シン・仮面ライダーをみて失望した話【酷評】
シンカメを見た。
正直酷評レビューなど書いたところで自分の感情整理以外の得は一つもないのだが、悪い意味で(SWep8以来だからおよそ5年ぶりくらいの)衝撃を受けたので書き記しておく。
今回ファンに気を遣って口を噤むと今後自分の中で酷いと呼べる映画が無くなってしまう気がするので…。
賛否両論の割合1:9くらいで進んでいくのでファンの方が読んで気分が良くなるような文章ではないことにはご注意ください
前置き
❝シン・仮面ライダーを一言で表す言葉は何か?❞
これは、筆者の言語感覚の問題ではあるのだが…
【つまらない】という言葉がある。
言動や思考が行き詰った状態を指す「詰まる」が転じて「納得できない」ことを指す言葉に変化し、面白いの対義語のように使われるようになり現在に至る。
一方【くだらない】という言葉がある。
これは一説によると、江戸時代に上方で生産された酒のうち人気があるものや品質のいいものは江戸へと「下る」が、品質の悪いしょうもない酒は需要もないので「下らない」で地産地消されたことから、取るに足らない価値のないものを指すようになったのだという。
自分はシン・仮面ライダーに「納得できない」要素はあまり感じなかった。
退屈だという意味での面白くなさ(つまらなさ)は2時間ほど続いたが、この作品は監督の描きたいであろうものを描きたいまま表現できているし、洋画はともかく他の邦画に比べて予算不足だとは感じなかった。役者も本来であれば実力派を揃えていたように見える。
では何故【酷評】とタイトルにつけたのか?
それは「還暦付近の初代ライダーオタクからちやほやされる為だけに作られた地産地消」の
く だ ら な い 映 画
だとしか思えなかったからだ。
詳細は後述するがこの作品は庵野監督と同年代のジジババ、あるいは同程度の知識を有するライダーオタクの内輪受けしか見ていない。監督とその周りの太鼓持ちだけで消費されこちらには下ってこない品質…酒でいえば清酒ではなくどぶろくである。
なので私がシン仮面ライダーを一言で評するならつまらないではなく【くだらない】ということになる。
まあそうはいっても創作なんて所詮は自慰行為であり、身内受けだけで成り立つ同人映画でも良いではないか!!どぶろくも文化だぞ!という意見ももっともではある。
ではなぜ私が失望しているのか。答えは簡単だ。
「シン・ゴジラではジジババ向け再生産で終わらないゴジラの現代風再構築ができていたのに、なんでそこから大幅に劣化しているんだよ!!!」
…という本作視聴前にはある程度あった監督への期待が裏返った結果がこの前と後に続く怒りの駄文だ。どうしてシンゴジの成功から失敗作だった実写版キューティーハニーまで時計の針を巻き戻した?わけがわからないよ
前書きの最後に公式HPにある監督のコメントを引用して紹介しよう。
何故か本作を視聴前にこの記事を読もうとしている変わり者へ
本作は大人になっても心に遺る老害の夢遊病である。
そして、オリジナル映像を知らなくても楽しめるエンターテインメント作品を、目指さず、頑張った映画であることだけは知っておいてほしい。
「コロナビールと称する爺の残尿」…それがシン・仮面ライダーの正体である。
観なくていい。金はまだしも時間の無駄だ。
問題点その1:特撮アクション
比較的面白かった部分から取り上げていこう。
問題点とは書いたが個人的には特撮部分は巷の評判とは違いそれなりには評価している。
怪人(本作での呼称はオーグ)のデザインは以前に比べ機械的になっており、不気味さは薄れたもののシャープでかっこよいものに代わった。
蜘蛛オーグやハチオーグは特に秀逸なデザインだったように思う。動きで見ても蜘蛛オーグの手の増やし方はインパクトがあってよかったな。
自分は初代仮面ライダーリアタイ世代とはかけ離れた年齢だが、幼少期にCSや再放送等で初代~V3くらいまでの仮面ライダーは虫食い状態ではあるが視聴済みである。
とはいえ熱心な昭和ライダーファンというわけではないため成人後は見返しておらずはっきり言って記憶も朧気だ。
それでも記憶の中のライダーと重なるようなシーンは多くて、この点については本当に懐かしく、今見てもカッコよく感じた部分が多い。
特に変身ポーズやライダーキックのモーションは手の角度から足の先までこだわり抜かれている印象を受けたし、ここは変えたところでもとよりよくなるとも思えないためこのままで良かったと思う。
問題は昔の特撮のチープさまで完全再現したことにある。
例を一つ上げると、以前は他の方法がなかったため高速戦闘を画面コマ送りにしたりして表現していたわけだが、これを現代でそのまま再現したシーンは画面上の違和感が凄いことになっている。
前は創作上の工夫だったものでも現代でそのまま使ったら懐古趣味にしかならないという話だ。
ついでに言えば一部シーンは画質も酷い、これも当時のテレビ画面の粗さを意識した弊害だろう。
また本作はカットを目まぐるしく変えてパンチキックの迫力を出していることが多いのだが、引きで見た時の格闘シーンの動きのキレは現代の他のヒーローもの映画…まあ代表であるアベンジャーズ等と比べてしまうとかなりショボい。
これは戦闘員との戦いよりはラストバトルなどのカメラが止まった状態だと顕著に表れていて、クライマックスに行くほどバトルが盛り上がらなくなっていくという深刻な問題を引き起こしていた。
あと薄暗いトンネルの中で暗緑色を中心としたスーツを着た連中が乱闘していても何も見えないことを指摘してくれる撮影スタッフはいなかったんだろうか。
もし仮面ライダーのダークヒーロー的側面を強調したいなら画面の明度を落とすのではなくドラマ部分で描いてくれ…。
良いとこ探しをするなら、サイクロン号をロケットのように使ってハイジャンプしているところとかはまあ結構良かった。漫画の方の演出だよね、確か。
問題点その2:キャラとストーリー
個人的には本作の一番の問題点はそのストーリーにある。
まずそもそも本作における主人公は誰なのか?
このシン仮面ライダーという映画を見に行く人が主人公を誰だと思って劇場に足を運ぶだろうか??
当然だが1号ライダー本郷猛?それともじつは一文字隼人の方が目立っていたり?まさかの…滝!?
…答えはどれも違う
この浜辺三波演じる女性キャラが実質的な本作の主人公だ。
語弊があるなら中心人物と言い換えてもいい。
本作の上映時間は2時間だが、体感1時間ほどはこの女性が何かの説明をしているか、敵の基地に単身乗り込んでいって捕まる(※なんと二度も同じことをやる)か、他のキャラがこいつに関連する話題を喋り続けている。
これはとにかく目立つからそう書いているだけなので実際に測ったら30~40分くらいかもしれないけれども。
話は大きく脱線するが、この女優さんは劇中でも見た通りの美人で(本当はこの写真よりは作中で見たほうが印象的に映ると思うが)皮肉ではなく凛々しく存在感があり、キャラクターとしても悲しき過去や複雑な家族関係を抱えていて……いきなり筆者の癖の話をされても困るかもしれないが髪型も好みだ。ショートヘアはいいよな。似合ってる。
さてそんな見た目設定共に受けがよさそうな美人女優が話の中心となるわけだが
ミ ジ ン コ の 毛 先 ほ ど も 魅 力 が な い
んだよね。見た目がいいのにだよ?凄くない?
ヤヴァいよ。やばいとかじゃない。エヴァい。
まずそもそも論として、仮面ライダーの映画を見に行ったのに仮面ライダーじゃないキャラの出番が一番多いというだけでも賛否が分かれるところだと思う。個人的にはそれが見たいわけではなかった。
…が、まぁ最悪↑のヒロインに魅力があればそれは問題ないだろう。
別にルパンの映画でルパンじゃなくてヒロインの話を中心に進めても怒らないもんな。面白ければ。
ただこのキャラは(…というか本作のキャラ全般は)とにかくキャラクターの感情の機微が理解しがたく、さっき迄説教をして悪態をついていたのに特に関係性の進展もないまま三分後には信頼度MAXになっていて「あなたなら…信じられる」とか抜かして見かけ上は熱いシーンに突入するなんてことはざら。
当然こちらの感情がついていけないので面白くない。パチンコの確変演出も真っ青の豹変ぶりである。
こういうお決まりの信頼シーンは本来の特撮ドラマであれば何話分ものドラマを通じて徐々に理解を深めて言った末に発生する熱血イベントだと思うのだが、本作では時間の制約があるせいか何の積み重ねもない状態で上っ面だけなぞることになるので燃えるどころかうすら寒い。
2号ライダー関連もそうだし、ラスボス関連も全部がこのパターンだ。
心変わりをするまでの心情変化が唐突かつ理解不能で、自分は最後までどこにも誰にも感情移入をすることができなかった。
基本的にどのキャラも自分の過去や自分の理念を演出や行動で表さず、全部口頭で説明するストロング制作スタイルであったことも薄っぺらさに拍車をかけていたと思う。
誰でもいいので己の悲しき過去を自ら口頭で説明するキャラは嘘くさいから極力出すなと教科書に書いておいてくれ。それが許されるのはタフだけだから
あと、これに比べると些細な問題だが本郷猛を公式設定で泣き虫コミュ障無職のちいかわにする必要はあったんだろうか?
1号ライダーがちいかわになってないと、この女研究者の出番が減ってしまうので、ルリ子を活躍させたかった誰かが話の整合性を取りつつ主役をすり替えたとか???
無職はいいとして過去作にコミュ障設定はなかったと思うし本作で唯一「納得できない、意図がわからない」要素がここだったんだよな。女優にんほったぐらいしか思い当たる節がねえんだけどまさかね…
それでも好きだったキャラクターをひとつあげるなら、本郷猛とこのルリ子の後ろを自動運転でトコトコついてくるサイクロン号くらいしかない。かわいい。
本作で最も魅力的で献身的な愛すべきキャラクターはサイクロン号のAIだと言っても過言ではないだろう。まぁ喋らないが…。
問題点その3:ヒーロー性の欠落
ヒーローの条件とは何だろうか?
カッコいいスーツを着ていること?敵役より強いこと?それとも優しいこと?
作品によっても描かれ方は異なるだろうが、こと初代仮面ライダーに関しては個人的にはこう思う。
『弱い人々を守ること』だ。
望まない改造手術を受け、組織からは命をつけ狙われ、それでも平和と人々のために人知れず戦い続けるヒーロー性。
この悲哀が幼い頃の自分の惹かれた初代仮面ライダーのテーマであり、当然本作にもそれは受け継がれているものだと考えていた。視聴するまでは。
はっきり言う。本作に人々を守るヒーローは登場しない。正確に言えばそういったシーンは存在しない。
描かれるのはただ「優れた暴力を持つ敵を、さらに上回る暴力で殲滅するシーン」だけだ。
一応作中のライダーは「人々を守りたい」とくどい程口にしていた。筆者の望むヒーロー性をこれでもかと自己申告してはいた。なのになぜこんなことを書いているのか?
本作中には一般人は一人たりとも登場しないからだ
せいぜい登場するのはかつて一般人だった死体程度であり、ライダーが実際に一般人を守ったり、あるいは守ろうとしたが失敗して苦悩したりするシーンは最後まで一度も挟まれなかった。
守った人々から感謝されることもなければ、逆に守ったはずの人々から批判され石を投げられる無情なシーンもない。
本作のライダーおよび協力する政府関係者は、描かれていただけでも下級戦闘員を含め軽く数十人は殺しているが、一般人ではない仲間まで含めても救った命の数は0である。驚異のキルスコアと言わざるを得ない。
…どこでカタルシスを感じればいいんだ?教えてくれよ
敵モブはたくさん出しているんだから予算の都合で一般人役エキストラが用意できなかったというわけでもないだろうに…
また話が横道にそれるが「現実にスーパーパワーを持つ超人がいたら善人であるはずがない」という露悪的なテーマで、最低なヒーローたちとそれに反する人たちを描いたザ・ボーイズという作品がある。
そんな作品ですら職業ヒーローのクズどもはヒーローという立場を守るために表向きは弱い人々を救って見せるくらいのことはしていたが、本作にはそれすらないのだ。
今作の仮面ライダーたちは何を、誰を守っているのか?
思うに、昔の特撮ヒーローものにあったような幼稚園バスを怪人から守る荒唐無稽なシーンは、あれはあれで必要だったんではないだろうか。
大体自分の身を削ってでも他人を守りたいなんてのは口にしてるだけじゃ嘘くさいお題目でしかないわけで、それを視聴者に信じさせるためのアクションはキャラクター性に説得力を持たせる為にも必要なのだ。
こんなのは仮面ライダーに限った話ではなく、ダークヒーロー性が高い近年のバットマンシリーズですら意識的にやってることだ。じゃあなんで本作がそれを排しているのか?
それは監督にとって特撮ヒーローとは「カッコいい技で敵をなぎ倒すシーンをたくさん描きたいだけで、誰かを救うとかなにかも守るだとかいうことは直接描くに値しない」からだろう。
個人的に本作が死ぬほど「肌に合わない」と感じた最大の理由がここにある。本作における仮面ライダーは一貫して「50年前の再現をしながらただ怪人とかっこよく戦うだけの存在」として描かれ続けている。
特に矛盾はないし意図したことはやりきっているが正直言って受け付けなかった。
人を守らない1号ライダーなんて建物を壊さないゴジラと同じだ。最低限の存在証明すらできていないではないか。
それでも仮面ライダーというシリーズには「歴史」がある。
本作中で一切描かれていないとしても、かつてのテレビシリーズや映画でか弱き人々を救ってきたライダーたちの姿を思い出すことで、誰かを守りたいという作中発言の信憑性を脳内で担保することは可能だろう。
ただし、以前の仮面ライダーをあらかじめ見たことがある人達であればの話になるが…(苦笑)。
ここで一度、前置きで引用した所信表明に戻って記事を終わりにしたい。
……。
本作シン・仮面ライダーは既存ファンの間だけの内輪受けに終わった。
上方から 【下らない】 映画である。