「もしもこの世に数字がなければ」
本当は、こういうことを、
はた、と立ち止まってひとりひとりが
ちょっとした折に想像できると、
全体が幸福になっていくのかもしれないな、
と、思うのです。
「もしもこの世に数字がなければ」
と聞いて思い浮かべることは、
人によって違います。
だから、それが、大切なことなんですね。
ひとりひとりが違うから、
輪を作ったり、
ぶつかったりして、
新しいものができたり、
より大きくなったり、
たくさん反響していったりするからです。
ですからまずは、
あなたはどんなことを思うのか、
できれば考えてみて欲しいです。
そして可能なら、教えて欲しいです。
それから・・・
でもここはnoteなので私が思ったことを書いておきます。
私たちは数字を、どんな時に使うでしょうか。
<できた、できないという評価の目安です>
・応援してくれた人の多い少ない
・時間や出来具合での競争、試合
・テストの点数
・金額~売れた数や金額
収入、家の大きさ、持ってる物の多さや高額さ等
・時間~何分で出来たか、いつどうすべきか等
私たちは「持ってる具合」を測る数字で、
優劣を検討し、
「時間」によって自分をしめつけているのです。
たとえば「遅刻をしたかしないか」で
相手の「人間性」を測ります。
イライラしたり、信用したり、
自分の心や精神の基準を「時間(時計)」に合わせて
動いているのです。
「いつまでにやらなきゃ」
「いつ何があるだろう」
どちらも、時間に支配されているのです。
「多い、少ない」を認識している動物はいますが、
数字で生きている生き物は、人間だけです。
「数字」に支配されたり踊らされたりしているのは、
人間だけです。
「年をとったからだ、〇〇歳ならこうだ」
「賞味期限は〇月△日だ、昨日だからダメだ」
「今日15時のPM2.5の数値は38μg/m3だ」
「会議は〇時△分で、駅到着は50分前にしよう」
「50歳ではこうだ、80歳ではこうだから25歳ではこうしよう」
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ものすごく、しっかりしてみえます。
将来を予測して対処する、
計画的に生きる。
それが平和で安全で幸せなんだと思うのです。
全否定するわけではありません。
でも
他の動物はそうやって生きてはいません。
「隣のやつのほうが5歳若い。悔しい」
「偏差値の高い学校を出ているんだ」
「子供が3人いて妬ましい」
そんなことを、飼い猫は考えていません。
弱肉強食の生き物も考えていません。
服も人が与えなければ着ることもありません。
ジャンプ力を測って優劣を競ったりしません。
善も悪もありません。
隣の猫の方が、ひげが多いからと言って
自分のひげの少なさを嘆いたりしません。
人は「欲の多さ」で
こうしたことを問答しますが、
本当は「数字」があるから考えざるを得ない状況に
自らを追い込んでいるのです。
人間は「数字」がこの世で最も「確か」な基準であって、
優れている、と思って信奉しています。
そこで、それ自体は何も語らない、
この「数字」なるものに、
私たちは大いに動かされているわけです。
今、
自分の脳から、観念から、
「もしもこの世に数字がなければ」
と、想像してみてください。
私たちは、最も多くの不要なモノから、
解放されるでしょう。
宜しくお願い致します。 励みと生活の糧になります。