動じない顔の裏では、感情が揺れ動くINFJ
日々自分を俯瞰していると主観では短期間で様々な感情が動いているなと感じます。
一時期本当に鬱っぽかった時は感情モニタリングをしていましたが、最近はしていなく、それでも「動いている」と感じます。
動じる心、動じない見た目
しかし、やはり思い出すのは「動じないよね」「淡々としているよね」「堂々としているよね」という他人からの評価です。
子供のころから、動じないと評された子供だったな。
新卒のころも、大きく動転していても堂々としているといわれたな。
親すらも、気づいたのはごく最近で、まだつかめていないんだろうな。
それで、「私は動じていないんだ」と思い込んでいました。
「30%くらいの、平坦でいられるのが一番私らしいです」と嘯いた。
けれど、今思えばかなり人並みか、いやそれ以上に感情のコロコロ変わる自分に気づきます。
外面=Seの領域と内面=Niの領域
タイトルと関係ないけど、「外面=Seの領域」と「内面=Niの領域」という話でいけば、
その二つが一致しないことは人生で数多くあります。
「真面目」がよく評されますが、人並み以上によくサボる子供でしたし、今も一切真面目ではありません。
「愛社精神があるよね」もいわれる。一切無いんだよな。
「おとなしくて控え目だよね」いや、おとなしいか?この人間。
その思い違い(人から受ける勘違い)(自分に強いていた勘違い)が、私を私たらしめているけれど、
あらゆる誤解があまりにめんどくさいので、最近は勘違いを受けないよう、できるだけ自然体でいるようにしています。
これを生きづらさというならばそうかもしれないが、もうなんか、どういう場であろうと毎回そうだし生きづらくもない。
最近の私は自然体
そして、顔は変わらないかもしれないけど、近しい例えば部署内メンバーには言葉を伝えるようにしています。
暇そうに思われてもいっか、サボったろ。
安全性が消えたら、いつでもやめるよ私。
ばれなきゃいいよ、いつでも潰れたらいいんだ!
やりたくないっていうか、それは苦手だから得意な人あたって!
みんな休みたいとき休め!
飲み会は行きたくない、仕事的に必要なら行く!
などなど、結構、人は割とオブラートに包むことを直接言うので、自分でも過激で笑います。
この調子でいくと、外面しか知らない人怖いだろうな。
でも勘違いされるほうが最近めんどくさいんだよな。
内面の印象が外面に直接伝わる人間、うらやましいなあ。
関係ないけど、同期と全然会ってないし全然大事にしてないけど(そもそもほとんどの人間関係が基本希薄で)、たまに会うと最後のクラスメイト感あっていいですよね。
逆に、包み隠さずかかわってきた同期からは、
「ボス」という愛称で呼ばれたりもしましたね笑(なんかボス扱いしてくるから、目立ちたくない私は、それはそれでめんどくさかった笑)
まとまりないけどそんな記録でした。