楽園の狂人ⅩⅦ
1
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(日曜日、JR駅で待ち合わせ、K美術館行きの送迎バスに乗る。)
デイブ、私は誰でもない人になりたい。
なれるの?
不可能ではないと思う。もう少しお金を稼げればね。
土曜日戦争の報酬では不足?
いいえ・・・でも、もう少し欲しいの。ランクが上がれば、お金も増えるわ。
(バスが到着し、美術館に入り、ゆっくり歩く二人。)
凄いね。どんな気持ちで描いたんだろう・・・絵を描くことに、どんな意味があったのかなあ。
たぶん、テクニシャンだったんだろうね。技術的に優れた人達が評価された時代を生きた人達だろう。
そうでなかった人達も居たでしょう。二流、三流、無名の人達。
・・・描くのをやめたんじゃないかな。
やめなかった人達も居たわ。
誰?
ゴッホ・・・セザンヌ・・・。セザンヌは、母親が死んだ日の午後もスケッチに出かけたそうです。ゴッホは自分の耳を切り落として、商売女に送りつけた。狂っていると思いませんか?
・・・・・・。
これらの絵って完成しているのかなあ。「アートは決して完成しない。中断・・・放棄・・・されただけだ。」ダヴィンチです。
エコー、物知りだね。
小耳に挟んだ噂話ですよ。・・・ゴッホさんは、貧困と苦悩の中で・・・自傷行為を繰り返し・・・拳銃自殺した・・・。(涙声になるエコー。デビッドがエコーの手を取り、握り返すエコー。)
}
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(美術館からの帰路、バスの中。)
デイブ、今日は楽しかったわ。
そう・・・僕もだよ。
ご飯食べようよ。
良いね・・・。君は、いろんなことを知っているんだね。
だから、小耳に挟んだ噂話です。・・・デイブ、人生って何だろうね。
さあ・・・。少なくとも、僕は自分の耳を切り落とす気にはならない。
痛いもんね。・・・でも、貧困の中で行き詰まったら、そんな気になるかもしれませんよ。
僕、そうはなりたくないなあ。
大丈夫です。あなたは、そうはならない。私が居るからね。・・・何、食べようか?
僕は、何でも良いよ。
じゃあ、ラーメンと餃子にしようかな・・・ガッツリ食べたい気分なの。できれば炒飯も。
食欲旺盛だね。
生きて行くには、食べなければならない。基本です。
そうだね。
人がね、食物を摂取し、消化して養分を吸収して体を造る。この過程を工場で実現しようとすると、大規模な施設が必要なんですって。凄いよね。
}
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(エコーと別れ帰宅するデビッド。)
母さん、ただいま。
お帰り。美術館はどうでしたか?
うん、面白かった。けど、疲れました。外出すると疲れます。昼寝しても良いですか?
良いわよ。
父さんは?
部屋で午後飲みしてる。お父さんの時間だから、邪魔しないでおこう。
はい。
}
2
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エム・・・。
ああ、マディか。
はい。先日はありがとうございました。
いや、俺の方こそ。
もう少し話しませんか?
構わんよ。無聊を託つ老人だ。どうするかな?
明日の昼時でどうですか?
良いね。
汁だくの牛丼を買って行きます。味噌汁も。
申し訳ないなあ。・・・酒の心配はしなくて良いぞ。
はい。
君が酔い潰れるくらいの酒はある。
はい。
}
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俺の指揮下に、エコーと言う女性戦士が居ます。
そうか・・・有望な戦士かな?
かなり・・・。
年齢は?
南野高校の一年生です。
若いね。
文学部です。演劇部も視野に入れたようですが、とても適いそうに無いヒロインが居たので、諦めたそうです。
容姿にコンプレックスが?
解りません。彼女自身の問題です。
面白いね。学業は?
優秀です。申し分ありません。
へ〜え、そんな娘が居るんだ。
誰でも無い自分になりたいと思っているようです。
さて、誰でも無い?・・・どういうことかな?
}
{
(昼食の牛丼、ビールを飲み、さらに飲み続ける。)
エムさん、人生について、何か助言をもらえますか?
そうだなあ・・・丈夫で長持ちだろうね。若死はいかんな。まあ、長生きも考えもんだが、現役のうちは丈夫で長持ちだな。
どうすれば、そうなれますか?
人は、生きようと思って生きるものでもないし、死のうと思って死ねるもんでもない。生死に関しては意思を持つ必要がないと思うね。心配することはない。腹が減れば何か食うだろうし、眠たくなれば眠る。ケン坊、君は地頭が悪くなさそうだし、体も丈夫そうだ。良い男だ。細君も息子も幸せだろうなあ。
いやあ、痛み入ります。
幸せになろうとしたら、幸せになろうと思ってはいけない。心理的なトラップだ。土曜日戦争も同じなんだろうね。戦士は勝とうとして戦うのだろうが、勝とうと思ってはいけないんだろう。
}
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エム、土曜日戦争の戦士にはランク付けがあります。AからFまで。DEFランクは午前中、ABCランクは午後に飛びます。ABCは4人1組が3組づつで36人、DEFは4人1組が6組づつで72人。午後の組は、言わばエリートです。
そうか・・・。
最近、気付いたんですが、午後の戦士と午前の戦士とではメンタリティに差があります。
どんな差が?
午前の戦士の方が自分を信じきれていないと言うか、ギリギリの所で押していく力が弱いような気がします。それに比べると、午後の連中は不利な状況でも自分のやり方で押していきます。それで負ける事もありますが、負けを受け入れる。スキルの差だけでない。
君は、なぜ午前中の指揮官になった?
コマンダーに依頼されたからです。俺が午前中の指揮官で、コマンダーが午後の指揮官。朝から午後のバトルが終わるまで指揮をとるのは大変ですからね。
俺には想像もできないが、そうなんだろうな。
コマンダーは優秀な戦士でした。
君もだろう?
いや、比べものなりません。彼と俺を比べるなんて失礼です。
}
3
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(目覚めると、前夜に降った雪が少し残っている。寒い朝だ。エムはミルクティとヨーグルトで朝食を済ます。前日、マッド・ブルと飲んだ酒が残っている。
沈んだ気分の中で、エムはゆっくりと手足を動かす。
部屋を暖め、PC、タブレットを開き、ニュースや動画をチェックしながら煙草に火を付ける。
カーテンをずらして外を見ると、小雨が降っている。
「今日は家に居よう。そう思えば気が楽だ。昼は・・・そうだな、豚肉があった。ライスをチンして、豚肉を炒めれば、そこそこのランチになる。ビールを付ければ満足だ。」)
}
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(体の芯から澱んでいるような重い気分で喫煙を繰り返し、やっと思い立って昼食の用意をする。ライスのパックを電子レンジに入れ、豚肉を2枚、フライパンで焼く。
昼食と缶ビールを一本持って、二階の自室に行き、机の前に座り、食べながら飲む。
しばらく、そのまま過ごし、目を閉じる。気力は回復しそうもない。食器を階下のキッチンに運び、洗う。大きめのコップに水道水をたっぷり入れ、自室に戻り、安ウヰスキーを注ぎ、薄めの水割りを飲み始める。
三杯目を飲み始めると、椅子に座ったまま居眠りをした。三〇分ほど眠った。怠惰のうちに、時間が過ぎていく。
}
【
(前日の、マディとの会話を思い出すエム。)
マディ、君は蝉の目を潰したことがあるか?
いいえ、ありません。
それは良かったね。してはいけないことだ。
先輩、あるんですか?
あるよ。手から離すと蝉は飛んだ。狂ったように回って地面に落ちた。後悔したよ。あと数日の命だったのにな。何をしなくても命を終えたのに、余計なことをした。
誰もあなたを咎めたりしません。あなたがしたことを知らないでしょうし。
でも、俺が知っている。老境を迎え、悔やむことが多いよ。
エムさん、飲んで忘れれば良いことです。
そうかなあ・・・自分を責める自分も必要なんじゃないか?
俺、難しいことは解らないんで・・・。
】
【
Gとは親しかったんですか?
Gか・・・そうでもなかったよ。俺は図書館の虫でな、成績悪かった。Gも同じだ。要するにダメな生徒だった。親は困っただろうね。親を困らせる子は、もっと困る。人は無力だ。
でも、生きることは出来ます。
・・・生きていて、良いのかねえ・・・。
俺、判断出来ません。
老境になるとな、昔のミスを責めたくなる。どうしてなんだろうね?
解りません。
俺にも解らん。でも、そうなるんだ。
】
令和6年2月8日