『私のまま』でいよう|INTJになりたかったINFJ②
①仕事における成功体験
②人間としての挫折体験
この2点から、私は感情・道理を殺しました。
劣等感から、数年単位のNi-Tiループ。
「INTJでありたかった」。
いま思えば、私は自分がINTJだったら良かったと思っていたのです。
しかしそんな私が、どうしてINFJだと思えたか、
それでどれだけ救われたか。
について、書こうと思います。
1はこちら↓
数年単位でのNi-Tiループ
ところで、私は私史上、ずっと苦手なことがあります。
それは恋愛です。
自分から人を好きになることがないから、好きという感情がわからない。
…というのは大袈裟ですね!
人間として好きな人は沢山いるのです。
しかし、その人たち誰を見ても、「付き合いたい」「結婚したい」なんて思わなかった。一目惚れなど起きないし、長く付き合っても、その人の特別になりたいと思わない。
いや、私だって誰かの特別でありたい。
けれど、その感覚が分からない というのが正しいか。
友人たちも、周囲の人たちも、上司も同僚も部下も
「あたかもそれが普通かのように」恋人や好きな人ができます。
私だけが普通じゃない。
あまつさえ、「運命の人に出会えていないだけだよ。出会えたら変わるって」と、意味の分からないことを言われることもある。
職場の雑談において、「恋愛に関する詮索」「人ののろけ話」が酷く苦痛になりました。
誰の話も聞きたくない。私の話も聞かないでくれ。
私の見えないところで勝手にやってくれたら、それでいいから。
(今思えば、ゴシップ好きな人もいれば単純に私に興味を持ってくれてる人もいたと思いますが、全員がゴシップ好きかのように見えていました。)
逃げるように、私は職場でも出来る限りの時間を一人で過ごします。
しかし心は焦る。気の置ける友人にこぼしたこともあります。
家族には言えなかった。
誰に話しても、私の世界は伝わらない。
「誰にも分かってもらえない」と、そう思ってしまったから、
私は誰にも言えずに閉じこもった。
閉じこもっては考え続ける。時折人のサインをみて、直観で「やっぱりそうだ」と理論を増幅させる。極端な結論を下し、下したのにも関わらずまた考え続ける。
私には人を好きになれる能力がないのではないか?
そして、こう考え続けた。私自身が誰も好きになれなければ、誰も私を気にかけることはない。なぜなら、返報性の原理として、『返せない私のようなやつに、人は愛を渡さない』。人は返して欲しい生き物だ。なぜなら私も、愛せないのに愛されたい。他人は(恋愛対象が男性だろうが女性だろうが)私をかまわず恋愛関係になり、特別な人を見つけたら私から離れてゆく。であると、私は恋愛がわからなければ一人になる。一生孤独だったらどうしよう。孤独に死ぬのだろうか?どうやって生きていけばいいんだろう?
まだ、ありもしない未来を見た。
現実から乖離した。
数年単位のNi-Ti ループは、
まさしく狂気だ。
どうしてINFJと思えたか?
それでどれだけ救われたのか?
それは、劣等感の受容。
自己受容からそう思え、救われたのでした。
私は、女性から好かれ、恋愛のようなものをしました。
彼女は最初、「私のすべてが大好きだ」と主張した。「いつか私をパートナーにしたい」と言って、愛を伝えてくれた。
勿論世界に疑念を抱いていたから信じられなかったけれど、その気持ちを受けて、私は、彼女になら何でも話せると思い込んだ。事実なんでも話せた。はじめて、人に見つけてもらえたと思った。
そして、依存され、依存した。
彼女に私のすべてをあげたくなった。
物も時間も体も心も、欲しがるものをすべてあげた。
しかし、耐えられなくなった彼女が無言で離れる形で関係は壊れた。
当時の私は、私が、私らしくあれないほどに心身を崩し、
耐えられなくなっていたことに気付かなかった。
だが、優しい彼女が私を傷つける形で教えてくれたことは、
彼女だけが知っていた「本当の私」は、私の中だけの幻想だったことだ。
私はゆっくりと立ち直りながら、彼女以外の他人に頼り、
あたたかな交流をすることで
二つ目に得意である機能:Fe(外向的感情)を取り戻す。
誰にも分かってもらえなくてもいいじゃないか、少しだけ分かり合えるところもあるんだから。未来なんてわからない。予測したってしかたない。
それよりも、私を大事にしようとしてくれる「今のあなたたち」と「今のわたし」で時間を共有しあえたら、それでいいじゃないか。
素直にそう思えたのはたった1か月前のできごとです。
※具体的に何があったかは、
少々人を選ぶ内容だと思うのでこちらから!↓
同じように悩むINFJの人たちへ。
大丈夫、自分は自分のままでいい。未来はわからない。
でもあなたも私も「自分のまま」でいたら、きっとだいじょうぶだよ。
私が自覚せず陥った数年単位のNi-Tiループを押し付けてしまったことで、
距離を置くことを選んだ私の大切な人である彼女は
「無理をしないで。そのままでいいよ」といつも言ってくれていました。
それは、私が落ち込んだ彼女に伝え続けてきた内容そのものでした。
私と出会った直後の彼女は、自己否定ばかりをしていたのです。
私の好きなあなたを否定されるのが辛かったんだ。
身を削りながらも、「あなたのままでいい」とずっと伝え続けたら、あなたはものすごく成長をして、私に物事を気付かせるほどに少し大人になった。
引き離される形で少し距離を置いた。
ずっと迷惑をかけていたから、私から話しかけることは控えている。
けれど、同じ気持ちだったんだよね?
あなたも、私が私を傷つける姿が辛かったと
そう思っていいよね。
今ではそう思います。
しかし、当時の私には聞こえなかった。
「そのままだよ!」と主張しながら、ずっと自分を殺し無理をし続け、もう頑張れない寸前まで、誰にも見えない努力をしていました。
誰にも見えない努力をしている人はいますか?努力をすることはいいことだけれど、自分らしくない状態になるまで、身を削り心を削ってまでやらないでも「だいじょうぶ」なんだよ。
あなたが思うほど、あなたはひとりじゃないよ。
だいじょうぶ、あなたはそのままでいいよ。
一緒に、自分の足で、たまに人に頼りながら
しあわせになろう。
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