感情を丁寧に扱うと、ちゃんと返ってくるし、好きになる。
ふと、ピアノ演奏を耳にした。
単調で激しい悲劇の曲だけれども、
きれいな澄んだ音色だった。
私は、大してうまくもなんともないのだけれども、
ピアノを習って良かったなぁと思った。
ベートーベンは、耳が聞こえないことを悲しみ、
その慟哭を音楽にしたが、
それは、ぐちゃぐちゃに鍵盤をたたくことではなかった。
メロディがあって、流れがあって、終点にちゃんと着く。
音楽にしたら、その悲しみが癒えるわけではない。
辛苦から逃れられるわけでもない。
その運命を変えることはできない。
その曲を聴くと元気な人だって、
悲しい気持ちになって泣くかもしれない。
けれども、その美しいメロディは今もなお大勢に愛され続けている。
ベートーベンは悲しみを美しいものに変えたわけではない。
自分の激しい感情を、丁寧に扱った。
自分も、他の人たちも、
繰り返し演奏していくものに昇華された。
だから、美しさをまとうのだ。
そっくり同じ悲しみを、
他の人も持つわけではないけれど、
だから、悲しいと感じる心が、
琴線に触れ、共鳴し、
演奏をするごとに、
演奏を聴くごとに、
その感情さえもが益々美しくなっていくのだ。
丁寧に、形作られた感情は、
透明な空気に乗って、時を超えて響いていく。
響いたら、段々消えていく。
いのちが生まれて消えていくように。
音楽になって愛され、消えて、また愛され消えて…
そうやって何年も、何年も、大勢の人に愛されるのだ。
音楽や絵画や、
人の心を育てるように造られた建物などの芸術というものは、
そうやって感情を丁寧に昇華させたものだから、
ちゃんと心に沁みわたる。
私は、
最初に沸き出でる感情それ自体が好き
ということではなくて、
感情という絵具を使ってクリエイトされたものが…
その内奥に介在している感情を、好きなんだな、
と、耳にピアノの音色を沁みわたらせながら
あらためてそんなことを思った。
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画像:ぱくたそ4枚と、筆まめに入ってたフレーム。
(スマホからの投稿ではなくて、コラージュまではできず)
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