
抽象画を完成させるのは誰だ
抽象画とはいったいなんなんだ。そんなことを考えたことはありますか?確かに意味がわからないです。
僕らは何を感じ取ればいい?せいぜい「なんか綺麗。」ぐらいしか感想が思い浮かびません。これを描いた人は一体何を言いたいのか。
僕が思うに、別に何も言ってないのではと思います。何も説明してない。もちろん画家の頭の中では何か意図があるし、「この絵はどういうこと?」と聞けば答えてくれると思います。ですが、絵でそれを説明しようとはしてないのだと思います。
過去に言ったかもしれませんが(最近この台詞が毎回出てくる)絵や映像は時に説明しすぎることがあります。例えば僕が赤いリンゴを描いたら、見たまんまの赤いリンゴです。どんな形で、どれぐらい赤いのか、一目瞭然。
でも、文字で「赤いリンゴ」と書いたら?それを読んだ人がそれぞれ頭の中に赤いリンゴを描きます。もう血だまりのように赤いかもしれないし、まだ少し緑色が残っているリンゴかもしれない。受け取る側が想像することで初めて成立するわけです。
さらにリンゴとは書かず「赤い果物」と書けば、ある人はイチゴ、またある人は、、他になんかあったっけ。。とにかく、さらに受け取る側に委ねられる作品になります。
抽象画も同じ。説明的な要素を除けば除くほど、絵の前に立っている人に委ねられるわけです。もはや「見てる人が作品を完成させる」と言っても過言ではない。
だから抽象画はかなり挑戦的でもあります。見た人が作品を完成させるなら、例えば「この絵はゴミだ」と言ったらもうゴミでしかない。一方で「子供のころ和歌山の実家近くでよく見かけたお婆さんのズボンにそっくり」と言ったらそういう作品になります。
そんなことを言われても、描いた人は全く文句を言えません。だって受け取り側に委ねたわけですから。なので、最初に言った「なんか綺麗。」も立派な感想であり、あなたにとっての抽象画が完成というわけで。
そう考えると、抽象って面白くないですか?だってこっちで自由に捉えていいんだもん。作品を完成させるのは、他の誰でもない自分なんだ。
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