なぜ不軽菩薩の名前は否定形なのか?
【2020/07/26 MNW部オンライン部活から】
今回の企画は御書「諫暁八幡抄」の研鑽です。
池田先生が「大白蓮華」で連載されている『世界を照らす太陽の仏法』ですが、その第1回が「諫暁八幡抄」の講義です。今年5月3日に発刊された『世界広布新時代の指針』の1番目にはこの御書講義が収録されています。
世界青年部総会の開催に向けて、「仏法西還」の未来記を明かされた、この御書がぴったりだと思いましたので、今回選ばせていただきました。
「諫暁八幡抄」は弘安三年(一二八〇年)十二月、身延において認められ、門下全体に送られた御書です。
再度の蒙古襲来が切迫するなかで、前月の十一月には、鎌倉幕府の守護神とされていた八幡大菩薩の社殿が焼けて亡くなるなど、物情騒然としていた時代です。
一方、「熱原の法難」に見られるように、大聖人門下への迫害は止むことはありませんでした。その渦中にあって、大聖人は厳然と広宣流布の大闘争の指揮を執られていたのです。
今回は、御書で14頁ある「諫暁八幡抄」の最後の5行分を2つに分けて学びます。
本抄では、月と太陽の動きに寄せて、過去の「仏法東漸」と、未来の「仏法西還」を譬えられています。
日没後、夜空に月が輝き始める位置は、毎日、同じ時刻でみると、一夜ごとに西から東へと移動していきます。この月の動きは「仏法東漸」と重ねられます。インドに出現した釈尊の仏法は、正法·像法の時代に、西から東へ伝わり、日本へと伝来しました。
一方、末法においては、東天に昇った太陽が西へ移っていくように、大聖人の「太陽の仏法」が西へ還り、全世界を照らしていくのです。これを「仏法西還」と言います。
ここで大聖人は、末法には「法華経に反発する強敵が充満するであろう」と言われています。
「法華経」は、いかなる人も本来、仏性(偉大な仏の生命)を具えた尊極の存在であることを明かしています。生命本来の輝きと無限の可能性を信じられない、無明から生ずる無知こそが「法華経謗法」の本質です。
この根源的な生命軽視、人間不信との戦いが、折伏であり、根本の苦悩の因を取り除こうと誓った最高の慈悲の実践です。それは同時に、無明を破る反動として三障四魔や三類の強敵を呼び起こします。法華経において、この不惜の誓願を体現したのが不軽菩薩です。
大聖人が模範として挙げられた不軽菩薩について、なぜ「不軽」「軽んじない」という否定形の名前になっているのでしょうか?
人を軽んじることがない、人を敬う菩薩なので「人間尊敬菩薩」とか、縁するすべての人々の仏性を礼拝するので「仏性礼拝菩薩」といった名前の方がストレートな気がします。
僕は「人を軽んじる」ことの方が、人間が陥りやすいの傾向であるため、あえてそれを否定することを強調するために、「不軽菩薩」という名前になったのではないかと考えました。
他人を軽んじる例として、「不軽菩薩」が受けたような直接的な暴力は身近でないと思いますが、言論の暴力や、貧困や差別といった構造的な暴力、自分の傲慢さから上から目線でマウントを取ったり等、色々な所で広く見られます。
また、自分を軽んじる例として、自殺まではいかないとしても、他人と自分を比較して卑下してしまうこと、「どうせダメだ」と諦めてしまうことなどは、よく身に覚えがあります。
このように自他共に軽んじてしまう傾向があるからこそ、「不軽」を意識する必要があります。
また、折伏の実践でも「不軽」の姿勢は重要です。
もちろん折伏そのものが不軽の姿勢でもあるのですが、相手に“仏法を教えてあげよう”という上から目線では、相手は本能的に身構え、壁を作り、真っ直ぐに話を聞いてくれないかもしれません。
また、自分に自信がなかったり、「できるわけがない」と先入観を持っていると、本来は伝える力があっても、その力を発揮することはできません。
(補足ですが、心理学の実験では、学校の生徒を成績に関係なくランダムに2クラスに分け、優秀なクラス、ダメなクラスとレッテルを貼ると、テストの結果も本当にそうなってしまうそうです。生徒自身の先入観や教える先生の先入観が影響を与えていると思われます。)
そのため、自他共に軽んじない「不軽」の実践が、重要になってくると言えます。
世界青年部総会の開催に向け、そして来年の新版御書発刊に向けて、行学に励んでまいりましょう!