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フェンシング場をつくるのが夢だった

MNHの小澤です。

「フェンシング場をつくるのが夢だったんだ」
 
フェンシングの世界大会への出場経験があり、プロ級の腕前を持つMNHの菅会長が言った。
2014年の10月頃だった。

フェンシングは、太田雄貴選手のオリンピックでの活躍が注目され、今でこそ知られてきたスポーツだが、日本ではまだまだマイナーなスポーツである。菅会長は、そんなフェンシングをもっと広めたいと思っていた。

会長の熱い想いを聞き、ちょうど調布の4階建てビルにMNHの事務所を移転するタイミングだったこともあって、そのビル内にフェンシング場をつくることにしたのだ。

当時はぜいたくにも、3階・4階合体の広いスポーツ施設にしようと構想していた。
しかし「そこまで改装費用をかけて採算がとれるのか?」との懸念が出てきて、改装途中でその合体施設案は消えていった。

なので、現在は3階のワンフロアでやっている。
ところどころ改装途中の跡があるのだが、「これも歴史だ」と放っておいている(笑)。

さて、フェンシング場をつくるといっても、ぼくは右も左も分らない。
競技の存在は知っているが、過去にフェンシングをやってる人に出会ったこともないし、何を用意すればよいかもまったく分らなかった。

そして言われるがままに会長とフェンシングの専門店(*)に行くのだが…

まず、「ピスト」という細長い試合コートを用意するという。
ただのアルミの板にしか見えないのだが、これがめちゃくちゃ高い。
次に試合で使う電気審判機(*2)という得点板。これまた高いのなんのって…

ひと通り揃えたが、全部で300万ほどしただろうか。
「こんなにするんだ!」と度肝を抜かれた。

一方、運営母体をどうするか、という議論もあった。
その時点でMNHには、「株式会社MNH」「東北に若者の雇用をつくる株式会社」「一般社団法人バトントゥザネクスト」の3社もあった。そして、これ以上つくったらもう管理ができないのは目に見えていた。

ちなみに、今回の会長の話には、フェンシングだけをやりたいのではなく、それを皮切りにマイナースポーツの振興もはかりたい、という目的があった(*3)。

そのような公益的な意味合いが大きいので、「じゃあ一般社団法人であるバトントゥザネクストを運営元にしよう」と。そう決めた(*4)。

道具は揃ったがコーチはどうする?
いろいろ探すと、専任ではないが手伝ってくれる人が出てきた。

最初は週に1日だけオープンすることにした。チラシをまいたが、人もまだ集まらない。
コーチ1人が、ぽつーんと2時間待っているという状態が続いた(笑)。

まぁその後は会員も増え、それなりにフェンシングクラブらしくなっていくのだが、スタートはまさにそんな感じだったのだ。

(*1)目白にある「フェンシング商会」。その後練馬区向山へ移転した。

(*2)電気の通った剣先が有効面に当たると通電しポイントが判定される仕組み。

(*3)マイナースポーツの指導者を志す人々に、教える場所を提供し、適切な報酬が支払われる仕組みをつくることでスポーツに関わる人の雇用を生み出す。最終的には指導者とスポーツを習いたい人を繋ぎ、マイナースポーツの振興を目指していた。

(*4)ちなみに「一般社団法人バトントゥザネクスト」はその後「一般社団法人ガーデン」と改名する。当時、新しい4階建てのビルを調布の街に人が集う「木」に見立てよう、というコンセプトがあった。1階は「縁日家やまがた」、3階はみんなが集える庭のような場所にしようと、「ガーデン」というスペース名にした。そこで運営されるフェンシングクラブなので「東京ガーデンフェンシングクラブ」となり、運営元の名前も統一すべく「一般社団法人ガーデン」にした。


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