を読んで共感。やっぱり生きているだけで力が入るし、世の中に怯えている。緊張する。高校生でほぼ初めてマックで注文した。このときも食べたいものではなく、注文できるもの。食券の店がありがたかったし、映画館で映画の名前言うのもびびってた。高校では勉強は一切しなくなり、怒られまくってた。勉強をしないで怒られるのはどうでも良かった。勉強をする理由がなかった。やりたいことがあっていい大学に入らなきゃいけない人は勉強が必要だろうし、勉強して頭よく思われたい人だっているだろう。でも勉強したところで授業中さされたらわかりませんって言うし、吃るからやりたい職業なんてないし。流石に態度悪すぎて学年の先生全員に怒られるボスラッシュがあった。一番若い先生、今思うと26ぐらい。今と自分とほぼ同じ年齢の先生に吃音であること、将来が見えないこと、勉強どころではない不安があることを伝えた。でも他の先生には言わないでほしいと伝えた。一番相性の悪い体罰クソジジイにお前は吃音で悩んでいるだろ言われた。「俺はお前が吃音だなんて思ったことない、自信持って生きろ」って言われた。そいつは俺のことを思って言った言葉だったはずだし、決め感もあった。思ったことはまじで教師はクソばっかりということ。秘密にしろってこと言うやつもだし、お前が俺を吃音って思ったことないのは俺が隠すのが上手いから、努力をしているから、自分を生きていないからなのだという本質を理解していないと思った。俺のこと理解できる人はいないと思って心を閉ざしまくる高校生活であった。友達は普通いたし、部活も楽しかった。でもいきるのではなく、生き延びてた。高3のとき吃音の集まりに初めて行ってみたことがあっあ。みんな年上で、行った感じ傷を舐め合って何も解決しないなと思ってしまった。高校でもずっと本読んでた。漫画、小説、受験期は暇だったから映画好きの友達から「500日のサマー」「アバウトタイム」「ラブアゲイン」を借りて映画というものにどハマりする。自分で鉄分を取れないロバが鉄柵を舐めるように恋愛分を漫画や映画から接種していた。ネットの友達というものが欲しかったが連絡がマメではないためできない。人生に積極的ではないため行きたい大学もなく、受験勉強も全くしないが、両親が優しいため大学進学という名のモラトリアムを獲得。当たり前のように享受した。俺をこの辛いこの世に産んだのだから面倒を見ろと思っていたからだ。
大学編
中高より自由で楽だった。楽しいわけではない。バイトもなんとか始めたけど、嫌すぎて初心者マークが外れるぐらいでブッチした。みんないい人だったけど顔は出せない。ずっとゲームして電車では読書かドラマ見て、図書館で読書して。このときにやる気あってパソコンバイト代で買ってたりしたらパソキッズになっていたが今考えると兄貴と同室だったからその選択肢はなかったか。就活なんて一度もやったことなく、就職も友達の紹介で大学の卒業式後に決まった。それをこの前辞めたわけだが。

[生きるということ]
積極的に生きようと思えたことがない。消極的に生きている。「好きなことは?」と聞かれたら「映画、読書、ゲーム」と答えるし、それについての話をたくさんできる。しかし、そのために生きてる感覚はない。生きているから仕方なく人生を送っているふりをしている。この趣味も自分で選んだというか人とコミュニケーションがいらない点、吃音が足を引っ張らない点で社会に選ばされたと思っている。自己肯定感がないため、何もしない1日を過ごしてしまうと自分を責めてしまう。だからと言って資格とかを得るわけではない。失敗も怖い。人生を費やしたものが吃音によって不利になってしまったり自分を責めたりしたくない。なんで生きてるのだろうとよく思う。今生きている理由は本当に親より早く死ぬことは親にとって最悪だと思っているからである。色々俺に投資をし、ダメな部分があっても責めずに、いつだって優しい心を持っておれに接してくれた。その二人の子育てを、失敗という気持ちにさせたくないからである。それといつでも死んでいいと思っているからである。この二つ柱でなんとか今日もなんとか生きている。きっと自分の人生を生きている人はどう生きようという選択をしてるのだが、生きる生きないの選択をしている自分とは大きな違いがある。違いがありすぎるのだから階級別に生活をさせてほしい。同じ土俵で戦わせないでほしい。だから自分の人生を生きる人たちの言葉は不躾で不謹慎でバッドマナーだと感じてしまう時があるが階級を分けてくれればそう思わなくて済む。辛いことをいうと他に辛い人がいると慰めてくる人がいる。それは自分の人生を生きている人の戯言であり、こっちは生きないという選択があるんだからそれでも生きてる人と比べるな死ぬぞ!と思う。それと同時に自分の中で矛盾していることがある。「健康な人ほど小さな傷を痛いと言う」と思っている。自分の二重幅を気にしてる人はよっぽど人生うまく言ってると思うし、身長が小さくてモテないと思っている男は幸せだと思う。こっちは明日生きるかどうかで悩んでいるのだから。でも信じられる家族がいて、住むところがあって、五体満足な人間が何をごちゃごちゃ悩んでいるんだと、俺のことを頭がお花畑だと思っている人だっていると思っている。それがなんだとも思う。恋愛で悩んでいる人は幸せだと思う。自分の心にある穴を他人に埋めてもらえたらそれで幸せ、幸せが分かりやすくいいね。しかも人依存なんていつか見つけられるよ。こっちは自分の問題手がいっぱいで他人によって幸せになることはないんだから。返信がどうこう、浮気がどうこう、他人のことで頭を悩ませる時間があって羨ましいよ。すぐ次に行け。

[吃音の二次被害]
吃音が治る壺があったとして、家に置いている期間不思議と吃音が治ったら高いお金払えると思う。しかもそれが自分の子供のためならいくらでも払える。だから弱者を狙ったビジネスは全て消し飛べと思ってます。
吃音がある人生しか選べないのでずっとそれを言い訳にできてしまう。自分の本当の欠点にまで目が届かないところが怖い部分。しかも流暢に話せるのに人生がうまく行ってない人のことを見下す(誰しもに自分しかわからない悩みがあることはわかっているつもり)吃ることをさけ、本当のことを言ってこなかったため、自分の本心がなくなった。本当のことの言い方がわからない。吃音で狙っていない笑われをされたことからプライドがたかくなり、ミスを認められないこと。言葉を常に言い換えることで精一杯だからワーキングメモリーの無駄遣いでミスが多くなること。人と話すことに恐怖感がありすぎて怖れすぎてあるということ。自分がいかに大変に生きているかを話さないくせに人の人生をわかったふりさせると嫌悪感を勝手に抱く。吃ることで全てが嫌になる。吃るということはもう周りだってもう大人だから気にしないことはわかってる。弱者として生きることが辛い。弱者であると自分から大声で叫ぶことはできる。でも憐れまれることが嫌なのである。俺という人間を説明する要素に吃音が入ることが許さないのである。なにか成功者になった時も吃音をバネにって思われたくない。でも失敗した時にも吃音だもんねと人に言われたくない。今殴り書きをしていく最中で自分がいかに吃音ということを認められていないかがわかった。どうしたらいいのって話。誰か俺を助けて下さい。無駄になってしまうことが苦手。テスト勉強も範囲知らされているテスト勉強はできるけど覚えたのに披露できない事実が嫌い。少ない勉強時間で合格点ギリギリなことが優れていることだと思っている。
自分が吃音だと思い出す瞬間が辛すぎる。一日過ごしていたら必ず自分が吃音だということを思い知らされる瞬間があるんだよな。きっと人って上手く過ごせた一日を積み重ねて成長していけるんだと思うんだけど、それが人生で一度もないんだから。物心ついた20年間ぐらい7300日間一日も、安心して寝れたことがない。明日のことばかり心配しているから一週間後の自分が生きているかもわからないから予定を立てられない。でも生きてかなきゃ行けないので予定を入れる。忘れしまうこともある。歯医者は出禁になった。
上手くいくことを想像してみる
社会人として成功したけど電話で自分の名前言えないやつキモくね?部下の名前呼ぶの時間かかるのきもいし、商品名であったり、必要な言葉わからないふりできないから言わなきゃいけなくてその時時間かかるの意味わからない
子供生まれたとして、保育園に迎え行った時、名前言えない変質者になりたくない。子供も吃音になってしまったら罪悪感で一緒に生きていけない。
アナウンサーにはなれないし、配信者にはなれないし、絵は描けないし、文才もない(こんなに文字数書いてるから小説家になればなんて言葉いらない)し、歌だって下手だし、誰か助けて下さい。

どうやって自分のできなさに折り合いをつけて生きているのか、学歴コンプみたいなものだと思う。きっとみんな話し方なんてただの第一印象だと思っている。身長小さいし、音痴だし、一重だし、毛深いし、日本史世界史知らないし、誰でも入れる大学だし、友達少ないし、味音痴だし、ファッション興味ないし、難しい本も映画も好きじゃないし、バスケサッカー野球できないし、虫触りたくないし、性格悪いし、ネット好きだし、妄想癖あるし、AVばっか見るし、ライン返せないし、インスタやってないし、人に興味ないし、汗っかきだし、足臭いし、マナー知らないし、税金知らないし、親戚いないし、車の運転下手だし、太ってるし、オタクだし、岡田斗司夫だってみちゃうし、ゴシップ好きだし、Twitterばっか見るし、無職だし、滑舌悪いし、ありがとうごめんなさい言えないし、本読まない人バカにしちゃうし、お酒好きだし、サウナばかりいくし、エロいことばっか考えるし、鼻くそほじるし、風呂でおしっこするし、パソコン持ってるけど何も知らないし、ギターも対してできないし、電車の乗り換えできないし、心の痛みには敏感で身体の痛みには鈍感だし、すぐ熱出すし、病院きらいだし、道覚えないし、ハゲだし、おならするし、ケチだし、ごみみたいな人間だけど特にこれらで悩んで眠れないことない。人に言われても言い返せる。身長が小さいことは正直印象に残るし、威圧感ないし、マイナスではないと思っているのに吃音のことだけ傷つきすぎてると思う。人に迷惑をかけていると思うからである。小さい時にはおばさんや祖母と会う時は吃らないようにしていた。それは両親の子育てがおかしいと思われたり、普通のとは違う子供で大変と思われてしまうと思っていたから。友達の親とか恋人の家族にも吃ってるところ見られたらこんな子と付き合わないほうがいいと思われるかもしれないし、思わなくても配慮したほうがいいと思ってくれてしまう脳の容量を使わせることも嫌。店員さんを待たせることも気を遣わせることも嫌。本当に嫌。吃ってる最中呼吸辛いのも嫌。待ってる顔もいや。スムーズに言えたほうが面白かったのにできなかったのも嫌。だから自分の話すために情報をたくさん入れてから人と会うだからインプットが怖くてやめられないし、楽しいと思ってない。好きな映画じゃなくて言いやすい映画だし、うそつきたくないからいいやすいもなのなかからエンタメ探すし。好きなものを見つけた時に言いやすい頭文字だと安心しちゃうのやめたい。なにかをやりたいという欲より傷つきたくないが勝つ。

早く車に轢かれそうな子供助けて死にたい。


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