曜日の感覚 2012-05-29
4月からAT(アレクサンダーテクニーク)を習い始め、月に4回の日曜と、4回の平日の夜の時間がレッスンに費やされるようになった。
そのほかにライヴ、リハと、練習バンドと、ベースレッスンと。。。と予定が満載で、洗濯ものも溜まり気味だし、歯医者にも行く暇がない。
でもそれがそんなに大変じゃない。
というのも、ATのレッスンの場所に行っていると、非常に体調がよい。
人がやっているのを見て、聞いているだけでも体が反応するのだろうと思う。なので、極力時間を見つけては行ってしまう。
意欲的と言われたけど、実のところ、ちょっと日々のコリをほぐすためにまるでマッサージか水泳にでも行くような、そんな感覚。
つまり、そういう気持ちいいことが日々ちりばめられているし、予定も多いから、明日のことまでくらいしか把握してなくて、そのおかげで曜日感覚が薄れてきてはいたのです。
これは、毎日が楽しいせいに違いない、とか思っていたんだけど。
昨日、シンキングボディの1日ワークショップに出て、「時間がない」という人が言われていた「本当に時間がないの?」という問いかけとか、マージさんが「私は疲れないことに決めたの」と言っていた、という話を聞いたりして、自分が時間に対してもっていた「~すべき」感が薄らいだというか。
また、自分が本当にやりたいことは行動に表れてしまう。2歳児だったらやりたくないことはどうやったってやらせることができないけれど、なんで大人たちは「やりたくないなぁ」と言いながらお皿を洗えるのだろう?
なんていう話を聞いたりして、自分はかなり色んな選択を意識して、覚悟してしていると思っていたけど、まだまだだったなぁなんて気が付いたのだ。
そしたら、なのかどうかわからないけれど、毎日その日に待ち受ける出来事、たとえば仕事でも遊びでもレッスンでも。
朝起きて、出かけて、その先で何が始まろうともなんだか同じ気持ちでいられそうな気がしてきたんだよね。
フリーランスの時に感じた曜日感覚のなさともまた違うと思うのは、その時は仕事の時とそうでないときの差、オンとオフの差があったから。
月曜日は、週末にはまだまだ遠く、仕事も山積みなことを考えてどんよりする、とか、水曜日はあと一息と思うとか、そういう日々の出来事への評価をしなくなった感じ。
アレクサンダー的に分析をしてみると、日々のとても楽しいことや、ちょっと嫌なこと、そういったものにフォーカスしすぎなくなったのかなとそんな気がいたします。
まだまだ、自分は変わっていくんだなぁ。