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楽園の狂人Ⅻ

1 序章

皆さん、(おはようございます、こんにちわ、こんばんわ)。
皆さんが、何時この記事にアクセスしていただいても良いように、3通りのご挨拶をさせていただきました。

昔の話でございます。60年以上前のことです。

昔々、南野市の片隅に、エムというお爺さんが住んでいました。長年連れ添った奥様を亡くし、一人暮らしをしていました。
もちろんリタイアしていたので、特段する事も無く、午前中には庭の草を取り、入浴して昼食を食べれば、さしてする事もないという生活を送っていました。
当時、75歳と高齢でした。今は鬼籍に入っておられます。
老齢の雌猫と暮らしていたようですが、どちらが先に亡くなったのか、定かではございません。
どちらかの命が尽きる時が、二人の命が尽きる時だったのでしょう。
確認したわけではありません。

エムは自分の心の中の冒険旅行をするという目標を持っていました。

2 初恋

私事で恐縮でございます。
私が14歳の時でした。私は、兄が参戦していた土曜日戦争のバトル・フィールドについて行って、デビッドに出会いました。
帰りのバス停でサンドウィッチを食べていた時に、ゆっくり歩いて来たのが来たのがデビッドでした。彼は、土曜日戦争に参戦していて、兄の知り合いでした。
バス停のベンチ、隣に座った彼は、私がサンドウィッチを口に運ぶ手元を見ていました。
私は、見ないで、と言いました。朝食の残り物で作ったサンドウィッチだったから。
気まずそうに目を逸らした彼は、風に揺れる小枝を見上げ、ワーズワスの詩に話題を変えました。記憶は曖昧ですが、そんなふうだったと思います。
私は、どんどん彼にのめり込んでいきました。毎日でも会いたいと思うようになりました。
デビッドは、とても魅力的な男子でした。私と同い年で不登校。私とは違う人生を歩んでいました。

しばらくして、私も土曜日戦争に参戦することが出来ました。思い返せば、楽しい時期でした。両親の庇護の下、好きな男子とデートしたり・・・。

3 エムお爺さん

昔々、南野市の片隅にエムというお爺さんが住んでいました。

エムは昭和生まれでした。戦後間も無く、ベビーブームが訪れ、その一員でした。

エムは自分の心の中の冒険旅行を続けるという目標を持っていました。なんとも抽象的な話ですが、エムは本気でした。ですが、それは簡単なことではありませんでした。手探りで時間もかかる作業です。高齢のエムお爺さんにとっては無理な事かもしれません。でも、エムお爺さんは一人で頑張っていました。

私、エムお爺さんに会ったことがあります。デビッドと一緒に散歩していた時のことです。彼は、エムお爺さんのことを先生と呼んでいました。
{
あれ、先生だ。
誰?
エム先生だよ。ちょっと話したい、良いかい?
はい。
先生、先生・・・。
ああ、屋根裏部屋の坊主か。隣の美人さんは?
・・・初めまして。私、エコーと申します。デビッドと一緒に、土曜日戦争に参戦しています。
ほう、その若さで、凄いね。で、君のボーイはラッキー・ガイかな?
・・・考えたことが無いわ。
そうか、一度考えてみるのも良いだろう。エコー、君の人生が幸せだと良いね。
はい、ありがとうございます。
うん、デビッド、君もな。
先生・・・。
}

エコー、どうしたの?
あなたの先生は、幸せになれないわ。
どうして?
人より少しお金持ちで、鈍感な人しか幸せになれない。エムお爺さんは、そのどちらでもなさそう。それに、大切なヘルパーを亡くしているんでしょ。幸せになれるわけがないじゃない。
・・・僕もそうなるのかな?
でしょうね。でも、安心して、あなたには私が居るから。


4 再会

私は、地元の高校を卒業した後、都内の大学に進学しました。その頃から、デビッドとは疎遠になりました。彼のことは、気にはなっていましたが、新しい生活が始まったこともあり、明確に意図したわけではありませんが、彼と距離をおくことになりました。

デビッド、私、除隊する。
決めたのかい?
はい。中途半端なことはしたくないの。

私は大学3年の時に、家を出ました。家を出たと言っても、実家近くにアパートを借りて、一人暮らしを始めました。
学費と生活費は、土曜日戦争の報酬を貯めたお金でなんとかなりそうでしたが、贅沢は出来ません。兄に、お小遣いを頼んだこともありました。兄は、快く振り込んでくれました。

大学を卒業しましたが、就職活動がうまくいかず、求職活動を続けてはいたものの、虚しい日々を過ごしていました。そんな時、兄が夕食とたくさんの缶ビールを下げて訪ねて来ました。

よう、元気か?
そうでもなくて・・・。
デビッド、Bランクで飛んでるよ。僕とAランク入りを争ってる。
お兄ちゃん、まだ土曜日戦争に参戦しているんだ。
おいおい、そんなに簡単に忘れるな。おまえだって、頑張っていたじゃないか。
そうなんだけど・・・。でも、もう除隊したからね。
まあ、良いさ。アンクル・ジョージも健在だよ。
まだ、ジュニアリーグの教官をしているの?
うん、みんな鬼教官だって言ってる。
そうね。眼に浮かぶようだわ。でも、彼は厳しいだけの人じゃない。
僕も、そう思うよ。
(兄は、土曜日戦争の話を繰り返し、買って来たビールを飲み終わると、茶封筒に入れたお金を置いて帰って行きました。その中に、デビッドの携帯番号のメモがありました。)

数日後、デビッドの携帯にメッセージを送りました。夕食にビールを飲んで、意を決して・・・。思いがけず、すぐに返事が来ました。

こんばんわ、エコーです。お元気ですか?
やあ、エコー、しばらくだね。大学、卒業したんだって?
はい。
それは良かった。学業に専念したいから、土曜日戦争から除隊するって言ってたからね。順調かい?
・・・そうでもありません。あなたは?
そこそこだよ。相変わらず屋根裏部屋で・・・。でも、土曜日戦争では、午後に飛んでるよ。ジョニーに追いついて、Bランクだ。
凄いね。
そうでもないよ・・・エコー、今度の土曜日、会えないか?午後4時頃には、JR駅前に行けるんだけど。
良いわ、北口で待ってるね。
約束だよ。
はい。

その夜は、久しぶりに、何の憂いもなく眠りに就けたことを覚えています。

土曜日、少し早めに部屋を出て、駅の北口に行きました。デビッドは、鉄のベンチに座っていました。

再会した彼は、私が最初に惹かれた少年ではありませんでした。新鮮なピーチのような、禁欲的な少年ではありませんでした。飲酒も喫煙もする大人の男になっていました。
近くの居酒屋で少し飲んで、私の部屋に行きました。

エコー、良い部屋だね。
ありがと。少し無理をしてるの。
どうして?・・・君らしくないね。
ちょっと人生設計が狂っちゃった。貯金も底を突きそうで・・・。
それは大変だね。
そうね・・・あなたと一緒の時は、うまく行っていたんだけど。
ハハハ、子供だったからだよ。僕と一緒だったからじゃない。守られていたんだ。
はい・・・。
エコー、良い方法があるよ。
なに?
ルームシェア・・・。僕、いつまでも屋根裏部屋に居たんじゃ、世間体が良くないからね。
・・・意味が解りません。
賢い君に、解らないはずないじゃないか。そういう意味だよ。説明が必要かい?
ええ、聞かせて・・・。
良いよ、よく聞いてね。・・・僕は、君と疎遠になって孤独な日々を過ごしていた。土曜日戦争に専心することが生き甲斐だった。君がどうしているのか、そう思う事もあったよ。君は頑張っているんだろうなあと思っていた。
そうでもなかったわ・・・。
いや、君はそうだった。だから、僕は頑張れたんだ。
・・・・・・。
僕も、何度か家を出ようとしたんだ。でも、上手くいかなかった。君と一緒なら、上手く行くと思うんだけどなあ。
・・・私達、結婚するの?
・・・・・・。


5 翌朝

(気まずい。デビッドも無口だ。私は黙って朝食の用意をした。得意でもない料理だけど、頑張ったの。)
(彼の、無口の理由は解っていた。私が余計なことをしたからだ。)
(昨夜、その時になって、私はゴムを使うように言った。彼は、慣れていないようだった。背を向けて、ゴムをつけ終わると、私の股間に腰を入れ、不器用に押し付けて来た。私は、彼のペニスに手を添えて、そこに導いた。)
(アパートで一人暮らし、コンドームを用意している。そういう娘だと思われたのかも知れない。実際は違うのに。)

(会話のきっかけをつかめないまま、重苦しい沈黙の中で朝食を終えた。)
エコー、僕、いつここに来れば良いかな?
えっ?
ルームシェア、君も賛成したよね。
そうだっけ?
うん、今更キャンセルなんて、無しだよ。約束だからね。
はい。私はいつでも良いわ。あなたの都合で・・・。
そうか、じゃあ次の金曜日にしようかな。ここから、土曜日戦争に行くよ。
はい。


6 別離とその後

(半年後、私はデビッドと結婚しました。)
(私の結婚生活は、幸せだったのでしょうか。幸不幸を測る物差しはありませんが・・・例えば荒天の夜、雨雷が強く、小さなベッドで抱き合っていたことを思い出します。その頃、私は安心して暮らしていました。)

(私達が40歳を超えた頃。彼のお父様が亡くなりました。私達実家に入るの?と訊きました。デビッドは答えず、そうはしませんでした。彼は、私の人生にとっての重要な問いに答えない。)
(私達の一人息子は、就職して一人暮らしをしていました。そして、葬儀に恋人を連れてきました。)
(デビッドは黙々と喪主を務め、無表情になりました。)

(その後、お母様が亡くなり、その2年後にデビッドが亡くなりました。58歳でした。最後は、市内の総合病院の緩和ケア病棟で。)

(私は、兄に頼んで、私達をバトル・フィールドのバス停に連れて行ってもらいました。私とデビッドが初めて会った場所です。いつものデビッドのように見えました。動作は少し遅くなっていましたが。)
(私達は10分ほどベンチに座りました。風に靡く梢を見上げ、デビッドは声を上げずに泣いていました。私もです。帰りの車の中でも、兄とデビッドは土曜日戦争の話をしていました。それが、最後の外出になりました。)
ーーーーーーーーーーーー
私も、そう遠くない明日に、旅立つことになるでしょう。
人生の最後の時に、私は後悔の念を持つのでしょうか?
そうは思いません。初恋の男と結婚して、充分に長いとは言えませんが、一緒に暮らしました。
後悔をすることは無いでしょう。私は、そうした感情が解らないです。
無念と言えば良いでしょうか。

残り少ない私の雑駁な人生の下書きは終わったようです。もう一つの人生のフェア・コピーを書ければ良いのでしょうけど、そうもいかないようですね。唇を噛んで耐えることにしましょう。

(今朝の、今日の、今夜の)エコーお婆さんの話は終わりです。
老婆の戯言にお付き合いいただき、ありがとうございました。

   令和5年9月7日

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