笑顔で帰ろう【芋頭monkeyのオーロラハント#8】
このnoteは芋頭monkeyのオーロラハント#7の続きです。
皆さんは、はねるのトびらという番組をご存知でしょうか。
その1コーナー「回転SUSHI」で印象に残っているのは彼らが一斉に席を立って叫ぶ「笑顔で帰ろう」の一言です。
このシリーズ最終回の今回のテーマは「笑顔で帰ろう」です。
しかし、番組と同じく、笑顔では帰れませんでした。
ロヴァニエミ最終日:日本人との遭遇
見事、オーロラハントを成功させた後はホステルで爆睡しました。
心身ともに疲れていたのか、翌日の昼くらいまで寝てしまいました。
ロヴァニエミでやりたいことはあと1つだけです。
水曜どうでしょうの聖地巡礼です。
水曜どうでしょうはヨーロッパリベンジの最終夜でここ、ロヴァニエミに来ていました。
彼らの宿泊したホテルやロケ地があるはずです。
奇しくも、撮影当時からちょうど20周年のいま、巡ることができました。
彼らの宿泊したソコスホテルは徒歩圏内だったのですぐに見つけられました。
さらに、そのすぐとなりに流れる川のほとりで見覚えのある場所も見つけました。
彼らがサンタクロース村に行く前に地図を広げてトークをしていた場所です。
水曜どうでしょうファンである藩士でもなければただの川べり以外のなんでもないところも、僕には感慨深いものがありました。
ロヴァニエミの目的も全て達成したので買い物や洗濯を済ませてのんびり過ごすことにしました。
ホステルでNetflixを見ながらまったりしていたら新しい宿泊客が立て続けに3名来ました。しかも全員日本人です。
彼らとも話してみました。
皆さん僕より年上で、数ヶ月〜1年半以上旅を続けている方もいました。
いわゆる旅のプロ集団です。
夕飯時には旅で経験した色んなことを教えてもらいました。
どれも刺激的で痛快な話でしたが、僕にはそういった生活を長期間続けるのは無理だなとも思ったのが正直なところです。
この2週間で少しは成長したとは思います。
しかし僕の根本はインドア派、そこはなかなか変わりません。
これからも自分のテリトリーでコツコツ動きながら、たまーにこうやって外に出てみるくらいが向いているなと思いました。
彼らに僕の知りうる情報を伝えました。
オーロラのこと、バス乗り場やモールの位置、サンタクロース村のことなどです。
さらに、余っていた醤油も譲りました。
僕の余りもの置き土産ですが、非常に喜んでくれました。日本人の舌には醤油が欠かせませんからね。
余っていたパスタと醤油で焼きそば風スパゲッティを作ってロヴァニエミ最後の晩餐を楽しみました。
その夜は無理してオーロラハントには出かけません。
充分すぎる思い出が昨晩つくれたからです。
翌朝、Nikitaにロヴァニエミ空港まで車で送ってもらうことにしました。
日本に向かう飛行機が次の日にヘルシンキから出るのでヘルシンキまで戻る必要があります。
行きは寝台列車でしたが、ヘルシンキまでの帰りはLCCです。
空港でNikitaと握手を交わしてさよならです。少し寂しい。
ロヴァニエミ空港はとってもこじんまりしていました。
ヘルシンキに戻ります。
フィンランド式サウナ
ヘルシンキに戻ってきました。
今回はヘルシンキに一泊します。
お世話になったのは『CheapSleep Hostel Helsinki』です。
ここはヘルシンキ中央部からトラムで少しの距離でありながら、朝食込みでリーズナブルなお値段でした。ありがたい。
共有スペースにバーチャファイターがあって笑いました。
さて、フィンランドに来てやり残したことがあと1つだけあります。
伝統のフィンランド式サウナに入るということです。
今回訪れたサウナは『ロウリュ』です。
こちらは新しい施設で、レストランも併設されたオシャレスポットです。
手ぶらでいってもタオルや水着をレンタルできます。
受付で身分証を預けることで入場できます。
水着に着替えたら準備完了です。
まずは焚き火にあたるもよし、バケツシャワーを浴びるもよしのリラックススペースがあります。
肝心のサウナもいい温度です。
サウナストーンに水をかけると熱気がグンと高まります。
いい汗かけました。
ここからがフィンランドサウナの醍醐味です。
なんとここのロウリュはフィンランド湾に隣接しており、サウナから出てすぐに海にダイブできます!(危険な飛び込みはやめましょう)
蒸し釜のような高温サウナから外気温一桁の外に飛び出て、そのまま極寒の北欧の海へドボン。
ビリッビリします。最高です。
この繰り返しでフィンランド人は皮膚を鍛えているそうです。だから寒さにも強いのか。
サウナに入って海にドボン
サウナに入って海にドボン
バカ丸出しの楽しみ方ですがいい経験でした。
サウナ上がりにフィンランドビールも頼めます。お気に入りのカルフを頼みました。
サウナで汗を流した直後の冷えたビールはこの上ない旨さでした。
ビールを飲んで焚き火を見つめながらのんびりと旅を振り返るとてもよい時間を過ごせました。
レンタル品を返してビール代や入場料を清算したら帰ります。
フィンランド最終日も終了です。
お土産タイム
翌朝、無料の朝食をホステルで食べました。
隣の席に座っている白人のおばちゃん集団が僕を見るなり、僕に聞こえるようにバチクソに中国人の悪口を話しはじめました。
中国人に間違われているようです。
でも僕だって西洋人の見分けなんかつかないですし、仕方ありません。黙ってパンを食べます。
〇〇人だから〜とかじゃなく、みんなに優しく自分も礼儀正しく生活しなきゃなと改めて思いました。
帰りの飛行機までお土産タイムにしました。
ヘルシンキ中央部のデパートを巡ってみました。
ムーミンショップに北欧雑貨、目移りしちゃいます。
結局は空港の免税店で買うことにしました。
お昼ご飯はまたかもめ食堂にしました。
どうしてもランチメニューが食べてみたかったからです。
味噌ラーメンを頂きました。
優しい味にうっとりです。
ヘルシンキ空港へと移動し、チェックインします。
今回のフライトは
ヘルシンキヴァンター空港
↓1時間のフライト↓
ストックホルムアーランダ空港
↓8時間35分のフライト↓
北京空港
↓3時間35分のフライト↓
羽田空港
という乗り継ぎ2回のエアチャイナ便です。
行きのチェックイン同様にスルーチェックインの可否や途中での荷物受け取りの有無を確認すべく、自動チェックイン機ではなくカウンターに進みました。
最初のストックホルム行きはスカンジナビア航空との共同運航便だったのでSASのカウンターで手続きです。
eチケットを見せると「なんだこりゃ?」という顔をされます。
航空券もなかなか発券できず、荷物の札も出ません。
またやってくれたなエアチャイナ。
2週間前の全力ダッシュ乗り継ぎが思い出されます。
カウンターにはSASのスタッフが数人集まってパソコンとにらめっこしながら高速のフィンランド語で会議し始めちゃいました。
不安が募ります。
色々SASのスタッフさんが調べてくれた結果、北京までの航空券と羽田までの荷物タグが発券されました。
つまり、羽田まで荷物は受け取らなくても大丈夫だが、北京空港で北京から羽田までの航空券を発券するべくもう一度手続きをしなくてはならないということらしいです。
親切に調べてくれたSASさん感謝です。
とにかくチェックインを済ませてショッピング開始です。
搭乗ゲート付近にたくさんのお店があります。色々購入しました。
さて、最初のストックホルム行きの飛行機に乗り込みます。
ちっちぇ。
飛行機は今まで乗ってきたものの中で最小クラスでした。
まあ1時間ほどのフライトですしそんなもんでしょう。
着陸後ストックホルムで乗り継ぎです。
乗り継ぎ時間が1時間ほどしかなかったので早足で歩きます。
乗り継ぎ用の審査を終えて搭乗ゲートへ進もうとすると、エアチャイナの看板をもったお姉さんが立っていました。
もしや?と思って声をかけてみると、「To羽田?」と聞かれました。
どうやら僕に用があったようです。
危うくスルーするところでした。というか、普通ならスルーしてます。
エアチャイナへの不信感から慎重な行動に出たことが功を奏しました。
またまたやってくれたなエアチャイナ。
手続きカウンターに連れていかれて、ヘルシンキ空港では北京で発券されると言われていた、北京から羽田行きの航空券が発券されました。
もう何を信用したらいいか分かりませんがとにかく手元に航空券があるのでこれで帰れるのでしょう。
スルーしてたら北京で立ち往生だったかもしれないと思うと恐ろしいです。もうここまでくると罠みたいになってきます。
その後、搭乗ゲートで搭乗時刻を待っているときにふと思い出しました。
そういえば動物検疫なるものがあった気がする。
日本では最近、動物検疫が強化されて肉製品がほとんど持ち込めなくなっていたはずです。
荷物を確認します。
先ほどヘルシンキ空港のお土産屋で買ったトナカイ肉のジャーキーがたんまり詰まってました。
やらかしました。
捨てるのはもったいないので、日本到着までに食べちゃう必要があります。
いきなりのトナカイ肉フードファイト開始です。
トナカイ肉を頬張りながら北京行きの飛行機に乗り込みました。
特に遅延もせず、8時間半経つと北京へ到着です。
僕は座った姿勢で寝られない体質なので不眠不休でここまで移動してきました。
でも、あとは北京から羽田までの3時間半のフライトを耐えきれば愛しの日本に帰れます。あと少しです。
乗り継ぎ時間は3時間弱、審査を終えてゆっくり搭乗ゲートへ向かいます。
ここでエアチャイナは疲れ切った僕にとどめの一撃をお見舞いしてくれました。
エアチャイナの悲劇、再び
電光掲示板の表示がおかしい。
搭乗ゲートに到着して気づきました。
予定では北京を現地時間12:50ごろ飛び立つはずだった僕の便が16時頃出発に変更されてます。
カウンターに問い合わせます。
遅延です。
またまたまたやってくれたなエアチャイナ。
突然3時間も遅延という連絡です。
不眠不休で移動してきて、やっと帰国できるかと思ったここで3時間の立ち往生となります。
3時間という絶妙に無駄な時間、もし体力が有り余っていたらダッシュで北京をミニ観光できなくもないですが、もう僕はガス欠目前状態でした。
この状況で外に出ても中華料理のひとつも食えずに戻る羽目になりそうなので、空港で待機することにしました。
空港で時間まで眠ろうかとも思いましたが、最後の最後に荷物をスられるのは嫌だったので起き続けることを選びました。
既にSIMカードはヨーロッパ用から日本用に切り替えていましたが、ここは中国なのでどっちも使えません。
空港のWiFiに接続するにも、パスポートを使って申請をしなくてはいけませんでした。
やっとのことでWiFiにありついても、Twitter、Instagram、Youtube、LINE、Googleなどのだいたいのアプリは規制されて使えませんでした。
さらに、通貨もありません。
とりあえず空港を彷徨って両替できるところを探し、お土産を買って残った僅かなユーロを元に両替しました。
手数料でだいたいもってかれたので雀の涙ほどの元のみ手に入りました。
つまり、これから僕は不眠不休でボロボロの身体を引きづりながら、わずかな元と文鎮と化したスマホを手に、何もない北京空港で3時間待つことになったわけです。
人間、何もすることがなく何もないところで長時間待つというのは厳しいものです。
ボーッと座ってると、忠犬ハチ公じゃないんだからさあ…というような気持ちになります。
スマホ依存症の身にはより苦痛でした。許すまじネット規制。
空港のお店を見ても何が何だかという程度。だってもうしこたまお土産買っちゃった後ですもの。
カップ麺を買って腹ごしらえしました。
スタバで気分転換もしました。
やっとのことで予定の時間になりました。
が、一向に搭乗ゲートのスタッフは搭乗開始を告げません。
遅延マシマシです。
気分イライラです。
結局5時間ほど北京空港で待ち続けました。
この旅の中で怒りのピークといえばこの時だったでしょう。
ヨーロッパを2週間回って北極圏まで行ったわけですから苦難はあるだろうと思ってましたが、だいたいの苦難はエアチャイナ絡みでした。ちくしょうめ。
これっきりもう2度とエアチャイナには乗るもんかと心に固く誓いながら、やっとのことで搭乗し、羽田へと飛びました。
3時間半経ち、予定より大幅に遅れて帰国です。
2週間ぶりの日本はもうすっかり夜でした。
羽田空港で日本語のアナウンスを聞いた瞬間、緊張の糸がほぐれました。
よし、家に笑顔で帰ろう。
芋頭monkey、無事に帰宅です。
陰キャバックパッカー、ゲームクリア
僕はこのシリーズの#1で、自分を陰キャバックパッカーと書きました。
バックパッカーのバの字すら分からないインドア派の陰キャが、社畜を目前に最後の悪あがきでオーロラを見るべく旅に出てみました。
だからこそ要らないものまで準備したり、いきなり旅が頓挫しかけたり、ろくに会話もできなかったり、風邪をひいたり…決してカッコいい冒険譚にはなりませんでした。
でもありのままの旅行記にはなったと思います。
この旅行記は僕の一生の思い出の記録としてだけのものではありません。
僕のようにポンコツで陰キャな奴らが、もしこのnoteをインターネット洪水の中で見つけたら、なけなしの勇気を振り絞るきっかけになるかもしれないと思って書きました。僕自身たくさんのブログに勇気づけられたからです。
だからありのままでよかったかなと思います。反面教師にしてもらっていいところもありまくりです。
じゃあその陰キャはバックパッカーを通して圧倒的成長を遂げて変化し、”自分探し”に成功して新たな自分に出会えたのでしょうか。
答えはNOです。
たとえド深夜の北極圏の森にぽつんと突っ立ても、何も変わりませんでした。
帰国して一ヵ月以上たつ僕はいつも通り家でゲームをしたり卒論を書いたりしながら、しがない大学生活を過ごしています。
でも、この旅は無価値だったわけではありません。この旅で分かったことはあると思います。それは新たな自分ではじゃなく、普段の自分の底じゃないかと思っています。
旅で予想外のことに出会ったり、ピンチに陥ったときに、綺麗ごとでは隠せないダサい自分が否が応でも露呈しました。
最初に飛行機がキャンセルになるかもと思ったときはパニック状態になり、まともな思考ができなくなりました。
意味もなくお母さんにLINEまでしちゃいました。
旅先で上手くコミュニケーションがとれなかった度に、予想以上の自分の英会話力とコミュ力のなさに情けなくなりました。
「みんな平等に!みんな優しく!」とツイートをすることは簡単ですが、実際に難民らしきホームレスの方についてこられると本心ではビビッてしまいました。
一緒の二段ベットに寝る人がゲイだった時にうろたえてしまいました。
アジア人ディスにひどく落ち込んでしまいました。
その他マナーなど、細かいところまで挙げたらきりがないほどのダサくて最低な自分がこの旅でたくさん現れました。
僕はひとりでバックパッカーをしてオーロラを観測しました。
友人にも「すごいね!」と言われます。
シリーズ#2で言ったゲームに喩えるなら僕はゲームをクリアしたといえるでしょう。
しかし、ゲームはクリアするとリザルト画面があらわれます。
自分のプレイを評価されるのです。
僕の今回のリザルト画面はなんとかクリアはしたものの、評価はボロボロといったところでしょう。だってあまりにも主人公がダサかったから。
たった2週間だけのヨーロッパ旅行をゲームなんかに喩えちゃってイタいことこの上ないですね。
でも、これが今回の旅で僕が分かった普段の自分の底です。
大学生活も4年生になると、慣れた地で、慣れた大学に通い、慣れたバイトをして、慣れた道を歩いていると、たいていのことはなんとかなっていました。
綺麗ごとだっていくらでもSNSに書けます。まるで自分は模範的人間なのではないかという錯覚までしかけます。
でも自分の底は違いました。
やっぱりまだまだ未熟で、綺麗ごとでは片づけられない部分がたくさんありました。
これから先、この底の部分を変えていこう!と思って社会人生活を送るのか、これがありのままの自分だ!と思って社会人生活を送るのかは正直まだわかりません。
でも自分の底を知らずにいるよりはマシな気がします。たぶんですけど。
だから、この旅行で観られたのがオーロラだけじゃなくて、自分の底だったことは一番の収穫だったなあと思います。
最終回ということで変に湿っぽくなっちゃいました。
最後になりましたが、最後まで何を書いてるかよく分からない僕の旅行記を読んでくださった方がいらっしゃったならば、感謝を申し上げたいと思います。
ご愛読ありがとうございました。
よろしければサルにバナナをくれてやってください。