アウトプットが苦手なわたしへ
昨晩かな、不意に気がついた。
私はアウトプットが苦手というより、インプットしたことが消化不良のままに渋滞を起こしているのではないかな。
「私はアウトプットが苦手、下手、発信が怖い」と、ここ数年そんな風に思っていた。また、「インプットの質も量も低下してしまって、そんな自分は空っぽ」とも思っていた。だから空虚なことを発信しても意味がないし、誰かにバカにされるかもしれないと思いこみ、さらにアウトプットしなくなった。
発したいことがないわけではない
最近、誰に宛てるでもなく、文章で残しておきたいことや、誰かに知ってほしい素敵なこと、それから、ちゃんとまとめて共有したい貴重な話し合いや学びが、自分の中にもちゃんとあるということに気がついた。
確かに数年前を振り返ると、そんな余白や充実した時間すらないこともあった。その頃は本当に空っぽだったかもしれない。けれども、少しずつ自分自身や自分の時間を大切にできるようになったら、ちゃんと発したいことがあるということに気がついた。
発したいことはある。あるのだけれど、健全なタイミングで発することができない、または、しないから、たくさんの"実は"発したいことが溜まって私の中で渋滞を起こしていたのではないかと気がついた。
発信には健全なタイミングがある
発信したいことが私の中で渋滞を起こしているのではと思い立ったのは昨晩のこと。シャワーをし終えて、体を拭いている時だ。我ながら、目から鱗のような発想だった。
私は、以前からとっても非効率なタイミングで、過去のこと(数ヶ月前や数週間前)の記録を残し始めたり、一部のSNSで発信したりする傾向があった。自分でもわかっている、「これ、今やることじゃないよ。」と。
例えるなら、テストを目前に控えて、部屋の大掃除を初めてしまう学生のように。書き終えて発信した後はスッキリした気持ちと、「やってしまった」という自己嫌悪と、両方が入り混じる。そしてやっぱり「これをするのは今じゃなかった」という確信は残り、しかしそれでも「今書かずにはいられなかった」と言い訳する自分もいる。
こんな状況になってしまうのは、実は"ずっと"「書きたい」「伝えたい」と思っていたことがあって、そのことが"ずっと"気になっているからだ。発信するタイミングを逸したものは、ゆっくりと腐敗して、ストレスや足かせとなる。そして、それらはどんどんと溜まり、渋滞を起こしてしまう。
そんな風に考えたら、私もやもや、長年の自分自身に対する疑問に対して光が見えてきた。
「もしかしたら、健全なタイミングで発することができれば、私もちゃんとアウトプットのできる人間になれるかもしれない。」
発信することへのためらいと諦め
ここで問題になるのが、発したいことを「ちゃんと発する」までのハードルが、私にとっては高くなってしまっていることだ。自分の中に溜まった感覚や考えを言葉にして(時には写真とともに)、体外に放出する力や作法は、筋肉と同じだと思う。使っていればどんどん発達して、全く苦なくできるようになる。しかし、使っていないとどんどん衰えて、少しの発信にも沢山の労力と時間がかかる。
この解決方法は一つしかない。ただただ、小さいことでも、評価は二の次にして、適切なタイミングで発し続けること。
私は「今やらなくてもいい理由」を考えるのが大の得意のようだ。しかし、それによって、これまでに沢山の「二度と戻らないタイミング」を逃してきたのだと思う。振り返れば、それによって失った人や信頼や素敵な学びや時間、知識の蓄積など、挙げればキリがない。
さらに、発信するということは、それを受け取った人に対して何かしらの影響を与える。プラスの影響もあればマイナスの影響もある。そして、本当のところ、私が一番気にしているのは「評価」だ。誰に怯えているのか、批判されることや、自分自身の評価が下がることをとても恐れている。
そしてここから発生する逡巡が、さらにタイミングを遅らせて悪循環になる。
周囲の人たちがよきタイミングで発信を続ける中、それができない自分に、そして、評価を恐れて怯む自分自身に、いつしか「アウトプットが苦手」というレッテルを貼るようになった。そうして「自分にはできないこと」とずっと、諦めていた。
発信したいんだ、本当は
ここまで書いてみたけれど、やっぱり私は書くことが好きだ。言語化されていなかったものが言語化され、形を持ち、私自身に返ってくることは、他では得られない充足感と喜びと、ほんの少しの悔しさを与えてくれる。(悔しさがあるのは、100%言語化できることはないから。)
今回、本当は好きだったはずの「発信すること」へのネガティブなレッテルを疑うことができて、自分の確かな欲求に気がつけてよかった。
おそらく、ここまでに記した不健全な習慣を変えていくことは、一朝一夕には済まないことだ思う。しかし、習慣はちょっとした工夫で無理しすぎずに変えることもできると信じている。
まずは、自分自身でハードルを下げて、楽しみながら発信の量を増やしてみよう。「恐れずに」とか「毎日」とか大げさに肩の力を入れすぎずに、ほんの少しの習慣の変化で。手が届かないものになりつつあった「発信すること」を私の側に置いておきたい。