
僕は僕の人生の主役じゃなくていい
パートナーが小さなお店を開いていて(小料理屋とかカフェとか雑貨屋とか、なんでもいい)僕は裏方。印刷物をデザインしたり、SNSやウェブショップを運営したり、忙しい日は店舗を手伝う。
そんな暮らしができたらなぁ幸せだなぁなんてことを昔よく考えいた。最近またそんな妄想をよくしている。
僕は昔から脇役が好きだ。ゲームでは味方をサポートするロールが好きだし、AKIRAでは金田や鉄雄ではなく山形が好きだ。
中学校の頃していたサッカーでは足が比較的早いという理由でフォワードをしていたが、本当はボランチをやりたかった。好きなサッカー選手はピルロだった。
パターソンという映画が好き理由もそれだ。主人公は自分を主役にしていない。彼の人生だからどうあがいても彼が主役なのだけど、ローラという愛する人がいることで彼は彼の人生で脇役になれたのだと思う。
いつだって主役よりサポート側を望んでいた。それなのに絵を描く時は「絵を魅力的な主役にしてあげないと」という考えに囚われて、必要以上に力をいれてしまっていたのかなと、今になって思う。
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ある意味、脇役でいることは主役でいることより難しい。恋愛においても、「この人がいるならどんな地味な毎日でもかまわない」と思える人に出会うのはかなり稀だと思うし、悲しいかなそんな人には大体素敵な相手が既にいたりするのだ。
もしかしたら「俺が主役だ!なぜなら俺の人生だからな!」という姿勢の方が生き方としてはベターなのかもしれない。が、僕はどうしてもそういう力強い生き方はできないようだ。
自己肯定という言葉をよく目にするけれど、僕はこの言葉を見るだけで何だか辛くなるぐらい縁のない言葉だ。でも人を肯定するのは好きだし、そして肯定してくれる人に助けられながら生きている。
要するに、愛されるより愛していたいのだ。
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近々、小さな展示を行う予定で絵のことを考えている。イラストレーターとしての絵は商材だったけど、絵は僕の思考そのものでありたいと願っているし、だんだんと重なりつつある感覚もある。
絵も主役じゃなくていい。素通りされても構わない。それでも立ち止まってくれる人はいるだろうし、誰かが僕の絵の前に立ったとき初めてその絵が完成する。そんな絵を描きたい。
それができたら、やっと自分が作るものを愛せる気がするのです。
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