無限に音楽を作るこころのなか
3年くらい前から音楽が無限に作れるようになったんだ。
僕の経験したものであればどんな音楽でも作れる。
しかし楽器は上手い方ではないし音楽理論もそんなにわからない。ピアノだってギターだってろくに弾けやしない。でも作れるようになっちゃったんだ。
確かにバンドをしていたことはこの謎現象を紐解く要因のひとつではあると思っている。
高校生の頃、お父さんが筋金入りのローリングストーンズファンである友人宅の納屋スタジオに入り浸るようになった。当然のようにストーンズの曲を練習させられたのだがその時に楽器演奏や録音の楽しさを教えてもらったのは機材を集め出すきっかけであったのは否めない。何台も積み重なった初めて見る録音機材や、初めてさわるドラム、ミキサーというものや壁に飾ってあるベガーズバンケット、タトゥーユー、イッツオンリーロックンロールのレコードジャケ、ヤニの匂い、田んぼのススキに止まるトンボ、友達が背伸びして買った50CCバイクのシートの質感やスピードになびいた風の温度や湿度。ロックがはじまった瞬間ではあった。
あるいは大学入学迷わず軽音サークルに入り、浪人の背中から翼が生えたのを機にバンドに没頭しオルタナティブやパンクやファンク、ヒップホップにレゲエ、DUB。うぶ毛の生えた高校時代のロック魂にそいつらをコーティングすることができたのも年輪から確認できはする。
「悪いけどストーンズ聴いてるけど俺?」って顔してイキっていたんだけど、東京は世田谷の温度を初めて目の当たりにして井の中の蛙はジーンズを破き灼熱の太陽を全身で感じてイキりとやらかし、優越感と劣等感を交互に繰り返しながら背を伸ばして行ったんだ。
浅草橋で買った髑髏チェーンを財布に見せびらかせ、先輩から買わされた5000円の手打ち鋲なスコット革ジャンに缶バッチをばっちり付け、短期バイトで手に入れたドクターマーチンや底がツルッツルなラバーソールを装着するようになると、特に理由なんかなくともあらゆるものに中指立てることがかっこいいと思うようになっていったんだ。
不良ではなかったのだけど当時からビートルズよりストーンズだろ的な逆張りを早く言い放ちたい僕は「ビリージョーアームストロングよりやっぱティムだよな」って思うようになっていったし、真冬にコートを着込んで珍しい花が咲いていないかと下北沢をぐるぐる徘徊してはサブなカルチャーを思う存分に吸収したりもした。
冷たい風が吹く
浪人により抑圧されていたハートが原因か入学式ではじめて一目惚れというものを経験した。ずきゅーんとラブが暴走し冒険キッズははじめて夢中で曲をつくりこみ、その子に愛情を告白するという行為により感情表現が大幅に引き上げられたのも、音楽が無限に作れるようになった理由の核心ではないが古い傷ではある。それはそれは無課金のキャバクラみたいな状況に陥り、苦しみと喜びをジェットコースターのごとく繰り返しては音楽に逃げ、助けられ、すき、きらい、きらい、すきな感情を繰り返さざる負えない躁鬱なコンフュージョンにだいぶアタマがイカれていった。
そんな強度なロック逃避行と恋のカクテル酔いを経験してしまったココロは、僕を社会人にしてはくれなかった。
大学を卒業する頃にはひん曲がり、とげとげしてしまったつんつんな心と折り合いをつけることはなかなか難しく日雇いバイトをしながら、ネットを介し知り合った毎度くる人がわからないフリーセッションに明け暮れた。
「俺ランシドだけど大丈夫?」って流石にタバコふかすことはなかったのだけど、つんつんの心はいつのまにかコーンウォールの電子音に波形変換されていった。ギターエフェクターに夢中になっていた副産物だったのだろう。音そのものの探求に興味が移り出していった。初めて手にしたシンセサイザーの音にどっぷりになっていったんだ。
バイトをしながらヤフオクで手に入れたKORGのシンセを担いでは柏や渋谷や大塚や池袋のスタジオに通った。
フリーセッションに集まる人々は本当に面白い人たちだらけだった。友達でもないルーツがまったくバラバラな人々がまったく打ち合わせなしで、ジャンル関係不問、経験不問、歳不問、楽器不問みたいなカオスから、出す音のみで秩序を模索していく。毎回触覚をはやかし、音でテレパシーを感知しないといけないくらい、未知なるその場しのぎと意思の疎通が必要であった。リーダーのやつはギターで轟音ノイズをぶ発っし、毎回ワザとドラムにダイブすることで、生傷、鮮血を目の当たりにしても引かないやつらだけをふるいにかけていた。彼は本当に才能のあるやつだった。
病気のやつ、ジャンキーなやつ、クラシックな方、レコード店員、優しいやつ、ラスタな人、職人等、世界に居場所がないやつらだけが初めて顔を合わせ、音でお互いを感知し、違いを受け入れ、お互いのリスペクトやら違和感やらアンチやら熱いものやらを中和し聴いたことのないエネルギーの塊を屍の数だけクリエイトしていった。
回を追うごとにセッションは良くなっていき、心の傷を認め癒しあえたメンバーだけが残り固定されていった。気がつくと僕らはオリジナルをやるようになっていった。約1年くらいか、全員が問題を抱えていたのだけど幾度も笑い、泣いて、喧嘩して、議論し、認め合って最後四ツ谷ライブで全員社会性を失い燃え尽きて終わった。
そこで燃え尽きたのは良かった。ちゃんとした職があるやつの音は何故か説得力があり就職活動をしなくてはいけないと本気で思えたし、本気で理想を追求するために殴り合ってたし、人間の心の闇を純粋な形で理解することができた。今考えても本当にすごい音を出していたと思う。音源あるからそのうち公開しますね
前置きが長くなってしまったんだけど、そんなこんなで音楽が無限に作れるようになった絶対の要因だと感じることが3つある。
1 それはあるゆるジャンルの音楽を聴き続けてきたことで僕の耳にレコード針が装備され、脳にサンプラーが組み込まれていることに気がついたこと
2 ほんとに自分の身体が奏でる音を経験できたこと(比喩ではない)
3 経験した喜怒哀楽と音を結びつけるネットワークが作曲時に引き出せるようになったこと
ひとつひとつ説明するには膨大な時間がかかる。
これからひとつひとつ伝わるよう書いていこうと思う。
主観的で正確に説明できるものではないとも感じているんだけど。
音楽から受けた素っ頓狂な愛を最近とても誰かに届けたい気持ちになっているんだ。強烈すぎてこのまま寝かせておくのはあまりにももったいない僕の音楽体験の数々と音の向き合い方の記録とでもいうのかな
だからはじめた。とても長くなると思うよ
HowheeMooyoogaa?
(どのように彼は模様替え?)
それでははじめようか