懐かしい未来が、今ー『逆光』を観てー
私はなぜか今、広島にいる。広島は出身でもなければ、知り合いがいるわけでもない。ずっと前から広島に行こうと決めてたわけでもない。たまたま色んな要因が重なっただけである。しかし、数ヵ月住んでみて自然と広島に来るべきだったと思い始めている。なぜか。それはこの地で今、知ってみて得るべきものに出会えているからだ。私に必要なものが到来してくる。
それを強く感じたのが、監督を須藤蓮、脚本を渡辺あやさんが手掛けた映画『逆光』である。
以下、レビューを述べる。しかし本稿は、私がfilmarksに投稿したレビューを再掲したものである。ただしnoteに投稿するにあたって若干の修正をしている。それでは。
はじめ
本作は、須藤蓮さんと渡辺あやさんが立場は違えど共演した前作『ワンダーウォール』の問いかけに応答したものであると思った。
また監督の須藤蓮さんや渡辺あやさんを中心に、この作品をつくり、配給し、映画館で観客に届けることを本当に楽しんでやっていることがひしひしと伝わってくる。
以下、物語と映画づくりの側面に分けて順に述べる。
物語の側面
前提として、主演を須藤蓮さん、脚本を渡辺あやさんが手掛けた『ワンダーウォール』について言及する。
この作品は、京都のとある大学にある近衛寮の存続をかけた学生と大学の闘いの話である。近衛寮は100年以上の歴史があり、老朽化を理由に建て替えが議論される。しかしそれが、学生の自治行為の破壊と経済的合理性の追求を孕んでいると感じた学生たちは近衛寮を守るために大学に話し合いを持ち込むのである。しかしある日、大学の窓口であった学生課には壁が建設され、交渉が不能になっていくのである。
この作品で提示されたテーマは、経済的合理性に回収されない豊かさとそれを眼差す問いであると思う。その豊かさを『ワンダーウォール』では自治という学生の営み、その営みが自然と生まれる近衛寮という〈場所〉として表現されていた。
ではその豊かさをもっと追求してみようと試みられたのが、『逆光』である。
あらすじを公式サイトから引用する。
1970年代、真夏の尾道。22歳の晃は大学の先輩である吉岡を連れて帰郷する。 晃は好意を抱く吉岡のために実家を提供し、夏休みを共に過ごそうと提案をしたのだった。先輩を退屈させないために晃は女の子を誘って遊びに出かけることを思いつく。幼馴染の文江に誰か暇な女子を見つけてくれと依頼して、少し変わった性格のみーこが加わり、4人でつるむようになる。 やがて吉岡は、みーこへの眼差しを熱くしていき、晃を悩ませるようになるが……
この作品では、経済的合理性に回収されない豊かさが光や海といった自然、性愛、踊ることによって描かれている。
光や海は誰かの所有物ではない。所有されないからこそ「商品」にはならず、それ自体として経済的利益は生まれない。だから尾道の豊かな自然を描くこと、また吉岡が海に飛び込み、海中で光が煌めくシーンは豊かさを象徴しており、とてもいいと思った。
性愛は経済的合理性に回収されない人々の営みである。損得勘定で誰かに恋したり、愛したりはしないのである。また異性愛規範もまた経済という下部構造によって既定されるといったのはマルクス主義フェミニストである。そういった背景があって同性愛が物語に持ち込まれたのかは判断不能であるが、吉岡と晃の同性愛を描くのはすごいと思った。
ただ吉岡と晃の性愛はちゃんと描いてほしかった。性愛が最も重要な豊かさの象徴であると思うからである。
また踊ることも印象的である。
踊ることは、ゴーゴー喫茶でのみーこ、祭りへ行くことから逸脱して盛場に行くシーンでみられる。
大音量で流れる音楽に震える身体。震える身体はいつの間にか踊りだしてしまう。これも経済的合理性では説明できない。身体の禍々しさ、揺れ動くことも経済では説明できない。これはストリップにも言えることである。また祭りへ行くことから逸脱することも合理性を棄却した豊かさと観れてよかった。だからこそ踊るシーンは、鑑賞者も身体が震えるように音量上げてほしかったし、ストリップはもっとみせてほしかった。
自然、性愛、踊ることは輪郭も持たないぼやけたものである。「商品」のように固めようとすれば自然と融解し、かたちを変えてしまう。けれど確かに豊かなのである。それを眼差していく必要があるだろう。
また1970年代を舞台にした作品を今、映画としてみるとはどういうことか。なんだか懐かしい未来が到来してきたように思えた。1970年代という過去ではあるが、経済的合理性に回収されない豊かさをちゃんと眼差すことができるようになった未来として、そんな過去である未来を今、懐かしいと感じれる。時間もまた逆行するのである。
とにかくテーマと脚本の凄さを痛感していて、またそれを綺麗に描いたと思う。須藤蓮さん、渡辺あやさんすごい。欲を言えば綺麗すぎたからもっと性愛や身体の禍々しさを描いてほしかった。
映画づくりの側面
2021/07/18にシネマ尾道で鑑賞したので、舞台挨拶にも参加した。
須藤蓮さんの映画にかける熱さ、きらきらしたものをとても感じた。
グッズも尾道のアーティストと試行錯誤しながら制作したそう。映画のグッズは、製作者の顔がみえないなと思っていたが、『逆光』のグッズはよくみえる。なんかそういうの凄いいいなと思う。
否定ではないし、須藤蓮さんの熱心さ、意図は理解しているつもりという留保はつけるが、須藤蓮さんは、グッズ制作などでウィンウィンな関係でありたいと言っていた。それって損得勘定で考えてしまうことになるから、経済的合理性に回収されてしまう気がする。この場合、相互扶助と言い換えてもいいかもしれない。
またクラウドファンディングをして資金を集めたり、尾道の地元の人と交流したり、グッズを制作したりとこの作品における映画作りは、とても楽しそうだし、豊かな営みがされていることを鑑賞者として感じることができた。また尾道から世界に届けるという心意気もすごいと思った。
そして自分も鑑賞者ではなく、製作者として映画という豊かな営みに関わりたいと強く思った。
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