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かっこつけがかっこいい

*本来ならばもっとこじをつけるんですが、まあ単位も来ないしということで相当適当に論を進め、相当話が薄くなってしまいました。大目に見てください。

*色団ってのはこの動画の30秒くらいからドンパチやってるやつです。俺を探してみてね⭐︎

こんばんは。

数か月前、筑紫丘高校の運動会をめぐってたくさんの人たちが意見を交わしていました。

正義と正義のぶつかり合いが争いを生むのだなあと。本当に面白かったです。

まあなんていうかさあ、よくも悪くも高校に固執してる人が多いっていうか

こんな言葉がツイートされたのももう数年も前ですか。時が経つのは早いですね。


さて、何故僕が今回拙いnoteをしたためるに至ったか。
一つには、上述の、運動会についてのあーだこーだがあった際、高校時代最も仲の良かった友人の一人に「大森の色団に関するnote楽しみにしてるで。」と言われたことでした。相変わらず彼の関西弁には腹が立ちますが僕は彼を尊敬しています。逆の立場で、僕が彼に色団に関するnoteを書けと言った場合、彼はその文章を自信満々に仕上げてくるでしょう。その行動力と自信に僕は憧れています。そこで一念発起、自分も本当に書いてみようではないかと思ったからです。そして本気で応えることが僕なりのボケです。しばらく間を開けてしまったことをここで詫びます。


そして二つ目に、運動会を通して学べたことをシェアしようと思ったからです。
やはり自らの手の内はさらけ出しておくべきなのが世の平和、安寧のため。
将来的にオンラインサロンを開き、たくさんの信者に囲まれながら会員の会費だけで生活することを夢見る僕にとって、今回のnoteは非常に意義のある、偉大な一歩の始まりなのです。


ただし期待している方に注意してほしいのは、この文章は決して、一連の流れのような、運動会や高校に対する批判ではありません。運動会の話をベースに、僕の伝えたいことを汲み取っていただけたらなと思います。


それでは運動会の少し前から話を始めます。
高3の春、僕はクラスでは孤立していました。休み時間は常に席に突っ伏していました。見た目では完全にスカしていますが心の内は、“誰か話しかけて”。それを悟られないように周りには目もくれずイヤホンで音楽を聴く。ハスってます。
そんな状況の僕が部活でやっていた陸上で、県を抜け九州大会に進みました。まじでテンション上がったのを覚えています。等身大のことしか目指そうとしなかった僕が、ビックマウスにはなれない僕が、人生で初めて全国という舞台を目標に、それを口にできるようになった日々でした。しかし九州大会当日、あと数センチというところで、目の前で全国大会への道を逃しました。
それはそれは非常に落ち込みました。高2では全然部活に行かなかったとはいえ高3の僕には部活だけが救いでした。クラスでは楽しいことのない、僕の唯一の学校へ行く目的でした。ああ、高2で辞めないでよかった。
そんなオアシスが急に終わりを告げたわけです。あの頃の僕のアカウントは残っていませんが学校行きたくないとかツイートしてた気がします。
僕は学校への行き甲斐をなくしてしまいました。これが6月中旬のことです。
6月といえば三年生は運動会へ動き出します。リーダーズを決めますよね。同じクラスの某A君がかっこつけるのがクッソイライラするので同じリレー長に立候補したものの、彼と話し合いたくないからという理由で立場を譲ったのとはまた別の話です。
ちょうど腐ってた僕に同じブロックの団長から誘いを受けました。
「応援団やらん?」
この辺は端折りますが、そんなこんなで応援団をすることになりました。
下の文章を読むにあたって、じゃあなんでやったんだよって思う方がおおくいらっしゃると思ったので簡単な経緯を説明しました。いわゆる“埋めようのない寂寥感”を紛らわすためです。

応援団をやるといったはいいものの、いざ練習を始めるとそれが僕にとっては苦でしかなりませんでした。
そもそも以前の僕は、自ら目立とうとしたり、人前に出て何かしたりするのが苦手なタイプでした。そんな僕が応援団ですから、なぜ人前に出てあんなかっこつけの権化みたいなことをしなければならないのか。練習ですら、やっている自分が本当に恥ずかしくて仕方なかったのを覚えています。それに、イケてない人があんなことしてもただただサムイだけだろうと思っていました。全員きっしょいなあとも思ってました。唯一認めていたのはH爪君だけです。
練習中も文句ばっかり、真剣に練習しようとしないものですから当時のメンバーとはあまりうまくいってませんでした。写真係がメンバーの写真を撮ってるのに僕が写ってる写真は何枚もなかったかな。なんなら集合写真にも俺写ってなかったよね。(あれ、Y﨑くんもだっけ??)
どんなに練習を重ねたって、なんでこんなことやってんだよ、恥ずかしいなあ、だりーー、なんだよこいつら、かっこつけんなよ、そんな言葉がずっとぐるぐるしていたように思います。


結局最後までこの状況が変わることはなかったです。
そんな僕が本番が終わった後にひと夏を超えたことによる感動で号泣したのもまた別の話。

ここまでが自分語りです。読んでくださりありがとうございます。気持ちよかったです。

では、ここから話を一般化させます。

「かっこつけること」を僕は嫌っていました。しかし、それは自分に自信がなかったからというのもあります。換言すれば、自己肯定感が低い人間でした。
幸福な人というものは基本的に自分に自信を持っています。別にそれは誰が見てもかっこいいかわいい、とか頭がいい運動神経がいい、とかではなく、自分の行動に対する自信です。自己肯定感が高いということです。何をやるにも肯定的な目線で見ていて、人のいいところに注目できるような、人を卑下したり比べたりしない人たちって素敵ですよね。そういう人は絶対に自分の人生を楽しんでいます。
かっこつけられるくらい自分に自信を持たばこそ、楽しい人生になるんじゃないでしょうか。

考えてください、モテる男というものは自分に自信を持っています。彼らは自分のペースを信じ、堂々としています。堂々と立ち振る舞っているからこそモテます。そしてそれが自己肯定感に繋がって…まさに正のスパイラル。
このメンタルセットは非常に重要です。でないと一女を食う三男にはなれません。一年後は頑張るゾ!
色団っていうのは、かっこつけ練習の場に最適ですよね。自信をつけるにはうってつけの機会です。
もしあの頃僕もせい!とかはっ!とか言えてればきっとモテモテであること間違いなかったでしょう。それに、全力でチアの子たちに近づいていけばよかったと思っています。


自分なんて、こんな自分、そんな言葉がきっとあなたを窮屈にしています。誰も卑屈なあなたなんてみたくありません。どうせなら楽しいほうがいいでしょう?ほら、自信をもって、道中のかわいいあの人・イケメンに声をかけてみてください。

初めのうちはきっと一蹴されるでしょう。しかし何度拒否されてもあきらめず、泥臭くも懸命に、自分を信じ続けることでおのずとLINEを交換できるはずです。

変わりたい自分がいる。そんなあなたにこのnoteを贈りました。


まとめます、かっこつけがかっこいい