見出し画像

私という激レアさんに私という研究員がラベリングしたら26年間のもやもやがスッキリした話。

思い込みの蓋をとり
本当の自分を過不足なく理解すること

さくちゃんさんがいつかのnoteで言っていた。

2019年になって緩く、深く考えていた。
この、自分の中に沸き起こる何かが足りないという不足感はなんなのだろうと。

ただひたすらに小さい頃のことを思い出して箇条書きにしてみたり、
こんな事が楽しかったとか好きとか嫌いとか

総合的に、自分にはどういう要素があるのか、検討したけど

しっかりしてると言われてた以外なかなか答えは出なかった。

しっかりしてると言われていたからなんなんだ?

------------


その時はある日突然やってきた。
彼氏と揉めて
行きつけの赤提灯で常連さんに愛のある説教をしてもらい、
自分のニーズに合わない人に好かれることがわかり

彼と話している間に
この人は、わたしのことしっかりしてると言うけれど
わたしのしっかりしてる部分と
この人がわたしに無意識に求めているしっかりしてる部分はなんだか違う気がする。ということが
いまいち恋愛初期に世界が色付かない原因だということに気がついた。


そして翌朝。
自分はちゃんとしてたくないんだと気がついた。

そしたら急に羽が生えたように心が軽くなり
月曜日特有のすこしピリッとした空気の明治神宮前駅で
1人、ニコニコしたい気持ちと今にも溢れそうな涙がこぼれないように耐えた。



-------------

私は小さい時から
しっかりしてた。

ような気がする。

というより、
しっかりしてると言われていた。

ような気がする。


両親、兄妹、先生、
いわゆる周りの大人から
しっかりしてると言われていた。ような気がする。

幼稚園でトラブルがあり泣いてる子がいると
泣いてる子に声をかけたり、
先生にあの子が泣いてると教えてあげたりしていたらしい。
これは、ついこの前実家の両親と夕飯を食べていた時に言われた。



自分でまったく覚えてないけど、
きっと他人の面倒を見るのが好きだったんだと思う。



よくよく思い出してみれば、近所のちびっ子たちがいつも集まってきて
みんなまとめて、親には出来ない体力勝負の遊びをしたりして、けど自分自身は面倒をみてる気はしてなくて、
純粋に楽しくちびっ子と遊んでいた。



大人になった今も、
なんだか分からないけど世話を焼き過ぎる自覚はあった。
相手の困っているところやこうしてほしいんじゃないかという部分を
なんだかいつも感じ取っている自分がいた。

きっと、これは面倒見がいいという長所。

母の手伝いもよくした。
我が家で食器の位置や、ストックの場所をちゃんと把握してるのは
母と私だけだった。

好き嫌いも基本なく、
ナスが嫌い、ピーマンが嫌い、トマトが嫌い
1つだけは食べなさいと夜遅くまで
涙で塩味をつけながら野菜たちと対峙する兄を横目に
私はもりもり野菜を食べた。


怒られたくないなら、泣きたくないなら
一個食べるくらい。
飲み込むなんて一瞬なのに。

なすの食感。なすはこうなんだなー

ピーマンの苦味。ピーマンはこうなんだなー

トマトの皮と中身のギャップ。トマトはこうなんだなー



周りが困難としてる事でも、
そういうものだとまるっと理解することができた。



周りの大人にとってわたしは
聞き分けのいい、
いい子だった。

ような気がする。


こんな出来事から
世話焼きで面倒見が良くて物事をまるっと大まかな部分で理解して行動できた点が


周りの大人から
しっかりしている。
ちゃんとしている。

と、ラベリングされていたことがわかった。



このラベルがわたしにとっての思い込みの蓋だったことに気がついた。
強調して書いた、ような気がする。の部分だ。


そしたら、不足感がなくなって、
ちゃんとしなくていいんだと分かり、
今までの失敗や気になっていたことがそれこそまるっと理解できた。


自分で自分のことを過不足なく理解するためには
今まで信じて疑わなかったことの後ろに

のような、気がする。

をつけてみたら、いい感じに伏線を回収することが出来た。


伊坂幸太郎とさくちゃんさんと
オードリーの若林研究員を
心の底からすごいと思った。



思い込みの蓋をとり、
まだ1つの側面だけど、
自分のことを過不足なく理解することができた。


彼とは依然として揉めてるけど
私にとっては
革新的な出来事になった、ような気がする。笑






#伊坂幸太郎 #サクちゃんさん #オードリー #若林 #激レアさん #長女 #中間子 #みんな聞いて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?