撮り鉄くんと心理的所有感
こんにちは、mizuです。
私は千葉県民なので、京葉線とか使ったりするのですが、そろそろダイヤ改正があり、通勤快速がなくなってしまうそうで、今私の周りに撮り鉄くんが沢山居ます。
公共の福祉よりも写真だというように、席にカメラなど機材を広げて、なんかファンみたいなところにマイク?録音するやつを繋げたり、道を塞いだり。電車の内外を走り回る少年や、少年の心を持ったオジサン。すごい。彼らにとってはディズニーランドよりもディズニーランドなのでしょう。
そこまでなにかに夢中になれるのはとても、すごいと思います。こんな熱量なかなか作り出せないですからね、、私もこれくらいガチで色々取り組んでみたいものです。
暇なので、スマホをいじってるフリして撮り鉄くんたちを観察しているのですが、なんというか電車の扱いがまるで自分の車のよう。
なんか入口で憂いた感じでポーズ決めてる撮り鉄君までいらっしゃいます。まるでポルシェの前でサングラスかけて髪をかきあげるような雰囲気を出している。まるで俺のものだといっているようだと、素人目にも見えたのです。
そこで思い出したのが「心理的所有感」というワード。これは2023年秋のマーケティングジャーナルで特集されていたワードです。
心理的所有感を高める方法にはいろいろあります。
心理的所有感をたかめることにより、満足感が増すのでしょうか?
心理的所有感というワードは推し活とも密接な関係があり、アイドルオタクの心理的所有感について語る論文さえ存在しています。
撮り鉄もやはり推し活であり、推し被りで戦争とかはなさそうですが、俺が1番この電車を愛しているだとか、そういうのはあるのでしょうか?
それとも、この絶滅していく通勤快速について撮り鉄のみんなで思い出を集めようという仲間意識なのでしょうか、どちらもなのでしょうか。
マーケティングとして考えるにはやはりこれを売上アップに使わねばなりません。たぶん。
この「限定」であることも撮り鉄くん立ちをこんなに集めている要因であることは間違いありません。
撮り鉄くんたちは何故こんなに集まるのでしょう?珍しいものは写真を撮って集めたいのでしょうか
ここまでくると珍しいものを撮りに行くのは義務なのでしょうか?
推し活も似たところがあるというかこれもひとつの推し活。推し活どこにでもころがっていてすごい。。