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✉3 マカロン⇒モンブラン「私と子どもに考えるきっかけを与える作家」

今日も暑いね。今年の夏は雨が多くて、わりと涼しかったから、8月最後の暑さにやられているよ。

モンブラン、スクーリングと卒論、シャルロットのお世話毎日おつかれさま~。

私は昨日、メレンゲの最後のヤマハのグループレッスンがあったよ。そういえば、夫がピアノ購入時に私にクレジットカードを見せて嫌なことを言ってきた時、メレンゲのヤマハの課題が終わらずイライラが募っていた時、モンブランにいつも話を聞いてもらっていたよね。

あの頃は、モンブランはまだ独身だったよね。こんな主婦の愚痴を真剣に聞いてくれて、友達の愛ははかり知れないわ。

そんなヤマハも、さすがに最後のレッスンでは子供達の合奏を聴いて私も涙が止まらなかった。毎回私の「ヤマハ辞めさせたい病」の愚痴を同じグループのママさん達が聞いてくれて、昨日のレッスン中も外で待っている時に私のもやもやとした気持ちを全部聞いてくれ「うんうん、マカロンさんもメレンゲちゃんも本当にがんばったよ。」と言ってくれて、「優しい人達」の存在は私とメレンゲにとってありがたいものだったと感じたよ。

このメンバーでなかれば2年も続かず、おそらく数か月で辞めていたとも思った。私がいつもイライラして子どもについての色んなこともママ達に言っちゃうんだけど、「メレンゲちゃんの○○のところが私も娘も好きだよ。」とか「メレンゲちゃんの今日の作曲、こういうところがとても素敵だったよ。」と娘と私に言ってく、本当に優しい人達だったんだ。6人いたけれど、ママさんとパパさんがお互いの子供のことも我が子のように大事に考えているし、子供達同士も得意なことや苦手なこと、好きな音楽のジャンル、性格も全部違うんだけど、レッスンの後はお互いの小学校でその日あったことを話したり、すごく良い関係だったよ。

我が家は、実家が遠くて祖父母の助けがないことや、メレンゲの体力がないこと、メレンゲの妹ムースに手がかかること、私の仕事や勉強のこと、「そんなに大変だったらやめればいいじゃん。」と言ってしまえばそれまでだけど、そんな風に見ずに「メレンゲちゃんと一緒に音楽やりたい。」「大変なことがあったらなんでも言って。」とグループの子供達もママさん達もいつも言ってくれたから、週2回、毎月のようにあるイベントもなんとかできたよ。

小学生くらいの子どもにとって「習い事」って、技術や知識の習得というよりも、「地域での居場所」となるものだと私は考えている部分があるから、よく「スポーツ少年団」と似ているといわれるヤマハのレッスンもこの時期にできたのは良かったと思ったよ。

モンブランの取っている科目は難しそうな名前のものがいっぱいだね!『政治思想論』なんて想像ができないよ。

私がこの前受けた試験の科目は『災害復興のための制度と法』だよ笑 科目名がめちゃくちゃ分かりやすいよね。まさにその通りの科目で、卒業の単位も足りているし、必修ではないけれど、興味があったから取ったよ。災害時に住民が抱える問題を解決するための手続きや制度、それらの根拠法が何か知ることができたよ。

昨日は久しぶりに勉強以外の本を読んだよ。

​この中の『祖母は中国庭園にすわり、泣いている』というエンデ自身の終戦体験記を読んだ。

1944年当時、ミュンヘンにいたエンデ達子供達を取り巻いていた社会の状況がその時の子どもであったエンデの気持ちと今大人になって何が起きていたか客観視しているエンデの両方の視点があって、ナチス政権のことを断片的にしか知らない私もその時代に立ち会っているような気持ちになった。『アンネの日記』の映画を見たことや前にモンブランに勧められて観た『ハンナ・アーレント』の映画を思い出したよ。

最後にね、こんなところがあるよ。

まったく”正常”で、それまではおとなしかった普通の青年を、命令に忠実な拷問機械や殺人機械にするためには、どれほど多くの、あるいは少しの操作がいるのだろう?(ミヒャエル・エンデ,『エンデのメモ箱 下』)

エンデはこの問いが今も、街を歩く時、買い物をする時、いつでも頭から離れないんだって。あの大変な政権時代が終わってからも大きな安堵感を一度も心を満たすことがなくて、それはこの問いのせいかもしれないと書いてあったよ。

昨日、メレンゲと『情熱大陸』という番組に絵本作家のヨシタケシンスケさんが出た時のを見たよ。


うちの小3のメレンゲはこの人の絵本が小さな頃から大好きで、私は子供を産んでからヨシタケシンスケを知ったんだけど、はじめはね、「もっと真面目な本を読んで欲しい。」と思っていた自分もいたよ。絵が面白くて、内容がすごく分かりやすくて、一見薄っぺらく見てしまった自分がいた。

今は自分の親に子供のクリスマスプレゼントを訊かれたら、ヨシタケシンスケさんの本をお願いするくらい、私もすごく好き。でも、「ヨシタケシンスケの絵本を好きな人のことが嫌い。」という友達も何人かいて、それはきっと私が以前抱いていたものと似ているのではと思う。

私は、ヨシタケシンスケさんもミヒャエル・エンデも学生時代よく読んだ なだ・いなださんも好きなんだけど、この人達には共通点があるんだと昨日ふと思ったよ。

「難しいことを分かりやすく、書く」「本当は気になっていたことを読者自身が考えられるようにフレンドリーに投げかける」そんなところが似ていると思っているよ。

『情熱大陸』の番組でヨシタケシンスケさんは「人を憎むのは仕方ない。でも、相手を直接嫌うのではなく、その相手を動かしているものが何か理解することができたらどうなるのか。」みたいな話を本の構想と一緒に出版社で話していたよ。

それって、私も大学で受ける福祉科目の授業でいつも聞いていたことにすごく似ていた。「人は環境によってつくられている。その人がなぜ、今のような状況にあるのか。生い立ち、家族、特性、心身のこれまでの遍歴、社会での過ごし方など、その人をつくっている色んな要素を理解しないといけない。」と。

エンデの問いも、モンブランがアーレントの映画や本を紹介してくれて、そこで見た問いも、社会福祉の科目で扱われる問いも、日本人の作家たちが読者に投げかける問いも同じように見えてきたよ。

普通の人がどうして殺人鬼になってしまうのか。優しいママがなぜ虐待してしまうのか。

ストレス?偏った思想?社会での居場所?そんな曖昧な言葉じゃなくて、メカニズムのような、社会や人がAの状態だと、Bに陥る可能性が〇%増えて、そこからさらにCやDを抱えている状態だと半数以上がEになる可能性が高い。

私もヤマハで大変でA状態で最悪のEになってもおかしくなかったけど、間にモンブランやグループのママ達がセーフティーネットになってくれたから、なんとか大丈夫だったよ。

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