俺はそうは思わない┃1年目日記🐣4
絶対忘れたくない1年目に関わらせていただいた利用者さん数人のことを何回かに分けて書いていこうと思います。
もう会えないからこそ、自分の中で記憶が薄れていくのが悲しくて、文字にして残しておければいいなと。
まず、お1人目は、ぴよぴよの私を1人の訪問看護師としてたくさん成長させてくださった方のこと。
50回の同行訪問
私はこの方に育ててもらったと言っても過言ではありません。
糖尿病、心不全、ASOによる褥瘡処置のため、長い期間特指示で連日介入中。
入職時から、早めの時期に単独訪問できることを目標に同行を続けていました。
なにせ私はカメなので、週に3~4回同行をつけてもらっても、初めて単独訪問できるまでに4か月かかりました🐢が、私の単独訪問デビューはこの方でした。
とても印象に残っている訪問があります。
同行訪問が20回を超えそうな頃、平日はほとんど毎日私が処置をしている(もちろん先輩の見守りのもと)状況で、2人きりで話したタイミングがありました。
その日の日報には、
と書いていました。
どこまで本気で言ってくださっていたかはわかりません。
でも、お店を切り盛りされていて、新人教育にも携わっていたこの方は、私のことを本当にとてもかわいがってくださっていました。
そして、処置方法や体調変化など、訪問診療先との連携も多く、外部連絡はこの訪問で鍛えられたなと思っています笑
50回を超える同行訪問を経て、初めて単独訪問に行ったときには、ちょっぴり不安そうな表情を隠しながら「今日から1人なんだね」とニコニコでした☺️
それから、状態が落ちてくるまでの数か月、週3~4日私が訪問させていただいて、行くたび本当に素敵な笑顔で出迎え、毎回「待ってるよ〜」と見送ってくださっていました。
いまだにあの笑顔がずーっと私の中から消えません。
1回逃げたこと
最初に状態が落ちた日、訪問していたのは私でした。
レベル低下の原因は?眠いのか??以上の思考ができず、とりあえずリーダーさんに連絡、ひとまず処置を終え、退室前にプリセプターさん(定期訪問者ではない)が様子を見に来てくれました。
あとから思えば、その時点で調整が必要だった。でも大事(おおごと)にできず、次の日訪問した定期訪問者の先輩がやばい!ともろもろの連絡、調整をしてくださいました。
そしてその後、連日2枠の訪問が始まりますが、私は完全に訪問から外れる形に。
当然かもしれませんが、同行すらつけてもらえず、当時はかなり拗ねて荒みました。
スタッフだけのケア会議、ヘルパーさんも交えたケア会議もありましたが、「もう私は訪問者じゃない」とその場にはいるものの、関係ないふりをしていました。
リーダーさんに、同行すらつけてもらえないんだからケア会議に私を参加させないでほしい、もうこのまま訪問を外してほしいと言ったこともあります。逃げようとしました。本当に子どもですね。笑
でも、このころに先輩や、同じ事業所の担当ケアマネさんから、
「もしかして、もう訪問者じゃないと思ってる?違うよ、まだ訪問者だよ。一緒に最期までこの方をみていくんだよ。頑張ろう」
「がんばれ」
と声をかけていただいたことをきっかけに少し前を向けました。
先輩方がやっている調整や展開についていくのでギリギリでしたが、
一旦状態がよくなったときには再び単独訪問にも行けました。
1人で行くと、相変わらず先輩と2人のときとは違う素敵な表情を見せてくださり、本当に嬉しかったです。
その後も結局、私自身は頻度は変わりながらも、最期まで同行につけてもらって訪問に行くことができ、
運良くエンゼルケアも一緒にさせていただくことができました。
翌日、ご家族が挨拶に来られたときには、たくさんの「ありがとう」をいただき、私からも感謝の気持ちをお伝えしました。2人とも泣きながら。。。
普段はほとんど感情を表に出さない所長が、それを見て泣いていたことも印象深い記憶です。
一度逃げようとしたけれど、逃げなくて本当によかったと思ったことを覚えています💭
家を選ばせてくれてありがとう
これは私が訪問したときではないですが、
とある先輩が訪問されていたとき、ご本人がこう言っていたそうです。
入院してほしい知人、本人の好きなようにしてほしい家族、本音は家がいいけど知人の意見に流されるように入院したいという本人。
自分の意見や思いを言わない方だったので、どうするのが1番いいのか、訪問者間で悩みに悩んでいた時期もありました🤔
でも、この言葉が共有されたとき、私たちがしてきたことは間違ってなかったんだと、本当によかったと涙が出そうになりました。
状態変化があったときに、“家”という選択肢を残しておけるように、そしてそれを望んだときに選べるような環境を整えられる人になりたい。
まだ私1人では何もできないし、その場面を経験したこともないですが、精進します。
新卒の私にだからできたこと
これは私しか感じていないことかもしれませんが、
多くの訪問者がいる利用者さんの場合、こちら側の都合以外に新卒で力不足の自分が訪問する意味があるのか、と考えることが多いです。
なんなら、これまでも今もずーっと思っています。
でも、この方の訪問は、大げさでもなんでもなく、
私自身、唯一自分が存在していい、訪問者として存在している意味があると思えていた訪問でした。
というのは、この方が私にしか見せない一面がある、私が行くときにはご本人がいつもと違う役割をもてるということがあったからだと思います。
うまく言語化するのが難しくて、伝わっているかわかりませんが...
これはコンサルに来てくださってる先生から言われたことですが、
新卒である私が行くことで、あの方の高次の欲求を満たせたんじゃないかなー、お店にいるときと同じ気持ちになれたんだと思うと。
マズローの欲求階層説(欲求5段階説)で高次の欲求とされている承認欲求や自己実現の欲求がありますが、
新卒の自分が行くことで、直接的でなくても教える立場になり、徐々に独り立ちしていく姿を見ることで、その欲求を満たせたのでは?ということです。
そして、お店にいたときのように、新人を育て、お客さんを迎え見送るときのように笑顔で訪問者と関わることも彼にとって当時を思い出す大切な時間だったのかなと思います。
ご逝去から数か月後のデスカンファで、他の先輩のお話を聴きながら、自分自身も発言の機会をいただいて話しながら、1年目でこんなに素敵な利用者さんに出会えたことは本当に幸せだなと思いました☺️
1年目で出会ったからこそ、そのありがたみをなかなか実感できていない部分はあるかもしれませんが、
コンサルの先生がおっしゃっていた、
「ずっと続けているとたまにこういう方に出会う。だから訪問看護はやめられないんだよね。」
を胸に、
きっとこの利用者さんは、私が成長した姿を見るのが1番喜んでくださると思うので、2年目も頑張りますー!
(まだお元気だった頃、「大きな露天風呂に入りたい」と話されていたのを実現できなかったことを思い出し、
天国で大きな露天風呂を満喫していてほしいな〜と思ってトップの画像を選びました💭)
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