局所性ジストニアを発症しました。

私は2023年7月に局所性ジストニアの診断を受け、2023年10月20日、東京女子医科大学病院の脳神経外科で定位脳手術を受けました。ジストニアの経験を通して、少しでも発症者の力になりたい。発症者のそばにいる方にこの病気を身近に感じてほしい。。そんな想いをもって発症時から書いていた日記を参考にしてnoteに記そうと決めました。少しでも読んでいただけると幸いです。

まずは私のプロフィールについて

私は2023年3月に武蔵野音楽大学を卒業し、現在公務員バンドに所属しています。元々教員志望で入学した音楽大学ですが、音楽性、人間性が豊かな先生方、先輩方、後輩、同期に囲まれていたこともあり、楽器で仕事をしたいと大学3年生の頃に決断し、現在の職場に 就くことになりました。正式に配属したのは2023年10月。それまでは、音楽や職種特有の研修を40人以上の同期と東京で受けていました。

腕、指の違和感に気づいたとき

楽器で仕事をしたいと決めてからは教員採用試験の勉強を中断し、楽器に焦点を置いて日々過ごしました。なんせ大学1.2年生の頃は不真面目すぎて全然練習していなかったのです。おいて行かれた分を巻き返さないといけない、、そんな気持ちでいっぱいでした。当初は練習時間なんて記憶にないくらいにたくさん練習して、実際にその成果は演奏に少しずつ出ました。本来楽器はやればやるほどいい意味で変わっていくものなのです。ただそれを覆すような違和感が2023年1月頃に完全に表れました。
時期は卒業試験の約2週間前。試験曲はI.GotokovskyのConcertoを演奏しました。大体試験曲の方向性が見えてきて、あとは仕上げとして調整するだけだ、、!なんて時でした。指が思うように動かなくなってしまったのです。
症状として、この時期はとにかく左腕に力が入らず、結果としてフィンガリングが崩れて出るべき音を指で塞ぐことが出来ない、、という状況でした。
初めはジストニアの可能性なんてこれっぽちも思いませんでした。周りに発症者はいませんでしたし、まさか自分が発症するなんて思ってもいませんでした。初めはただの腱鞘炎だと思って接骨院に2.3日に1回のペースで通院していましたが改善されず、、周りの同期にも相談して、もらったアドバイスを参考にして実践してみたり、、たくさん試みましたが、やればやるほど今まで合わせて出来上がりそうだった1つ1つのフレーズが徐々に崩れていって焦りでいっぱいになりました。レッスンでも自分の演奏のクオリティにショックを受けて初めて先生の前で涙を流しました。その後もただただ自分の練習不足、努力不足だと思ってひたすら練習室にこもって泣きながら練習しました。
結果としてはオーディションまで進んだものの、最終的に卒業演奏会には選ばれませんでした。もちろん結果に納得がいかないとかそういうものではありません。最善の状態で学生最後の試験に挑めなかった自分に心から苛立ちや悔しい気持ち、、、ただそれだけでした。
この時は、この腕の違和感に対して、自分の努力不足によるものだと自己判断し、社会人になりまずは楽器と距離を置いて、いつかは自然と治るであろう、、そう考えて学生時代を終えました。

ジストニアに気付くまで

大学生活を終え、社会人となり、初めの3か月間は楽器にはほとんど触れない日々を送り、7月から音楽に特化した研修を行う事となりました。この時、直属の上司と面談をすることになっていた為、念のため左手の調子を伝えました。その時にジストニアという言葉を耳にしたのです。その後は上司の迅速な判断のおかげですぐ病院に行く事となりました。
本来ならば、局所性ジストニアに特化している東京女子医科大学病院に行くべきでしたが、そこに行くためにはほかの病院でMRI検査をして資料を確保してからでないと行くことはできないと話を頂き(実際はそうではないそうです。)、だいぶ時間はかかりましたが7月末には東京女子医科大学病院に伺うことが出来ました。
ただ、、この時私にはジストニアに関しての知識がなく本来【脳神経外科】に伺うべきであるのにも関わらず、【脳神経内科】へ訪問してしまったのです。ただそこの医師もジストニアの理解がある方だったので、まずは内服薬で治療しようということで「アーテン錠」という薬を処方して頂きました。

ジストニアの可能性が出てからの日常

まずは何より、今まで手が動かなくなってしまったのは自分の問題ではないかもしれないと判明出来て心から安心しました。
同時に早く治して以前のように演奏したい気持ちが強くなりました。なんせ手は動かなくても頭の中で思い描いている音楽性は変わらないので。
周りにも楽器を頑張っている同期がたくさんいて、、だからこそ内服薬を飲んで、楽器も無理のない範囲で練習していこうと決めました。しかし薬を数週間飲み続けても、症状は一切良くなりませんでした。何も改善がない中、周りはどんどん楽器が吹けるようになっていて、さらに焦りを感じました。
何回か通院をしたのちに同病院の脳神経外科の堀澤先生を紹介して頂き、正式に【局所性ジストニア】と診断されました。
局所性ジストニアとはジストニアの中でも一定動作の中のみで症状が出ることを言います。よって、演奏家やスポーツ選手に発症することが多いとのことです。特に同じ動作を反復でしたり、普段やらないジャンルの曲を練習したり、数多くの曲をさらうことによって発症するらしいです。
堀澤先生からは、治療方法をいくつか紹介して頂きました。1つは別の内服薬をいくつか試して指の震えを止めること。もう1つは、熱凝固手術(定位脳手術)という頭を開けて手術を行うものでした。最近は約7割が内服薬で治ると聞いたので別の薬に変更して治療を再開しました。
私が内服していたこれらの薬は脳神経の興奮を抑えるための薬のようです。なので、本来は世間一般では睡眠導入剤、抗てんかん薬として使用されていましたが、私の場合は楽器を練習する前にこれらの薬を服用しました。ただ、残念なことに私には内服薬で回復することが出来ず、むしろ副作用がひどく出てしまいました。
その後にも薬を変えて試しましたが、結局変化はないまま、
むしろ症状は酷くなり、少しずつ私生活にも支障が出てきました。薬を服用した後の記憶が曖昧になって部分部分の記憶が抜けてしまったり、記憶力も良かったはずが忘れっぽくなったり、お箸やコップを持つときも手が震えて、、でもそんな中周りはどんどん楽器がうまくなって、音楽をしている時にすごく幸せそうな顔をしていました。私は焦りはもちろん、羨ましい気持ちやどうしてこのタイミングで、、なんて怒りや悲しさ、、色んな気持ちでいっぱいになりました。
局所性ジストニアは普通に生きていく上では何も症状が出ません。だからこそ、この深刻な状況を誰にも気付いてもらえないのです。
当たり前に触れていた楽器が思うように吹けなくなり、心がボロボロであっても普通にしていれば外見に変化は見えないので、隠そうと思えばそんな心情を誰も気付く訳がないのです。当たり前のように普通に接してくる周りに対して、感謝の気持ちがある中でも「少しはこの辛さに気付いてほしい」と思うことも正直ありました。そして、何よりそうやって汚い心になってしまっている自分自身に対して嫌気が差しました。
しかも大体のジストニア発症者は良くも悪くも完璧主義でプライドも高いと本に記載されていました。実際そうなのかは定かではありませんが、、、今思うと私自身も発症時、だいぶ自分自身を追い込んでいたのだろうなと感じます。
奏でたいフレーズ感を頭で分かっていても、音として表現する事が出来なくなり、完璧主義の性格が働いてたくさん試行錯誤しながら吹いて、それでもやればやるほど指がいうことをきかなくなり、、そんな自分が嫌でしかありませんでした。奏者としての人生が終わるかもしれない、これからどうやって生きていこう、、色んな気持ちが募り、最終的に音楽を聴いても何も感じなくなり、本格的に生活にも支障が出てしまったため、休職をすることとなりました。

休職中の過ごし方と療養終了後

まず、休職をするよう指示をもらった瞬間、この上ない絶望を感じました。
自分が吹けなくなってしまったことによって、様々な面で周りにも迷惑をかけて、、涙が止まりませんでした。なにより、ジストニアによって自分が自分でないようになっている自分自身に一番悔しさを覚えました。もう辞めたいとまで思いました。ただ、休職して実家に帰る直前に、唯一同じ楽器で同じ門下の同期が初めて泣きながら絶対戻ってねって言ってくれたのです。
こんなにも迷惑をかけたのに。言語化できないたくさんの気持ちが込みあがりましたが、とにかく戻らないといけない一心で一度職場を離れることにしました。
実家に帰る途中も涙が止まらず、急遽大学時代の親友が会ってくれたりと、、おかげさまで実家に帰ることが出来ました。
初めは罪悪感に押しつぶされそうになり、ひたすら部屋に引きこもって何も口にできず、両親にも話せず、ただただ無心に涙を流しながら過ごしました。
自分がこうしている間に、職場の同期は何しているんだろう、、
みんな頑張っているのに自分だけ何しているんだろう、、
なんて考えでいっぱいになって、休むことすら許せない気持ちでしかありませんでした。
初めは1週間のみの休職の予定でしたが、なかなか時間がかかった上に心の状態も不完全では、、それでも少しずつ現状を受け入れ、人と会えるようになり、演奏会にも足を運べるようになりました。
その間にも通院をして、最終的に手術をする事となり、手術日を決めて話を進めたり、、と最終的に約1か月ほど仕事を休むこととなりました。研修が終わる2.3日前に復帰しましたが、誰に対しても申し訳ない気持ちしかなく、同期とはほとんど会話をすることが出来ないまま終えてしまいました。
中には「おかえり」なんて言ってくれる同期もいて、、今では本当に嬉しく思いますが、当時はその感情が出ないほど申し訳ない気持ちしかありませんでした。
研修が修了する前に全員で吹奏楽を演奏する機会もありましたが、私は吹ける状態でなかった為吹けませんでした。みんなが一生懸命吹いて感動をかみしめていた姿を見て、何もできない自分に対して惨めな気持ちになりました。早くこの場から逃げたい、その一心しかありませんでした。
こうして研修は終わり、10月13日に私含め同期はそれぞれの配属先に異動することとなりました。

配属されてから入院まで

何より何も力になれない状態での配属であった為、不安と緊張と恐怖の気持ちしかありませんでした。
新しい配属先の先輩方が温かく迎えて下さりましたが、最初は
その温かさに対して嬉しい気持ち以上に、こんな状態なのに邪魔者が来てしまってごめんなさい、、という感情だったり、また自分の症状のせいで研修中のように人を傷つけてしまうかもしれない、という恐怖が溢れてしまい、涙が溢れてしまいました。10月13日に配属されたものの、手術の都合で10月19日から入院する事となっていた為、10月17日には東京へ帰ることになりました。東京に帰るまでの間も1度だけ演奏の本番があり、配属したての私はその流れと実際の演奏を見て1日過ごしました。なんでもいいから早く楽器が吹きたい。早く吹奏楽したい。もっと音楽と向き合いたい。お客様と話したり、先輩方とお話してそんな気持ちをもって東京に帰り、手術に向けて入院する事となりました。


入院し、手術、退院まで

入院当日はMRIや血液検査はもちろん、ジストニアの症状の確認を動画で撮影されたり、どれくらいの重度なのかを検査、カウンセリングし、手術日の流れを確認して1日を終えました。
入院中は友人家族共に立ち入り禁止だったのですが、手術前日に沢山の方々から連絡を頂いたり、直接受け取れないものの頂き物をもらったり、、、感謝の気持ちでいっぱいで本当に頭を上げることが出来ません。
手術を迎えるにあたって、もちろん多少のリスクはありますし、局所麻酔で脳を開けて意識がある中で手術を行う為、恐怖はありましたが、それ以上にどうなってでもいいから今より奏者として機能したい、まだ楽器をあきらめたくない、もっといろんな音楽がしたい、、そんな気持ちを抱いていよいよ当日を迎えました。
あくまで術前も術後も私の実体験であり、記憶をさかのぼって記載しているので、参考程度に読んでいただけますと幸いです。

当日は絶食となります。朝5:30起床。体温と血圧を測定し、約2時間後に手術の為に使用するフレームを頭に装着するために局所麻酔を頭に4か所打ちました。恐らくこれが一番痛みとして辛かったと当時の私が日記に記しています(笑)
麻酔が頭に流れる感覚と副作用の吐き気と闘いながら手術の時間まで約5時間、ベッドでぼーーっと過ごしました。
お昼ごろに手術が始まりました。もちろん意識がある中で。人生で初めて手術中に「メス」なんて言葉を聞きましたし、意識がある中で脳を開けられて、そんな状態で楽器をもって指が異状なく動くか確認しながら焼いて、、私の場合は麻酔の副作用により、手術中も吐き気を感じていた為だいぶご迷惑をおかけしてしまいましたが、何とか無事に手術を終えることが出来ました。ここまで一緒に手術を乗り越えてくれた自分自身の楽器にも心から感謝しています。
術後は副作用の吐き気とフレームの痛みによってまともに連絡が取れなかったため、最低限の連絡を済ませて横になりました。
翌日には以前よりも指の感覚が取り戻せていることを確認し、10/22には退院しました。

局所性ジストニアの手術を終えて今

手術を終えて約1年、結果として症状は以前と比べてあからさまに良くはなりましたが、完治といえるかはよく分かりません。
勿論手術のおかげで今、演奏を仕事にすることが出来ています。
ただ、元の感覚に戻ったかというとそれは違う気もしています。
吹けなくなってしまった期間が長すぎたが故に、そのように感じているだけかもしれません。定位脳手術を受けて心の底から良かったとは感じていますが、今後楽器を続けていく奏者として、もっと
不自由なく吹けるようになりたいと考えています。
医学の進歩によってジストニアの治療法は増えてきています。
私もまだまだこの病気に向き合いたい、ジストニアになっても奏者として活躍できるという事を同じ病気、ないしはそうでない方にも伝えたい。その一心で、今でも副作用はありますが内服薬を試したり、今後注射も打ちに行こうと考えたりと、出来ることはやってみようと考えています。
ジストニアを発症してから、音楽業界からしても理解が難しいものですし、それによって間違いなく今までよりも友達は離れました。しかしその中でも見守って下さった方々から計り知れないほどの大きな勇気を頂きました。
私にとって楽器は生きる意味同然で、、だからこそ楽器が吹けなくなって友達も離れて、、消えたい、もう楽器をやめて音楽から離れた方が幸せなんじゃないか、と思ってしまうこともありました。
でもこうして続ける手段を選ぶことが出来て、、、本当にこの選択をしてよかったです。この選択を与えてくださった病院の関係者皆様と職場の皆様にお礼申し上げます。

これからは私も音楽を通して寄り添える人間になりたい、寄り添える演奏をしたい、また、音楽でない場面でも辛い思いをしている人に対して寄り添えるようになりたい、と強く感じております。
そう思えたのも、局所性ジストニアのお陰です。
本来ならばこの症状は演奏する上で現在影響ないならば公表するべきではないとも感じております。だからこそ、手術からだいぶ経っているのにも関わらず、なかなか公表できませんでした。
ただ、局所性ジストニアは稀な病気ではなく、いつでも誰でも発症するリスクがあるということを伝えていきたい。そんな思いを
もって公表することを決めました。演奏家に限らずです。美容師でもスポーツ選手でも事務員でも。誰にでもリスクはあります。
もしも周りに私と似たような症状を持っている人がいたら、その時は出来る範囲で今起きている症状を一緒に理解し、支えてほしいです。それだけで十分大きな支えになります。

どうか自分の実体験がどこかで生かされますように。
そして自分自身が今日もこうして音楽を続けられていることを心から感謝して、今後ももっと楽器と向き合い、説得力のある奏者になれますように。


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