愛情の視覚化
空気や愛情、大切なものは目に見えない。
「私のこと本当に好きなの?」
口ではいくらでも無責任なことが言える世の中でどうやって相手を愛していることを伝えるか。
それはイベントを祝うことに徹する。
クリスマス、バレンタインはもちろん、互いが出会って付き合った記念日も愛情のバロメーターとなるのである。
付き合って3ヶ月や、出会って2年などといった言葉がはびこる現代のSNS
この記念日を祝うという風潮こそが最も愛情の具現化、視覚化がしやすいのではないかと思う。
それと同時になぜ記念日を祝う意味があるのか疑問に思う自分がいる。
付き合って3ヶ月。なぜ祝うのか。続いたことがめでたいからだろうか。そうであるならば元々3ヶ月も続くかわからない相手と付き合うのはやめたほうがいい。
まだ中高生などの若いうちはいいが、その後は結婚できる相手としか付き合わないほうがいい。時間の無駄だからである。
気づいたら3ヶ月、半年、一年、、、と時が過ぎたほうが幸せだと私は現時点で思う。今後様々な経験をして考えが逆転しないこともないと思うが。
ともかく現代では記念日を祝う風潮がある。記念日ごとに出会ってこれまでの思い出に浸り、これからもよろしくねと言ってプレゼントを渡す。
この事象こそが愛情の視覚化である。愛が日付に変わり、プレゼントに変わり、時間に変わる。
しかし、愛は物質に変換しなければしないほど美しく価値が高い。
愛情を金銭に変えることなんて言わずもがなである。人は金に弱い。金銭に換金した愛を与えてしまうと人は愛を与えた人間ではなくて愛を金を換金してくれた人間に好意を持ってしまう。
また、自分の時間や趣味、感情などを抑制して生まれた愛も最悪である。この場合愛を与える側は「わざわざ時間を割いてあげたんだから」と傲慢になってしまう。しかし愛情を受け取る相手はそれをわかっている。だからこそ「別にそんなまでしてくれなくたって構わない。」そう素っ気なくなってしまい互いの関係がギクシャクしてしまうだろう。
1番良いことは無理に視覚化された愛を与えないということである。
時々与えることは良いが毎回だと視覚化されたものが愛情のステータスとなってしまう。
それに愛してはいるのに視覚化の変換を忘れてしまった場合視覚的に愛情が得られないのでいくら愛していてもその愛は無効になる。
視覚化された愛なんてものは本当の愛には勝てないのである。
だからこそそのままの愛を人に与える術を身につけることが大切だ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?