Memo サウィンについて
ハロウィンの起源である古代北ヨーロッパ・ケルト文化の「サウィン=万霊節」と、日本文化の余白を扱う感覚から、この版の構想が生まれた。
今回はまず、サウィンの知識をたどる。
サウィンは、ケルトの暦における新年の始まりで、11/1にあたる日。
10/31の大晦日の日没から始まり、人々は祖先などの霊を招き入れ、供養を行った。
過去の1年と新たな1年の時間軸が衝突して
あの世とこの世の境界線がなくなり、死者たちがこの世に戻ってくるとされた。
ケルト暦は4つの季節祭から成る。
サウィン(冬の始まり)、インボルク(春の始まり)、ベルティネ(夏の始まり)、ルーナサ(秋の始まり)である。
さらにそれを「闇の半年=越冬から春まで」
「光の半年=収穫物を育てる時期」という、
明暗が反転する二季に分けていた。
ブリテン諸島を始めとするケルト文化圏の
冬は、寒さと暗がりが続く。
当時、冬は死の季節の到来とされた。
荒ぶる亡霊や神が人々へ襲いかかって来て
12月の冬至へかけて猛威をふるうとされた。
人々は霊たちをサウィンで供養する事と
引き換えに、春までの厳冬を生き抜く力を
授かろうとした。
自然周期を把握し、それと共存する事が
ケルト人の生きる知恵だった。
「死は生よりも強く、死があってこそ平穏な生がある」というのが彼らの考えだったそう。
全ての生は死から始まるという死生観に基づき、
1年の始まりをあえて命の芽生えの春「インボルク」ではなく、滅びへ向かう冬の冒頭「サウィン」に置いた。
またケルト文化圏はローマ帝国の敵で、
キリスト教が浸透しなかった。
ローマ帝国はケルトの象徴色を
野蛮さを表すブルーに定めていた。
森の中で独自の多神教を信じ
自然と共存しながら生きていた点、
豊かな芽吹きよりも、朽ちて行く方向に
重きを置いた点など...
ケルトと日本文化には似た要素が多い。
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参考文献:
「ケルト 再生の思想」鶴岡真弓 著
「ケルトの解剖図鑑」 原望 著