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言葉が広がるとき

少し前に『わたしはロランス』という映画を観ました。

トランスジェンダーをテーマにした作品で、物語・映像・音楽どれを取ってもお見事でした。監督のグザヴィエ・ドラン氏はなんと当時23歳だとか。僕が23の時なんて‥っていう話をしてもつまらないのでやめておきましょう。

主人公はロランスは男性として生まれたけど、女性の心を持っている。そんな彼女が母に対してこんな台詞を口にします。

「昔からママは“女”だった。“母親”ではなく。」

たった一言でこんなにも心情を表現できるんだなぁと驚きました。ロランスにとってお母さんはずっと“理想の自分の姿”だったんだと。この台詞を聞いた時に頭のなかで色々なシーンが想像できた。

例えば、化粧をする母の姿を見ては「私もああやって綺麗になりたいのに」と後ろから眺めるロランスの姿だったり、ヒールを履いた母と一緒に歩いて「私もこんな素敵な靴を履きたい」と母の足元に目を向けるロランスの眼差しだったり。

そんな描写は一切ないのだけど、あの一行の台詞でそういうシーンが一瞬で頭に浮かんだ。あぁ、これが言葉の凄さだなと実感した。

皆さんは小説を読みますか?僕は全然読まないんだけど、きっと小説の面白さってそういうところなんだろうなと想像できた。例えば映像で「りんご」を映したら、映った通りのりんごを捉えるしかない。でも文字で「りんご」と書けば、それが赤いのか青いのか、どれぐらいの大きさなのか、全て読者に委ねられる。作者と読者の間に、一種の駆け引きみたいなのもあるのかなって。

映画を観た後に原作を読んだりしたことが何回かあるけど、もしかしたら逆の方が面白いのかもね。映像は説明しすぎるところもありますから。

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中村雅紀 / Masaki Nakamura
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