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2020年10月座談会御書「一生成仏抄」に学ぶ

 今回の企画では、今月の座談会御書を、池田先生の指導を元に学んでまいりたいと思います。座談会で講義を担当する場合などの研鑽や思索の一助としていただければと思います。今月の拝読御書は「一生成仏抄」です。

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〈御文〉衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり
〈現代語訳〉
 衆生といっても仏といっても、また同様なのである(二つの隔てがあるわけではない)。迷っている時には衆生と名づけ、悟った時には仏と名づけるのである。
 たとえば、曇っていて、ものを映さない鏡も、磨けば玉のように見えるようなものである。
 今の(私たち凡夫の)無明という根本の迷いに覆われた命は、磨かない鏡のようなものである。これを磨くなら、必ず真実の悟りの智慧の明鏡となるのである。
 深く信心を奮い起こして、日夜、朝夕に、また怠ることなく自身の命を磨くべきである。
 では、どのようにして磨いたらよいのであろうか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これが磨くということなのである。

 「一生成仏抄」は、日蓮仏法の根幹の法理と実践が明かされた重要な御書で、富木常忍に与えられたと伝えられています。今回の拝読御文は、生命変革の実践である唱題行について鏡の譬えを用いて示された部分です。

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 外に出かける前に身だしなみを整えることを想像してみてください。私たちは鏡に自分の姿を映すことによって、自分のありのままの姿を見ることができるからこそ、身だしなみを整えられます。しかし、鏡では自分の心(一念)の状態・生命の姿までは見ることはできないので、生命の状態を整えることはできません。

 本来、私たちの人生に起こる様々な出来事は、自分自身の生命が、鏡に映ったようなものといえます。しかし「生命の鏡」を知らない多くの人は、人生を自分の生命の反映として見つめることができないため、自分の姿を見て身だしなみを整えるようには、自分の生命を見つめ変革することで、現実を変えていくことができません。

 今回の拝読御文は、この「生命の真実を映す鏡」こそ御本尊であり、自分の生命を見つめ変革する実践が唱題行であることを示されています。

 池田先生は、次のように指導されています。

『御本尊こそ、宇宙全体をありのままに映しだす明鏡中の明鏡であられる。この御本尊を拝する時、わが生命の本来の姿(実相)を観(み)、仏界を涌現できる。
 私どもの信心の一念は、そのまま御本尊に映り、大宇宙に反映される。これが一念三千の法理である。(中略)
 ゆえに、ともかく「心」が大事である。信心の一念は微妙である。
 たとえば、勤行や広布の活動で、時には「ああ、いやだな」と思うかもしれない。その心は、そのまま鏡のように大宇宙に映しだされる。いってみれば、諸天のほうでも「ああ、いやだな」と思う(笑い)。これでは諸天善神の本当の力は出ない。
 反対に、何事も、「また福運を積んでいこう」と喜んで行えば、諸天も歓喜し、勇んで動きだす。どうせ行動するなら、そのほうが得である。
 また「時間のムダではないか」と思う一念で仏道修行すれば、その不信や愚痴の心が功徳を消してしまう。その結果、当然、功徳が自覚できず、「やっぱりムダなんだ」と、変な“確信”を深めたりする(笑い)。悪循環である。
 「本当だろうか」と疑いながら信仰しても、その弱い一念が宇宙の鏡に映って、あいまいな結果になる。強い確信に立てば、福徳は無限大である。
 ともあれ、こうした微妙にして厳然たる信心の「心」を、自分でコントロールしつつ、すがすがしく開いていくことである。そうすれば、わが人生も、境涯も広々と開ける。一切が功徳に満ちた生活になることは間違いない。
 この“一念の微妙さ”を会得できるかどうかが、信心の要諦であり、そこに一生成仏のカギがあるともいえる。』   【『池田SGI会長指導選集 幸福と平和を創る智慧』(2-6)「御本尊は生命の真実を映す鏡」(アメリカSGI婦人部研修会でのスピーチから、1990年2月27日、アメリカ)】

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 それでは、自分の一念を変革する具体的な実践は何か。大聖人は「深く信心を発して」そして「日夜朝暮に又懈らず」と2点のポイントを挙げられています。

 ポイントの1つ目は「深い信心」を起こすこと。ここでは、祈りについての池田先生の指導を確認します。聖教新聞でも、たびたび引用される多くの同志が心に刻んでいる言葉です(最近では、9/30の体験、10/3の紙上教学研鑽で引用)。

 『祈り――それは、あきらめない勇気だ。自分には無理だと、うなだれる惰弱さを叩き出す戦いだ。“現状は変えられる! 必ず!”。確信を命の底に刻み込む作業だ。
 祈り――それは恐怖の破壊なのだ。悲哀の追放なのだ。希望の点火なのだ。運命のシナリオを書きかえる革命なのだ。
 自らを信じよ! 卑下するなかれ! 卑下は仏法への違背だ。胸中の仏界への冒涜だからだ。
 祈り――それは我が生命のギアを大宇宙の回転に噛み合わせる挑戦だ。宇宙に包まれていた自分が、宇宙を包み返し、全宇宙を味方にして、幸福へ幸福へと回転し始める逆転のドラマなのだ。
 人間は人間――その人間の可能性の扉を次から次へと開いていく《鍵》(キー)が祈りなのである。』       【『我がふるさとは世界』第26回 2004-10-10付聖教新聞】

 生命を変革するポイントの2つ目は、唱題の持続です。題目を唱え抜いた人には、誰もかないません。

 私たちは、どこまでも日夜朝暮にたゆまず題目を唱え、勝利の人生を築いてまいりましょう!

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