好きだから辛いのです
こんにちは、今日も雑念を振り払うためnoteです。
実は最近、全く絵を描いていません。何度かキャンバスに向かったのですがどうも筆が進まず、やがて描こうともしなくなってしまいました。(それはさすがにダメですけど)今年の4月に軽井沢ニューアートミュージアムで絵を展示して以来、作品といえるものは1つも描いていません。
いつもそうなのですが、僕は過去に描いた絵を1つも愛せたことがありません。見返しても「なんでこんなの描いたのだろう。何が良いと思ったんだろう。」と全否定してしまうのです。少しずつ理想には近づいているような感覚はあるのですが、それでもまだ「これだ」と思えるものが1つもないのです。
めちゃくちゃ苦しんで描いて、完成した瞬間は喜ぶのですが、数日もすれば「なんだこれ?」となってしまう。そういうのが続くと、さすがに手が止まります。どうせ描いても同じことになるし、と。
一方で不思議なのが、文章に対してはあまりそういう感覚がありません。このジメジメした日記ですら、自分で読み返すのは結構好きだったりします。絵と逆で、書いた時は「なんでこんなの書いたのだろうか」と思いながら公開ボタンを押すのですが、時間が経った後で見返してみると「あれ、意外といいじゃんこの文章」と自分で思うんです。
絵とは別の思考で描いているパターンアートはその中間という感じでしょうか。好きなやつもあれば、そうでないのもあります。
絵に対してはかなり力が入りますが、文章の方は「どうでもいい」と思っていると言っても過言ではありません。「自分の文章は基本見られないし、見てもらっても特に何も起こらないだろう。」という姿勢です。
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みなさんには好きな人がいるでしょうか?僕にはいます。が、おそらくこれを伝える日は来ないでしょう。
まぁ好きになってしまうのは自然だし仕方ないです。が、やっぱり結構しんどいです。解放されるためにはしっかりと距離を置くべきでしょう。でも距離を置くのは辛いです。好きなんですから。
近づいても辛いし、離れても辛い。嫌いな人であれば距離をとれば終わります。でも、好きな人はそれがなかなかできない。むしろ嫌いになったほうが5兆倍は楽です。
これ、もしかしたら絵も同じなんじゃないかなって。絵のことは好きなんです。でも、ずっと声が届かない。いつまでも声にならないというか。だから絵と仲良くなれているアーティストを見ると、純粋に嫉妬します。あぁ、あの人の恋は実っているのだと。
なんというか、辛さが似てるんですよね。片思いと、自分の絵が好きになれない辛さって。
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僕は果たして絵と両想いになれるのでしょうか。それとも片思いだということを理解し、別の相手へと目を向けるべきでしょうか。
もしかしたら絵も恋も、文章と同じように「どうせ届かないから」とサラッと吐き出してしまう方が結果としていいのかもしれませんね。
なんにせよ、辛い状況はもう少し続きそうですし、きっといつか終わるのでしょう。何かを好きになるって、こういうことですよね。最後に笑えればいいや!
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今朝はたまごサンドを作りました。美しいね。
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