名前を無くしてディアスポラ
卒業した高校は都内でも下から数えた方が早いような底辺高校だった。具体的には平成の世の中において隣の高校の生徒と喧嘩して退学になるという昭和の不良《オールドエイジ・アウトレイジ》のような奴が普通に存在しているぐらいの底辺っぷりだ。
しかし底辺高校の最大の特徴は喫煙率の高さでも中退率の高さでも進学率の低さでもない。進学校出身の諸氏ではイメージがつかないかもしれないが、底辺高校においては勉強をするという文化が蓄積されていない。勉強をしないことが当たり前の生徒ばかりが進学してきている。
これこそが底辺高校の底辺たる所以である。
真面目に勉強している生徒はダサくて、バカやっている生徒がCOOLだという風潮がある。だから底辺高校は大人が手を尽くしてもどうにもならず、いつまでも底辺なのだ。
そんな高校でも、毎年必ず大学受験はやってくる
ただ上記のような風土なので、勉強していい大学に進学しようとする生徒への風当たりは極めて強い。
ある初夏の日、授業間の休み時間に単語帳を見ていた同級生がいた。とても本校の生徒とは思えないほど真面目で優秀だ。
ただ周囲からしたら、特に学校の文化創造民族であるカースト上位層からしたら思いっきり風潮に逆らっている異常者だ。
「勉強している風ファッションやめろ」
「そんなに単語帳が好きなんか」
「ならお前の名前は今日からターゲットじゃ!」
異常者のことを参考書の名前で呼ぶことが決定した瞬間である。
数ヵ月前までのあだ名は桃太とゆっきーだったのが今やシス単とデータベースだ。青チャートになってしまったがっきー(新垣結衣とは対極にいるような巨漢)もいた。
数ヶ月前まではただの底辺高校だったのに今や、書店のバックヤードかと思うぐらい参考書の名前が飛び交うような教室に変貌した。ちなみに毎日書店の参考書コーナーに行っては買わずに立ち読みして帰っていたので丸善と呼ばれるようになった元・田沼くんもいた。
この一大ムーブメントは夏と秋を経ても収まることなく、12月頃まで続いた。なぜ卒業する3月ではないのかと言うと、支配者層の進路(主に専門か就職)が決まって学校に来なくなるのが12月頃だからだ。
教室で大っぴらに勉強できるようになるのは、年が明けてからになる。
おあとがよろしいようで。
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