人に期待しないということ
私は人に期待しないで生きている。
大の親友も好きな人も家族にもである。
それはなぜか?
人に期待をするということは自分のストレスを生み出すことになるからである。
人間のストレスの原因はほとんどが対人関係にある。相手が自分の思った通りに行動してくれないことが主な理由である。例えば友達が待ち合わせ時間に遅れてくる。好きな人が記念日を忘れていた。子供がテストでいい点を取らなかった。
これらは全て友達が時間通りに来ること、恋人が記念日を祝ってくれること、自分の娘息子であるならば点数が取れる。と、期待しているからそれらが裏切られ生まれたものである。
人を信用するなとは言っていない。しかし、疑った方はいい。自分自身のことは誰よりもわかっているが相手のことは完全にわかりえない。だからこそ相手が自分の想像を反する行動をするのではないかと常に疑ってかかることを私はしている。
(ここでいう信用と期待は違う。信用は信頼しきっているが期待はこうだったらいいのになと相手に希望を持つことである。)
恋愛でこの話を進めるとすると、これほどの愛情を注いだのだから同じくらいの愛情を返してくれるはずだと見返りを考えてしまうのが人間だ。愛し合っている人間同士ならなおさら互いを期待してしまう。
しかし、いつ何時もそういう良い結果になるわけがない。人間ほど気分の移ろいやすい生物はいない。
だからこそ自分を守るため相手との関係性を壊さないため期待はしない。ただ愛情を注ぎ、別に見返りはいらないというスタンスで生きていくのだ。どうしても私は女性なので女性目線での発言になってしまうが、自分の機嫌を自分で取れない女、男に振り回される女は見ていて哀れだ。
そうやって期待して生きてないからこそ何か嬉しい出来事があった時に心から喜べる。
ただここには1つ落とし穴があり、人に期待して生きないということは一人よがりになってしまうことだ。自分が正しいと思い込み、自身の世界に入り込んでしまう。そうならないためにもこれは最低限であるが人と接する時にその人の矜恃を尊重するようにする。
例えば必ず飲んだ後のペットボトルは分別する人がいたとする。さすればその人の分別はおおむね絶対的であるので彼とペットボトルの関係性を信用するという形をとる。
いささか不可解に思われるだろうが他者のもつ物事に対するルールや決まりを見つけることによってこの人はこのような価値観で生きていると理解する。そうすることによって自分の世界を他者に期待せずとも広げることができる。
また、私は他人から期待され、その期待に応える行為が大いに好きなので独りよがりになる点は問題ない。
なかなか難しいとは思うが少しずつ意識を変えると期待しない思考が身について来ると思う。
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