30年後どうなっていたいか|24.2.17. diary
今日は仕事だった。たくさん働いた。
東中野のイタリアン、窯焼きオムレツ美味しそう。
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意志が弱く、風にさらすと簡単に揺さぶられてしまので、人にあまり自分の話ができない。
もうお花とかトカゲとか、そういうものに悩み聞いててほしい、あわよくば解決してほしいと願うけど、お花はお花で、トカゲはトカゲなのでそれは無理。
10年後、30年後、どうなっていたいか、自分に問うてみた。そんなのわかんねえよ派として、避けてきた問いに、挑むことにした。
結果、自分は、芸が好きなことがわかった。
グーグルの最初に出てきた定義によると、”修練して身につけた技能。学問。技術。わざ“。
餃子を包むのって無限にできるし、プチプチおみせっち大好きだったし、バンドの合わせ練は80歳になってもしたい。うん、修練が好き。今までの趣味ものも、括れば芸。お笑いとか音楽とか。
思春期の頃にはさほどなかった、生きたいとか幸せになりてえ!という気持ちが、ここ数年で芽生えた。欲は人を傷つけるものだと思っていたけど、欲は幸せになる推進力になると学んだ。
だけど、欲は疲れる。あらゆるものとつながってしまう。可能性が無限にある。さほど経済力のない(そしてさほど望んでいない) 立場では、どれを選びとればいいのかと混乱する。どうしたいかなんて、今を見るかと未来を見るかで変わるし、その日会う人や気分や天気によって揺らぐし。
先を見通すことで、どの欲を選べばいいのか、指針がみえた。無理に聞く必要のない声を聞き分けられる気もする。未来に対する嫌い貯金が、少し減った。
50歳のわたしは、陶芸をしながら、猫と暮らしている。