楽園の狂人Ⅷ
1
{
(土曜日、居間のテーブルで夕食を摂る櫂の父母。)
お父さん、どうしたの?
ん?
口数が少ないです。
そうかな・・・。
何を考えているの?
娘の事かな。
櫂の事?
ああ、そうだね。利発だった僕たちの娘の事だ。
ねえ、お父さん、小さかった櫂はもう居ないのよ。
・・・認めたくない。
気持ちは分かりますけど、時は流れたの。
そうか・・・。
はい。
君は強いなあ。
そんなことはありません。受け入れれば良いんでしょうねえ。
・・・・・・。
お父さん、もっと飲む?
ああ・・・。
酔い潰れる?
それも悪くはない。櫂は・・・ジョシュアと寝たのかな?
ハハハ、当たり前じゃない。若い男と女よ。不本意な妊娠をしなければ良いわ。
母さん、君もそんなふうだったのかい。
そうですよ。恋をして、セックスして、別れて、別の男と出会って、繰り返し・・・。
やれやれ、活発だったんだ。楽しかったかい?
ええ、それなりの刺激があったから・・・。でも、私は愚かでした。あなたに出会うまではね。
照れるよ。
私もです。
・・・櫂は、今日も帰って来ないのか?
そのようです。
母さん、この前ね、櫂に聞かれたよ。定年後はどうするのかって。
そう、なんて答えたの?
まともな答えは、出来なかった。会社に行くしか能が無いオールド・タイマーだ。
恥ずべきことではありませんよ。お父さんが働いてくれているお陰で、家を手に入れることが出来たわ。ローンの支払いも退職金で充分間に合います。
君がマネージメントしてくれたからだね。
いいえ、私達家族を支えてくれたのは、あなたよ。・・・もう少し、飲みましょうか?
うん。
}
2
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(週日の午前、西公園を散歩するエム。75歳の老人だ。少年が近づいて来る。)
こんにちわ。(少年が、躊躇いがちに声をかける。)
ああ、こんにちわ。君は?
僕は、土曜日戦争の戦士で、デビッドです。
デビッド?・・・うん、君のことは聞いたことがある。東公園の近くに住んでいるそうだね。
はい。屋根裏部屋に居ます。
そうか、今日は?
母に追い出されました。僕、外に出るのが苦手で・・・そういうことです。
学校に行っていないんだってな?
はい。
俺にも、そうした時期があったよ。
・・・そうなんですか。苦しかったですか?
君は、苦しいのか?
はい、そう思うことがあります。(なぜ、みんなと同じように出来ないの?)って、母に言われました。僕より、両親のほうが苦しいのかも。
ハハハ、ボーイ、気にするな。両親の期待を裏切るのは子の特権だ。誰も君を責めはしないし、家族や友人・・・以外は君に無関心だよ。
お爺さんは誰ですか?
エムと呼んでくれ。Gとは、東公園とは友人だ。
エム、人は生きなければいけませんか?
うん。そうだなあ。人生が終わる時、それがゴールだとすれば、それまで生き続けるのが良いだろうな。
理由がありますか?
デビッド、君は土曜日戦争の戦士だ。君が戦う理由は何かな?
深く考えたことはありません。
それで良い。嫌でも考えざるを得ない時が来るさ。その時、考えれば良いんだよ。気楽にやろうぜ。
はい・・先生、また会えますか?
君が望むならね。俺は、無聊を託つだけの老人だ。
}
{
(エムと別れ、自宅に戻るデビッド。)
ただいま。
お帰りなさい。
・・・母さん、西公園でね、エムというお爺さんに会った。Gの友達だって。
お話ししたの?
はい。・・・母さん、僕、頑張るよ。
そう、嬉しいわ。でも、無理しないでね。・・・ご飯、食べようね。
はい。
(テーブルに、焼き魚、ポテトサラダ、白飯、味噌汁が並ぶ。)
最近、父さんの帰り、早くなったね。
そうね。会社が近くなったから。
給料、減ったの?
減ったわ。でも、私たちが困窮するほどではないのよ。少し、減っただけ。
そうですか・・・。
それは、おまえが心配することじゃない。そういうことはね、お父さんと私が心配する。差し出がましいことを考えてはいけません。
僕、力になれるよ。
解ってる。おまえの助けが必要な時は、私がお願いするからね。・・・それは、今じゃないの。
・・・・・・。
それより、エコーとはどうなの?・・・キスくらいはした?
はい。彼女、積極的だから。
どういう意味?
つまり、そういう意味です。
主導権は、彼女にある?
否定はしませんが、強く肯定もしません。僕、男だからね。
あらまあ、頼もしいこと。
・・・母さん、優しくなったね。
そう?
父さんに対してだよ。僕、感じるんだ、ちょっとした表情や仕草の中に。
生意気ね。
すみません。
お父さんも、そう思ってくれていると良いわ。
父さんは、充分、感じているよ。相変わらず無口だけど、最近、不平不満を言わなくなったし。
}
3
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(少年と別れ、自宅に戻るエム。そろそろ昼食の時間だ。焼そばにするか、炒飯にするか、などど考えながら一服する。)
(数日前、娘からショートメールが。「じいじ、スーツケースある?」エムは、その意味をすぐに理解した。長兄の渡米に目処がついたのだろう。)
(彼は、高校3年間、野球部に籍を置いた。最終学年の県予選1回戦、1番レフトで先発し、7対8で敗れた。)
(卒業に際して、大学受験をする事もなく、米国行きを模索した。9月の入学を目標に、国際空港内のバーガーショップでアルバイト、合宿で運転免許証を取得、深刻ぶる事もなく目標に向かっていた。そんな事を思い出しながら、エムは焼そばを作る。)
(高級ソーセージを細かく切り、刻み野菜と一緒に炒める。袋の3分の2ほどの麺を湯でほぐし、フライパンに加えソースを絡ませる。・・・出来上がりだ。焼きそばの皿、グラスと缶ビールを持って2階の自室に上る。)
(妻が死んでからも、エムはしばらく働いた。74歳の誕生日を迎えた年の5月末で退職した。自ら望んだわけではないが、通勤が辛くなっていたのは確かだった。老醜を晒さずに済んだことは、良かったのかもしれない。)
}
{
(インスタント焼きそばに、少し手を加えた昼食を終えたエム。ビールの後、ハイボールを2杯ほど飲んで仮眠を取る。短い夢を見た。小規模特認校に通う3番目の孫を迎えに行った時のことだ。標語ののぼりに孫の名があった。特殊詐欺防止の標語らしい。エムはスマホでショットした。)
(猛暑の中、少しあたりを散策し、車の中で子供達の下校を待つ。隣接する駐車場に、迎えの車が並ぶ。しばらくして、母親達が車から出て、言葉を交わしながら子供達の下校を待つ・・・。)
}
{
(短い夢を見た後、自宅を出るエム。目的があるわけではない。ゆっくり歩き、西公園に差し掛かる頃、誰も居ない公園のベンチに座る老人に気付く。西公園の神だ。)
こんにちわ、西公園。
エムか、ヤング・ボーイはカリフォルニアに行くのか?
はい、そのようです。
そうか、良かったな。
気持ちは複雑です。
子や孫は飛び立つ、飛び去っていく。老人は、見守ることしか出来ないよな。
西公園・・・。
寂しいか?なあ、エム、世の定めだ。それが、年老いるってことだよ。俺たちは、年老いた。でも、悪いことじゃねえよ。良くも悪くもない。
そうですか・・・。
うん、力及ばずだ。俺達は、怠惰な時を過ごすしか、能が無い。
・・・・・・。
まあ、孫は可愛いよなあ。
はい。狂おしいほどに・・・。
そうか、その想いは秘めておけや。あからさまにしないほうが良いこともある。・・・みんな、可哀想だよなあ。
}
令和5年7月14日