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自分でレシピを作る-サイアノタイプ

サイアノタイプ をやってみた記録。
サイアノタイプ は、青写真と呼ばれるもので、薬品を塗った感光紙(紫外線に反応する?)に直接像を焼き付けるから、カメラを使わないで写真をとれる方法だといえる。
感光紙の上にものを上に置いて日光に当てると、ものの影だったり、光が当たらないところは白くなり、光が当たったところは青になる。
それを水洗いすれば像が出てくるんだけど、日光量や感光時間、水洗いの時間とかのいろんな条件で結構大きく仕上がりが変わるからとても難しい。めっちゃ失敗しました。

⭐︎初挑戦の日

もう紙に薬品が塗ってあるサイアノタイプのキット的なものを買ったので友達とためしてみた。

天気 とてもはれ 暑い
感光時間 10分

ものをならべる。10ぷん放置
像が出てくる。水洗いする。
さっきより青くなっていく…
あれ…あんまりはっきり見えない

想像よりコントラストがない。
なぜだろうと考えた結果、感光時間が長すぎたと気づく。

感光時間5分で挑戦。いろいろな環境に左右されるらしいので、青くなりすぎた原因がはっきりとわからず、感光時間こんなに短くていいのかなとそわそわ! 
そしてできたものがこちら

おお!

しっかり像が出ました。
水洗いもしっかり時間を置いてやるとよさそう?

扇風機の影でもやってみた。


おお!
1回目の挑戦での成果たち。
感光時間が長いやつはもう何も見えない。


⭐︎釧路実践

サイアノタイプは、目に見える形で直接にものの光の情報が焼き付けられていくから、ボタン一つで液晶に風景が映し出されるスマホなどの撮影よりも、そこにそのものがあった、確実に存在していたんだ、ということを実感できるんじゃないか。
シャッターを切る撮影よりも、時間をかけて、捕らえる感がある。

私が欲しいのは、実感(実際に私が目で見て触れたということが事実として感覚的に残っている感じ)であるから、私がやりたい記録にぴったりなのでは?

そこで、釧路でやってみることにする。

残したい!と思った風景があったときに感光紙をカバンから取り出して、焼き付けてみる。
そして、それはしまっておいて、帰宅してから現像する。(感光から現像まで時間がかかって良いのかが不安でしたが、写真に詳しい先生に聞いたところ、大丈夫そうでした)

結果を先に言うと、めっちゃ失敗した!
原因として思い当たることが多すぎて、とりあえずもっとサイアノを練習しないといけなさそうです。

わたしがのこそうとした景色①

喫茶「ん」の窓辺の席での気分

ここの内装とか、座った席とか、私にとって完璧の喫茶店だった。

喫茶「ん」は名前に惹かれて入った。
住宅街の中にあって、とても静かだ。
入った瞬間、ママがカウンターでタバコを吸いながら作業していて嬉しかった。
窓辺の席を選ぶと、日差しが柔らかく入ってきて、うれしい。
これを記録しないとと思って、感光紙をおいた。

こんなかんじ。
あんま見られると恥ずかしいので、どきどきしながらすごいこっそりおいた。

カウンターではママとおばさんが世間話をしていて、途中から小学生の女の子が入ってくる。足が痛いみたいな話をしていて、女の子はおばさんに自然と甘えていて、ママがあたたかくみつめる。
きっとみんな親戚なんだろう。私が働いてる喫茶店もこんな感じだ。
ママとおばさんは、スーパーでの特売の話しをしていて、それも私が働いてる喫茶店でよくみる景色でおちつく。
みんなこんな感じなんだ。

とか考えていたら、気づく。
これ、光がどんどんずれていってる。
太陽の移動では説明できないくらいの速さで、窓辺の光がずれていってる。
感光紙にやきつけられる前にずれられると、困る。記録できないから!

感光紙を覆っていた光はここまでずれた。

光が弱かったのか、感光がじゅうぶんにできていない。感光すると紙の色が変わるのでわかるのだ。
こまったなあー。

すると、ママがいきなり、きっと家庭菜園でそだてたような白とうきびとえだまめをくれた。「よかったらどうぞ」とさらりとくれた。嬉しい!

しろとうきびは初めてたべた

これは喫茶店あるあるで、喫茶店のマスターやママさんは、おやつとかくれる人が多い。やさしいのだ。それだけでいい街に思える。いい気分。サイアノタイプ は絶対失敗してるけど。

わたしがのこそうとした景色②

釧路はなかなかゆったりとした街並みなので、観光地らしい観光地もそんなになくて、院生みんなで海に行ってぼーっとする時間があった。

天気がよい

この海の景色の中で、サイアノタイプ に記録できそうな影を探すと見つけたのは、縄。
それと、その日に買ったアイヌ工芸品と、釧路の日本酒「福司」のワンカップ。

縄とワンカップとキーホルダーたち。縄が風で揺れまくる。

縄が風で揺れまくる。
さっきの喫茶店の光と同じ展開。

これでわかったことは、サイアノタイプ は動くものはうまく記録できないけど、
動いてない、と認識しているものたちは、
結構動いていた、ということ

光も風も、物の影を動かすという当たり前なことにきづく。


わたしがのこそうとした景色③

釧路湿原のみちのり

釧路湿原までノロッコ号に乗っていく。
その後10分くらい歩いて登って、釧路湿原を見ることができた。
でも、ノロッコ号の湿原駅に来た時点で自然がとてもきれいで穏やかで、ここにずっといてもいいなあという気持ちになる。

こもれびがおだやかなきもちにさせる


ソフクリ!


あるいていてもこもれび


人も通るし車もたまに通る道

こもれびを記録しようと道端に置いてみる。
人が通ってどきどきするし、車に踏まれたし(釧路のサイアノタイプ は軒並み失敗したが、このときのサイアノタイプ は車に踏まれた跡があるからわかる)なにやってんだという気持ちになりながら…
サイアノタイプ での記録はこの気持ちと隣り合わせである。


わたしがのこそうとした景色④

釧路にたくさんある謎のこれ・・・

顔に見えてくる

釧路を歩いているととにかくこれを見かけることが多い。けど、何に使う物なのかわからないし、地元の人にも聞きそびれた。

飛ばないようにペットボトル

これも風でめっちゃ動いてしまって、全然感光できず・・・

今回は本当に軒並み失敗でした。


⭐️今回の学び

サイアのタイプの失敗から学んだこと

・ものは思ったよりよく動いている
・人が通るところでやるのは結構ドキドキする(大体の道は人が通る)
・失敗しても、サイアのタイプをやる中でのじっと向き合う、待つ時間が記憶に残る

これまでの活動とのつながりとは?

学会でまちまちを見た方から「これはAIにはできない」と言われた。
それはきっと
・自分が中心の表現だから
・自分が発見したものに対しての自分の気持ちを、自分で選んで構成していく、と言う「ルールが見えきらない」「明確な終わりがない」プロセスだから

じゃないかと考えた。自分から生まれる言葉にもならない部分が大事なのかも

サイアノタイプは、自分で選んだ残したいものが、どうすれば一番綺麗に写せるかを誰も教えてくれない。コツとかは分かっても、いろいろなことが出来の要因になりすぎているし、さらに、その環境はいつも異なる。だから統一したレシピができない。
そういう、自分で落とし前をつけてなんとかしないといけない点は似ている気がする。

「レシピを自分で作っていく表現」がキーなのかもしれない。
学会で私が発表したグループのみなさんとは「制御できないものを相手にする」と言う共通点があった。制御できない=制御する方法が確立されてない=自分でなんとかする と言うことに、楽しさや新鮮さがあるのだろうと感じた。


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