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手書きの速さ、デジタルの速さについて

こんにちは。mmです。

本日の結論

本日のnoteですが、

・情報管理において、紙手帳とデジタルどちらを選ぶか問題
・「デジタル = 脳の拡張」「紙手帳 = 脳の吐き出し」説
・役割に応じて併用するのがいい説

この結論について考えたことをつらつら描きます。

久しぶりに使ったほぼ日手帳

私は普段、Notionをメインに情報管理をしています。
仕事でのタスクスケジュールや調べた内容は勿論、プライベートアカウントも併用して、日記や記録など全てデジタルで管理をしていました。

理由は一つ、とにかく早いから。
紙に字を書くことよりもずっと手早くまとめられて、編集も削除も楽々。データベース化して検索したり、煩雑な記憶を整ったテンプレートで取っておけるので、今や生活に欠かせない存在になっています。

なのですが、今年久しぶりに買いました。ほぼ日手帳。

綺麗に手帳を描ける人は憧れますが、私の手帳は汚くて消したい内容しかありません。社会人になって遠ざけていた手帳ですが、今年なんとなく購入することにしました。そして描き始めて驚きました。役割が変わっているのです。

私はここにある説を掲出します。

「デジタル = 脳の拡張」「紙手帳 = 脳の吐き出し」説

脳には限られた情報しか取っておけません。だからデジタルツールをはじめ、自分が覚えておけない情報を持っておく拡張ツールが必要です。

ですが、大事なのはそれだけではなく、その限られた中で脳に少しずつ溜まっていく「まだ言葉になっていない何か」を取り出すことだと思いました。

それは掴みにくいもので、言葉を使って形を捉えるのは難しい。今noteで何と無く書き出していますが、なんだか別のもののようにも思えます。だけど、これが一杯になると考え方、習慣、健康状態が変わってしまう。この存在を自覚し、操作できないまでも少しずつ捉えることが大事だと、最近は考えています。

デジタルツールでの記録が「取り出すために整えられた拡張HDD」だとすれば、紙での記録は「ランダムなエネルギーのリアルタイム実況」。後から見たら意味が分からなくても、出さなければ溜まっていく。その装置として紙とペン・言語非言語を用いるのは、私にとっては大事なことでした。なんだかんだやっぱり。

早くまとめること、遅くても切り出すこと

頭に溜まった内容は、すぐに言葉にはならず、後から見ると「なにこれ?」となる時もあります。日々の振り返りをババっと打ち込む時には忘れていたり、なかなか出てきてくれなかったりします。早くまとめることと、時間がかかっても頭に溜まった内容を切り出すこと、それぞれ大事にしていけたらと思います。自分の言葉を育てる手段として。綺麗な言葉だけで、自分を知った気になってたらダメだと思ったり。

デジタルでざざっと書いて、紙媒体でその中から1つ、大事なものを選んで書き写したり、それぞれいいところを併せて使えないか…

諸々まとまっていないですが、最近の大きな気づきだったため、ここに書き残します。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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