泣く子は泣いて育つ。
4月も終わるなぁ!あとコレを3回繰り返したら今年も終わりですね。良いお年を。
4月テーマについて、滑り込みで書く。『幼少期の思い出』とのことで...。
因みにみんなの人生で最古の記憶は何でしょう?
私は幼稚園の体育館で、大きなレゴブロックに車輪がついたおもちゃを、全力で押し走りながら友達に正面衝突し私だけ泣いた。と言うのが最古の記憶。
あのおもちゃ好きだったなぁ〜。とにかく全力で走ってあちこちに正面衝突(故意的に)して一人で泣いておった。
あとは『野球』どこまでが幼少期に入るのかはググってないから分からないけれど、野球を始めた小学校3年生の話。野球を9年やっていたもんだから、人生の18才までの時間のほとんどを野球に費やしてきた。
好きでやっていたんだけど、というか、親からずっと野球一家だったしおじいちゃんと遊ぶ時はいっつも野球だったし、甲子園か巨人戦がテレビでずっと流れてたから、野球にハマるのは必然で。
ずっと野球をやってきて、思い出と言えば野球のことばかり...小学3年生で野球を始めて、正面衝突して泣く子だった私は野球を始めてもすぐ泣いた。用は泣く子だったのだ。すぐに泣く。三振したら泣く。ピッチャーだったからストライク取れないと泣く。負けて泣く。なんなら負けそうになったら泣く。それは嫌だったからではなく、悔しくて毎回泣くのだ。
ただその悔しいも大きくなりすぎて、野球を辞めたいと泣きながら父に伝えた。でも父はその理由では辞めさせんと。
『泣く限りやり続けろ、泣けなくなったらやめろ』
そう言われた(多分)(父が覚えているかは分からないが...)意味として、悔しくなくなったら辞めなさいってことだったのだと思う。
意外とこれが今の人生、ずっと心に残っていて、今の仕事も、ほかのことも、自分が大事にしているものほどうまくいかないと今でも私は良く泣くのだ。
そう思えている内、それほど思えることは熱中出来ている証拠は、幸せなのだと。そう感じている。そんな思い出を思い出した。
※今ググったら幼少期は小学校に入るまででした。正面衝突の話で許してください。