なぜ私は【はるばらぱれ】を聴くと泣いてしまうのか
生配信も積極的に見るわけではない(粗品に限らず生配信が苦手)、ライブもタイミングが合わず全敗、しもふりチューブと粗品の個チャンを視聴し、ANNを聴いているだけの所謂『カス』に属しており、『粗品さん』には何も貢献できていないが、引きでファンをさせてもらっている。
ネットニュースで話題に挙がる彼はきっと「不躾」で「天狗」で「傲慢」に映っていると思う。どんな姿であろうと彼は結局自己プロデュースが上手いのでそこは今はどうでもいい。私が彼の自己プロデュースに踊らされていたとしても、仮にネットニュースどおりの人間だったとしても、このnoteにおいては本当にどうでもいいこととなる。
私は彼のことを全て知ったような口を利かず、あくまで画面の向こう側の人間かつパフォーマーであることを踏まえた上で、なぜ私が彼の曲で泣いてしまうのか考えたいと思う。これは歌詞解説noteではなくただの私の感情整理のためのnoteである。
そもそも私は粗品のピンネタ、そして霜降り明星の漫才が好きだったが、音楽活動についてはそれほど追いかけていなかった。
(学生時代にハマっていた反動によりボーカロイドから距離を置いていたのが大きな理由だと思う)
ある日、このnoteの主題となる「はるばらぱれ」のMVがYouTubeにて公開されたことを知った。
ボーカロイドの誰かではなく粗品が歌っていること、また粗品が家族について歌っていることはサムネイルでなんとなく察したが、すぐに聴こうとはならなかった。
メディアにおいて本人の口から語られる彼の家庭環境と家族愛が乗った作品は、きっと私のコンプレックスをグサグサと刺激してくるだろうと思い、ひたすらに避け続けていた。
そんな曲を聴こうと思ったきっかけは何だったのか分からない。その時たまたま精神的に余裕があったのか、粗品のことをもっと知りたいと思ったからなのか、あるいは自己憐憫に浸りたかったり、自傷の思いもあったかもしれない。
私は片親で一人っ子の生まれだ。粗品もお父さんを亡くされているので『今の』家族構成は一緒だと思う。けれど粗品とは違い、私はひたすらに親と仲が悪く、家族のことが好きかと聞かれると「昔は好きだった」としか答えられない。わだかまりの原因はいくつかあれど、端的にいうと不信感・人間性の違いだが、ここは深く言及しない。
ただ、人を亡くす経験はしている。大好きだった曽祖母と、祖父だ。
粗品がお父さんを亡くされたような季節に曽祖母も祖父も亡くなった。曽祖母も祖父も、逝去した年は違うが、どちらも嗚咽するほど泣き、粒ほども泣いてない親族を見て怒りを覚えたりもした。喪失感で(長期ではないが)学校に通えない日もあった。
長々と前置きをしたがここでやっと歌詞に触(ふ)れる。
ベッドのへりまで登って 頬をすりよせて 泣いたなあ
【はるばらぱれ/粗品】
正直、粗品が曲中でこんなに当時の状況を吐露してくれると思っていなかった。お父さんの事が大好きなのはメディアの発言の端々から伝わってきてはいたが、当人が死別の話を重くならないように話す傾向があったからだ(当然、芸人が故にだと思うが)。
この引用部のワンフレーズを聴いたり、文字で読んだり、MVを観たりすると、どんな状況にあったとしても我慢が難しいほど涙が溢れてくる。散々ぱら家で泣きすぎて、味のしないガムのように『もうこの曲では泣かないだろう』と思っても。地下鉄に揺られながら、またアットコスメ新宿で買い物をしながら、隠れて泣いた。2024/8/9の令和ロマン代打のANNの中でも流れてきて、「もう泣かせるなよ!」と怒りながら泣いた。
はるばらぱれを聴くと脳裏に浮かぶのは、曽祖母との記憶と親との関係だ。
曽祖母が老衰で記憶も衰えていく中で親族のことを忘れても私のことは最期まで忘れなかったことと、冬の寒さで冷たくなった指、脂肪が落ちて骨が目立つようになった手の甲、乾燥せずすべすべと、蝋みたいな触り心地の手のひらの感覚。
私ができる限り最後(心拍停止時には立ち会えなかったのでこの表記)まで曽祖母と居たように、粗品もお父さんとの残りの時間の経過を憎んで泣いたと思うと涙が溢れてしまうのかもしれないと思った。
同時に、親不孝者なのは百も承知だが、親の死に目に会わないことと葬式に出る気がないこと、そこまで歪んでしまった親子関係についても頭をよぎる。母親のことを大好きだった期間があるからこそ、思い出が残っているからこそ、「愛されていない現実」が余計に辛くさせる。
(※親と仲が悪いという話をすると「話せば分かり合える」勢が一定数出てくるが、向こうから嫌われている限りどうしようもない。とりつく島もない。まして子の不出来(人間誰しもある欠点のようなレベル)を悪口のテイストで広めていく親にどうして信頼感を募らせることができようか。)
今後親と仲直りできる機会があったとしても、長年培われた「嫌われている」という固定観念・刷り込みがある以上、病床に伏している親に頬を擦り寄せて気持ちを伝えることはもうできない。その事実が単純に辛く、泣いてしまうのだと分かった。
この曲ではサビで「一瞬戻って来ないかな」「少しで良いから喋りたいな」「お酒飲めるようになったよ」「悩みを聞いて欲しいな」など、父親とやりたかったことがいくつも羅列されるパートがある。……正直言って、案の定ここが一番すごくすごくすごくコンプレックスを刺激される。
上述した曽祖母や祖父と、喋りたい気持ち・会いたい気持ちが無いわけではないが、『一親等』の重みが違う。
親とは絶縁と言っても過言ではない状態の関係性なので、親が仮に死んでももう知ることはできないことと、仮に死んだことを知っても「一瞬戻ってきてほしい、少しでいいから喋りたい」という気持ちが一切湧いてこないという事実が心の奥の方をぐちゃ、と泥濘ませる。
「愛されたかった」願望が満たされないままの内側の自分が、素直に「会いたい」と言え、思いを綴れる彼のことを羨ましいと思う。「悩みを聞いて欲しい」については、何故か親のことを好きだった自分が顔を出す。「愛されたかった」願望の中に含まれているのかもしれない。
きょうだいも親も親族も居らず、孤独をひしひしと感じる日々に、粗品の「愛が存在している上での寂しさ」が良くも悪くも滲みてしまった。
電話での心配 面倒に思ってしまってごめん
両親があの時 恋に落ちてくれて 本当に嬉しい
【はるばらぱれ/粗品】
こんな純粋な気持ちがあるのか。粗品のお母さんはご存命で、この曲を聴く可能性が大いにある中で「両親が恋に落ちてくれて嬉しい」と綴れ、歌い上げる彼は本当にすごい。両親への感謝と自己肯定がここのフレーズに詰め込まれている。
私は希死念慮と共に半生を過ごし、「いつ死んでもいい、自分に価値なんかない」と思って生きているが、はるばらぱれには真っ直ぐに生まれてきた喜びが書かれている。仮に粗品が賞レースで成績を残していなかったとしても粗品の中には自己無価値観が生じていた可能性は低そうだと思った。妬みや皮肉なんて一切ない。粗品がこの歌詞を書いてくれたことはとても嬉しい。
この曲は最後に「あなたの自慢の息子より」という一節で終わるのだけれども、それを言えるほどの結果、生き様が培われているからこそ叩きつけられるものだと思う。
粗品の人生は知らない。本当の粗品も知らない。
はるばらぱれは綺麗な家族の愛情と、私の生育環境の差をまざまざと見せつけてくる。
だからといって粗品のことを妬んだりすることはない。
粗品はかっこいい。過激な発言をすることはあれど、彼は彼の中の「ダサさ」に抵触するようはことはしないと思っている。それが「あなたの自慢の息子」に繋がっているんだろうなと思った。
私は自慢の娘ではない。やっと、生きていてもいいんだという自己肯定を時間をかけて矯正している最中で、何かに縋りながら、しがみつきながら、やっとの思いで一日一日を乗り越えている。
愛されなかった事実は変わらない。好きだった曽祖母や祖父にも会えない。私はまたこの曲を聴くたびにまた何度も涙を流すと思う。私が一人でも大丈夫だと思えるまで、この曲にはずっと寄り添ってもらう。