楽園の狂人ⅩⅩⅠ
1
{
ねえ、お爺ちゃん、しばらく下で寝て良い?
かまわんが、どうした?
二階は暑いです。このところ、まるで熱帯。
エアコンがあるだろ。
電気代が嵩むわ。
で、どうする?
リビングの片隅に、お布団を敷いて寝ます。
好きにしなさい。
ありがと・・・そんなに熱くない夜は二階で寝るからね。
ああ、気遣いは無用だ。
}
{
お爺ちゃん、少し話せる?
良いよ。
(スワンの顔色を伺うエム。表情が暗い。)
スワン、クイズを出そうか。”I think therefore I am”は 誰の言葉だ?
・・・ルネ・デカルトです。「我思う故に我あり」と訳されています。
うん。
私からお返しです。”I can therefore I am” は誰でしょうか?
さて・・・ヴェイユかアレントだと思うが。ロザリンド・フランクリン、ゲルダ・タローじゃないよな・・・。
ファイナルアンサーは?
シモーヌ・ヴェイユだ。
・・・言い換えは無しですよ。
ハハハ・・・で、どうかな?
正解です。
}
{
スワン、学校で何かあったのか?
はい。でも、お爺ちゃんには言いたくありません
揶揄されたのか?・・・例えば、おまえの生い立ちや今の生活を。
・・・はい。でも、気にしていません。
顔を歪め、涙を流すほど悔しいのにか?
・・・心配しないで。一時の感情です。
・・・・・・。
お爺ちゃん、私、明日は学校を休む。
そうか。行きたくないのか?
いいえ、悪天候が予想されるの。大雨と風です。登校時、下校時も。
ああ、そういうことか。
だから、お爺ちゃんも、明日は外出できないと思ってね。
解った。俺、出不精だから好都合だ。
楽しい日になりそうだね。
}
2
{
おはよ、お爺ちゃん。
おお、早いな。
6時です。少し運動してみましょう。
運動?
まあ、軽いストレッチと考えて下さい。
どうすれば良いのかな?
ベッドから体を起こして、立ってみて。必要なら手を貸します。
(上半身を起こし、立ち上がるエム。)
どう?眩暈はしない?ふらつく感じはありませんか?
少し感じるな。
肩こりかもしれませんね。
眩暈とは関係ないだろう。
それが、そうでもないの。まあ、それほどひどくないようだから、様子を見ましょう。もう一回やってみて。ベッドに横になって、立ち上がる。今度はどう?
うん、少しふらつく感じはあるが、さっきよりマシだ。
お爺ちゃん、夜遅くまでパソコンや書き物をしているから、姿勢が悪いのかもね。体をあまり動かさないから、首、肩、腰に疲れが溜まる。お爺ちゃん、座禅したことある?
そうだな、若い頃、真似事をしたことがある。
じゃあ、ベッドの上で組んでみて。
そんなに上手くは出来そうにない。
適当で良いのよ。
今度は座禅か・・・。
似たようなものだけど、メディテーションです。まず、3分間やってみましょう。
たった3分で良いのか?
お爺ちゃん、初心者は謙虚にならなければいけません。私が時間を計ります。はい、始めてください。
(目を閉じるエム。しばらくすると、気持ちが焦れてくる。半眼になったり目を閉じたりしながら合図を待つ。)
3分間経ちました。どうですか?
案外長いもんだなあ。
そうでしょ?侮ってはいけません。次は、自分一人で、5分間を2回して下さい。私は、朝食の用意をします。
ああ、解った。
}
3
{
(朝食のテーブルに着くエムとスワン。雨が降り続いている。茶碗に8分目ほどの白飯、味噌汁、小パックの納豆、生卵だ。)
・・・お婆ちゃんのように、上手には出来ないね。
そんなことはない。それに、おまえは俺の女房を知らないだろう?
はい。でも、お爺ちゃんを見てると、奥様がどういう人だったか解ります。
そうか・・・。雨は、それほど強くないようだが。
そうですね。もっと雨風が強くなると思っていました。
学校のほうは、大丈夫か?
ズル休みと思われないかということですか?それなら大丈夫です。
そうかね・・・。
生理が重くて、お腹が痛かったんですって言います。
そうなのか?
嘘です。
おまえ、凄いな。
お爺ちゃんほどじゃありません。
・・・・・・。
年老いて、伴侶を亡くし、それでも生き延びてる。何を追い求めているのか知らないけど、毎日パソコンやメモ用紙に向かい、徒労を繰り返している。
そうかもしれん・・・。
放棄すれば良いじゃない。
}
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
以下、Wikipediaから抜粋
シモーヌ・ヴェイユ
Simone Adolphine Weil (1909-1943:34歳没)
フランスの哲学者。父はユダヤ系の医師。第二次世界大戦中、ほぼ無名のまま英国で客死した。検死官による死亡診断書は「栄養失調と肺結核による心筋層の衰弱から生じた心臓衰弱。患者は精神錯乱をきたして食事を拒否、自ら生命を絶った。」と記された。
戦後、知人に託されたノートを編集した「重力と恩寵」がベストセラーとなり知られるようになる。遺稿は政治思想、歴史論、神学思想、労働哲学、人生論、詩、未完の戯曲、日記、手紙など多岐に渡る。
ハンナ・アレント
Hannah Arendt (1906-1975:69歳没)
ドイツ出身のアメリカ合衆国の政治哲学者、思想家である。ドイツ系ユダヤ人であり、ナチズムが台頭したドイツからアメリカ合衆国に亡命し、教鞭をとった。
生涯にわたって朝の過ごし方を非常に重視し、ゆっくり起床した後に何杯ものコーヒーを飲むことを日課としていた。その習慣を貫くために、学生時代は朝の8時からのギリシャ語の授業に出席することを拒否し、学校当局と悶着を起こした。交渉の結果、特別の難しい試験を受けることを条件に、独学での勉強を許可された。
ロザリンド・フランクリン
Rosalind Elsie Franklin (1920- 1958:37歳没)
英国の物理化学者、結晶学者。石炭やグラファイト、DNA、タバコモザイクウイルスの化学構造の解明に貢献した。、ロンドンのユダヤ人家系の銀行家の家庭に6人兄妹の長女として生まれた。
1953年、DNAの二重らせん構造の解明につながるX線回折写真を撮影しており、特に有名なものが「Photograph 51」と呼ばれる写真である。
1962年にワトソン、クリック、ウィルキンスがDNAの構造解明によりノーベル生理学・医学賞を受賞したが、フランクリンは1958年に37歳で卵巣癌と巣状肺炎により死去したため、受賞の栄誉は得られなかった。一説には、実験のため無防備に大量のX線を浴びたことが癌の原因だと言われている。
ゲルタ・タロー
Gerda Taro :Gerta Pohorylle (1910-1937:26歳没)
ユダヤ系ポーランド人の写真家、報道写真家。
ロバート・キャパの公私に渡るパートナー。キャパが撮影したと信じられていた有名な写真「崩れ落ちる兵士」の本当の撮影者。
ユダヤ系ポーランド人の中流家庭に生まれた。ナチスの台頭に先立ち、一家はライプツィヒに引っ越した。彼女はナチスに反対して左翼組織に参加し、1933年には弟たちが反ナチスのビラを撒いた事で逮捕拘留された。ゲルダは釈放されたものの、結局一家はドイツを去ることを強いられた。彼女はその後二度と家族に会うことはなかった。
1937年スペイン内戦のブルネテの戦いの取材に向かったが、反乱軍の攻勢が激しくなり、撤退する共和国軍の混乱に巻き込まれてしまった。後退する道の途中で、負傷兵を運ぶオープンカーを見つけ、同乗しようとステップに足をかけた際に、暴走した共和国軍の戦車が車の側面に衝突、振り落とされたゲルダはこれに轢かれ重傷を負った。破れた腹から腸がはみ出すのを自ら押さえるほどの深刻な傷で、直ちに野戦病院に担ぎ込まれ、緊急手術を受けたものの、翌日に死亡した。一度意識を取り戻した際に発した「私のカメラは大丈夫?まだ新品なのよ」が「小さい赤毛ちゃん(The little blonde)」の最期の言葉であったとされる。
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