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いつでもどこでもアウトサイダー
狭間の者
私は職場であれ、クラスであれ、バンドであれ、楽団であれ、なぜだか長くいても部内者にはなれないという特殊能力持ちだ。
例えばRPGの「仲間」という範囲で考えると、おそらく途中参加だろうし、スタメンに入らないだろうし、途中離脱もありうる。
そんな感じ、と言われたことがある。
いつでもどこでも「個」になってしまっているらしい。
別にひとりぼっちとか、自ら孤独を好んでいるとか、すごく邪険にされているとか(はないと思いたい)そういうわけではない(と思いたい!)のだが、
なぜだか「仲間」ー「私」ー「部外者」というような立ち位置にいる。
自ら好んでその立ち位置にいるわけでもなく、気がつくと狭間にいることが多い。
具体的にどう、と言う例を挙げるのは難しい。ただ、おそらく彼らと私の間には深く広い川が流れている。地名が同じ範囲内にいるというだけだ。(それでも同じ地名でありがたいが)
「仲間」を仲間たらしめる「一緒に頑張ろう!」感やゴシップ、噂、そういうものにあまり興味がない(その人の憶測をしたところで何も楽しくない)からかもしれない。
確かに思えば団結感を心の底から感じたことはないし、ゴシップや噂は最終的に、一切私の耳には届かなくなるのだ。
悪い噂やゴシップへのレスポンスが「そうなんですね」「そうなんだ」「へー」「ふーん」とかそんなものだからなのかもしれない。
自分が噂されているなんて辛すぎるし、好き勝手言われるの嫌じゃない?
あと、楽しい話とか、興味深い話とか、聞いたことない話したい。
好きこのんで狭間にいるとは思わないが、大人数の飲み会はあまり得意ではないし、3人以上いれば、(これ私帰って大丈夫かも)などと思い出すタイプの人間なので、最終的には好きこのんでこうなっているのかもしれない。
楽団(市民吹奏楽団)だってかなり所属しているけれど、仲間っぽいけど別に主要メンバーにもならない。(なりたいかと言われればなりたくない)
一体感がなんなのかわからないまま、今日も今日とてひたすらアウトサイダー道を直走る。
変わってるよね
たいていの場合、変わってるよね、雰囲気がちょっと、などなど言われてきた。
言葉選びが不思議とか、オーラがとかなんとかかんとか。
むしろ変わってない人とはなんなのか。それを知りたかったが、結局学校を卒業してかなり経つものの、わかっていない。
わかっているのは「仲間」に入れないということ。
いい意味で、という場合はたいてい変わっている人から発せられ、悪い意味で、という場合はたいてい「仲間」」内にきちんと居場所がある人から発せられることが多い。
最終的に私の周りにいてくれる人々はやはり「変わっている」人々。
私の変わった会場に最後まで残ってくれたありがたい稀有な人々。
アウトサイダーまでは行かなくとも、それに近しかったり、擬態していたり、様々ではあるが皆変わっている。
擬態型が一番羨ましい。おとなしい顔して馴染んだ顔して、「私は人間をお世話している宇宙人だと思って働いてる。精神衛生上ラク。」だなんて言うんだもんね。
自分が変わっている人という自負のある人は、変わっている人に優しい。
それだけでも変わっていることの益があるというものだ。
それに、爪弾きになってしまった「仲間」の人の憩いの場所になったり、「仲間」に入る前のニューカマーの入口にもなれる。
仲間には仲間の、アウトサイダーにはアウトサイダーの役割があるというもの。
たまにちょこっと寂しいな、と思いながらも、今日も「仲間」の郊外で元気にやっている。