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「苗字側の血縁」が嫌い|好きじゃないけど仕方ない
私は「苗字側」すなわち「父方の血縁」と、
自分にその遺伝があることが嫌いであった。
単純に記録。
好きじゃなさ過ぎて排除したくてどうにか自分を受け入れたくて、
20代後半は悩んでいたけれど、
いまは「好きじゃないな。ハイ終わり。それも自分。」くらいでやっているし、
当時までの苦悩はなくなったに近い。
なんで嫌いだったかというと、単純に言えば
白黒でゼロ百で一般常識と正論ばかりで、社会的に問題があるほどに偏っていて、ヒステリックで、人に多大な迷惑をかけてるのにそれに気づかなくて、
私たちのことなんて見てもいないから。
見ているのは「世間」だった。
意味の分からないことばかりを言っていたから、遠ざけた。
人間そんな白黒つけられるわけもないのに、あの人たちは何を言ってるんだろう。
それから、時代と時の流れで診断が下りているわけではないけれど、確実に、
発達に障害を持っている「から」二次障害的に問題を起こすタイプが血縁に多かった。
ヒステリックに、学歴や職歴が世間的に素晴らしくなければ人を蔑み、
世間的に素晴らしい人だけを愛す人たちだった。
診断が下りず、一次的な精神障害だと思われていたのは時代が悪い。
ちゃんとした治療や診断を受けられないまま、時がたってしまって、
だれも気づかないままでそのままで。
もしかしたら気づいたのは私だけで、私には何もできなくて、
それで心理学もそこからいろいろ勉強して考えた結果、
なにかする気も最終的には起きなくて。
きっと彼らは苦しんでいただろうけれど、でも、そのせいで傷つけられた私たちは悪くはない。
その血が通う私も悪くはない。その血を遠ざける私も悪くはない。
私が関与する理由もない。
だからフラットにどうでもよくなった。肩の荷が下りたに近いか。
好きか嫌いかでいうと嫌い寄りなのは変わらないのだけど、仕方ないどうしようもないと、ようやく受容できるようになった。
「悪意なき刃物」を持つ血が自分に通っていることが信じたくもなかった。
祖父の死に目には会わなかった。葬式もいかなかった。常識がなくてもかまわない。会わないことを私は私に決めた。
祖母は私の父親のお金で施設に入っている。日常を暮らしていた時より丁寧に扱われ施設に依存することで元気であるらしい。自分に悩む20代後半の夏の一度だけ会いに行った。「ああ、可哀想」なんて、家族に対して思いたくもない。それで、この先もう会わないかもしれない。それはわからない。
父方の血縁を簡単に切り捨てられてしまう冷たい私に、
そんな気質だから、血が一緒なのだと思えてしまうのがいやだった。
「家族だから」という言葉が嫌いだった。
家族だからって関係ない。家族だけど、どうでもいい。愛も情もない。
あいつらになりたくないのに、どうしようもなく私はあいつらだった。
でもそれでいい。
今日その半分側の一味である「叔父」に会う。
半年に一度くらい会っているが、
多分あちら側は私のことが好きなのである。
話の内容的に過去の苦労のことばかりで、傷のなめあいでもしたいのだろうか。
もしくは私に受容してほしいのだろうか、聞いてほしいのだろうか。
私は正直過去の話はどうでもいいんだよなあー。
彼も被害者だから、別に仕方ないと思う。
彼のことは別に嫌いなわけじゃなくて、どうでもいいくらいで、
ただ傷のなめあいをする必要性を感じていないから。
あんまり情報を真に受けずに「楽で」ありたい。
いずれにせよ父方の関係者は血がつながってようがつながってまいが、
侵食をされるとしんどい人たちだから、小さく距離を置く。
距離を置いて話を聞こうと思う。
話を聞くくらいなら、ほんのたまにくらいならしてもいい。
毎日は勘弁したい。だから物理的にも距離を遠ざけている。
距離だけが事実だ。
聞いた結果、処理をしないでいたい。
こんなnoteを書いているけど、心は普通に凪いでいる。
ま、極論どうでもいっか。
そんなことを思ってる。
私はあいつらのようになぜのめりこみやすいのかを紐解くと、
結局人間って快を追う生き物で、自分の快がそこだからに過ぎないんじゃないか。
なんで快なのかというと…うーんわからない。
でも幼児とか小学生のときとかもようわからんものに興味抱いてたし熱中してたしもう直感ってことで考えるのやめていい?
20代後半のしんどかったころまでは、苦に対し理由をつけコントロールをして、
苦を快と勘違いするよう動いていた。
努力をしなければ普通になれなかったから。
けど、もうわりと最近素直で脳直な衝動だけで生きてる。
普通をやめた。私が普通であるわけがなかった。普通でなくていいじゃん。
私が楽しければいいじゃんって、私の中の半分が言っている。
純度の高いこどもの頃に回帰しているかもしれない。
母親側は祖父母も母もちょっと過保護だったけど、それでも病的ではなく「ふつう」で、「楽しければいいじゃん!」で、ちょっと抜けたおばかで、まともに愛してくれたから、私はだから、その半分の、「楽しければいい」を大事にしていきたい。