
ここのところ「消費は応援だ」という声が所々で聞こえてくる。出荷先が無くなってしまった人から野菜やお肉を買ったり、開けなくて困ってるお店のチケットを買ったり。そういうお金の使い方がたくさん目に入る。
前にも話したことがあった気がするけど、随分と前に読んだ本『物欲なき世界』(菅付雅信 著)にも「消費は投票」という言葉がさらっと出てくるのだけど、印象的で今でも覚えてる。5年前でいわゆるライフスタイルブーム(キンフォークが流行ったり)の頃の本だけど、今読んでも面白いかも。
消費って大きく分けて「必須なもの」と「不必要だけど喜びになるもの」の2つに別れると思う。前者は食費だったり賃料だったりという生活費。後者は娯楽だったりちょっといい服とか家電とか、豊かさを得られるもの。
でも、この2つだとあまり気持ちのいい消費には繋がらない気もしていて。というかそれだけだと自分でいい消費を判断できない。世の中は膨大な広告に包まれているし、不必要なものを必須だと思わされたり、喜びになる買い物だと思ったら全然違ったりする。
だから自分なりの基準が必要で、その一つが「応援」だと思う。例えば僕の場合だと、近所の中華料理屋さんはその対象。家から近いし750円のランチは美味しい、ご飯もおかわりできる。
カップラーメンすら作るのがめんどくさい日や、普段より美味しいものが食べたくなったら利用する。僕にとっては生活の一部になってる。無くなったら困る。
そういうお店で支払う時、僕は一票を投じてるんだ。「このお店、気に入ってますよ。」「なくなったら困るからまた食べにくるね。」そう思いながらお金を渡す。実際臨時休業になった時、心配になったもん。
正直な話、もしこの中華料理屋が潰れても、寂しだけで結局僕の生活はほとんど変わらない。ご飯はどこでも食べれる。でも無くなって欲しくないの。
で、僕の場合ならそれが絵になるわけです。しかし料理と違って食べ物ではないからさらに優先度は低いし(外食は必須消費の延長だしね)、そうなると票も集めにくい。こんな状況ならなおさらだ。
でも、こんな自粛の世界になっても絵をオーダーしてくれたり、変な(?)自画像を買ってくれたりする。絵を買っても腹は膨れない。喉の渇きは癒えない。これは間違いなく。みんな僕に票を入れてくれてるんだ。そう考えるととても嬉しいし、同時にプレッシャーにもなる(いい意味で)。
僕はどうしたらこれからも票をもらえるだろう?票を投じてくれた人をがっかりさせないためにどうするべきだろう?応援されているという自覚は、忘れてはいけない。
少し長くなりましたが、とにかくみんな、ありがとうね。
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※本日はInstagram自画像オークションおやすみでした
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