楽園の狂人ⅩⅢ
1
{
(9月下旬、小雨模様の金曜日だ。)
母さん、昼にエムと一杯やりたいんだけど。
ここに来ますか?
いや、エムのところで。
良いわ、ツマミを用意してあげる。
すまんね・・・。
なに言ってんの。家で落ち込んで居られるよりずっとマシよ。
}
{
(妻が用意したタッパ2個の料理と、日本酒の4合瓶を持ってエム宅に向かうG。デイパックにはタブレットも。)
なあ、エム、Chat-GTPって知ってるか?
まあ、使ってるよ。
そうなのか?・・・俺に教えてくるか?
構わんが、どうしたんだ?
こないだ櫂と話す機会があってなあ。表面的な知識はあるが、使ったことがないんだ。図書館で本を借りたりもしたが、どのアプリが良いのかも解らないし、教えてもらえると有難い。
お安い御用だ。タブレット、持ってる?
ハハハ、そのつもりで持って来たよ。
良いね。用意周到だ。俺も、タブレットを持ってこよう。
}
{
(2階の自室から、タブレットを持ってくるエム。テーブルの上の、Gのタブレットを見る。)
やれやれ、プロかい。贅沢なことだ。
まあ、長年勤めたからね。退職前に、上司がプレゼントしてくれたんだ。
へ〜え、そんな人も居るんだ。
恩人だよ。神様のような人だった、年下だったがね。
・・・じゃあ、やろうか。まず、ウチのWi-Fiに接続して。パスワードはこれだ。
うん、やってみよう。
(Gが操作している間に、ビールを用意し、飲み始めるエム。)
出来たよ。
良いね。では、アプリをダウンロードしよう。まず、ストアに行って、英語版と日本語版をインストールしよう。
そうか?・・・日本語版があるんなら、それだけで良いんじゃね?
それが、そうでもなくてさ。同じ質問をしても、答えが違うことがある。
そうなのか?・・・でも、こんなアプリを無料で使えるのか・・・。
うん、フリーライディングだ。
}
{
おい、エム。この英語版だけどさあ、日本語で訊くと日本語で答えるぜ。
そうか?・・・俺、試したことがない。どれどれ・・・。う〜ん、本当だ。
という事はだよ、多言語に対応してるんじゃねえの?
試してみるか。
うん・・・いや、そうでもないようだ。エム、勉強になるよ。持つべきものは友だなあ。
なんだよ・・・酔ったか?
そのようだ、飲んでるからな。これで、このマシンの活用の場が広がったよ。今まで、ニュースと動画を見るだけだったから。
}
2
{
G、俺、昏倒したことがあるんだ。4回ほど。
ヤバいな。病院に行った方が良いんじゃないか?
まあ、飲んで一時的に意識が飛んだだけだから。歳だしな。これからは、気をつけるよ。
ああ、そうしてくれ。
G、俺、孤独死まっしぐらだな。
ハハハ、そうかもしれんね。
笑い事じゃねえんですけど。
すまん、蔑ろにしているわけじゃない。
解ってるよ。
}
{
G、櫂って誰なんだ?
うん、隣町の娘さんでな。屋根裏部屋の坊主の家庭教師だ。土曜日戦争の戦略分析室に居る。来年、卒業する同学年の恋人が居る。これが、厄介な奴でなあ。・・・俺とは土曜日戦争の関係で、多少の付き合いがある。それで、相談されたんだよ。
隣町って言えば、太り過ぎて死んだ青年が居たよな。
・・・羽田 純。・・・櫂の兄だ。溺愛した息子の死に接し、母が入院した。壊れかけた家族を必死で支えたのが櫂だった。
・・・・・・。
健気な娘だ。たまに行くジョシュアとのドライブが、息抜きだったようだ。
}
{
ジョシュア?
厄介な恋人だよ。2浪しているから、櫂より2歳年上だ。駅近くのアパートで一人暮らしをしている。来春の卒業を控えて、就職が決まらない。
何をしたいのかな?
在野の研究者になりたいそうだ。
何を研究するんだ?
テーマは未定・・・。
う〜ん、ヤバい奴だな。生活できるのか?
まあ、土曜日戦争の報酬があるからな。当面、生活費には困るまい。愚かな浪費をしなければ。・・・ジョシュアとは、大学に入って間もなく付き合い始めて、ズルズルと関係を続けている。来春、卒業だから、結婚も考える時期だよなあ。
櫂は、結婚したいのか?
まあ、迷いがあるようなんだ。こんな爺さんに背中を押してもらおうとするんだから。結婚に躊躇してるが、別れたくはない。
問題はなんだい?
考えてもみろよ。ジョシュアは、土曜日戦争には行くが、それ以外の日には、やる事がない。月金は専業主夫だ。櫂は、働きに出るだろうから、ジョシュアは部屋で一人きりだ。不慣れな家事をするとしても、そんな状態で研究テーマが見つかるかね?モチベーションを保つことができないだろう。
まあ、そうだなあ。
早晩、行き詰まるよ。挙げ句の果ては夫婦喧嘩だ。櫂は不安なんだろうな。夫には、社会との関係を保って、規則正しい生活をしてもらいたいのだろう。
当然だよな。世間体もあるしな。
うん、俺、良く解るよ。俺もそうだったから。若い頃、一年以上、女房の稼ぎで暮らしていたんだ。女房の身内には、心配をかけただろけど、責められたことは無い。
ダメな奴だったんだ。
否定はしないよ。本当にダメな男だった。ダメな割には、無遠慮でなあ。恥ずかしい限りだ。穴があったら入りたい気分だ。ジェニュイン・ガイにはなれなかったよ。情けないことだ。
まあな・・・。
ジョシュアには、サークルの先輩が居たんだ。小さな団体の研究職に採用された。ジョシュアは、彼に憧れた。場末の研究者になりたいそうだ。
気持ちは解るがなあ・・・。
}
3
{
(少しづつ杯を重ねる老人達。そろそろツマミも尽きそうだ。)
なあG、労働ってなんだ?
なんで?
俺たち老人はさあ、なんか阻害されてるじゃないか。・・・随分昔のことだが、社の旅行で、会津だったかなあ、養蚕農家を見学した事があった。
・・・・・・。
「ここが隠居部屋です。」ガイドがそう言った。驚くほど狭かった。老夫婦の、終の場所だ。
・・・諦念のうちに見出す安らぎもあるだろうよ。やり遂げた人生なら。
}
{
禁断の木の実を食べた最初の男女は、神の怒りを買い楽園を追放された。
ん?
ちょっと回りくどかもしれないが、労働の話だ。神は男に言った。一生苦しんで大地を耕し、そこから食を得ろと。・・・これって、人類最初の労働の概念じゃないか?
う〜ん、そうだなあ。
まあ、産業革命や情報革命、IT革命を経て労働の質も変わっているんだろうが。一生苦しんで大地を耕せって言ってるんだよな。で、土のチリに帰れって。
・・・・・・。
なあエム、人には労働が必要なんだよ。活動と言っても良いと思うが、存在意義だ。
}
{
G 、楽園追放って、男と女と蛇の話だよな?
うん、蛇と女の話だよ。『その邪悪な蛇は、妬みと復讐の念に燃え、ずる賢い陰謀で、人類の母を惑わしたのだ。』だって。・・・ジョン・ミルトン、失楽園だ。彼は後半生を盲目のうちに過ごしたそうだ。
そうか・・・勉強になるよ。
いや、俺のほうこそだ。アプリ、教えてもらったし。・・・そろそろ帰るとするか。飲みすぎるなよ。
ああ、しばらく横になる。横になると、楽だからなあ。
}
{
(空になった酒瓶とタッパを下げて、自宅に帰るG。老妻は留守だ。ゆっくりと家に入り、タッパを水洗いし、空の酒瓶は瓶のゴミ袋に入れる。)
(2階の自室に行き、タブレットを開く。タバコに火をつけ、インストールしたアプリを試す。)
(「諦念のうちに見出す安らぎか。エム、俺には無理かもな。」階下に気配を感じ、部屋を出る。妻が帰宅した。階下の妻に声をかける。)
お帰り、母さん。
あら、帰ってたの?ごめんね、ちょっとお友達のところへ行ってた。ケーキをもらったの。一緒に食べますか?
ああ、そうしよう。
紅茶が良いかしらね。用意するわ。
(足元に気を付けながら、ゆっくりと階下に降り、テーブルに着く。)
}
{
はい、どうぞ。
ああ、ありがと。・・・母さん、俺、粗挽き鋸と鉄熊手、買おうかな。
欲しいの?
うん。
だったら、明日、ホームセンターに行きましょう。三角ホーも買うと良いわ。軍手も必要になるわね。
まあ、軍手は物置にあるけどね。
良いのよ。買いましょう。私のへそくりで払いますから。・・・いいえ、私達のへそくりだった。
・・・・・・。
お父さん、所詮道具ですよ。要らなくなったら捨てれば良いわ。人は、そうはいかないけど。・・・人は道具じゃないからね。
}
令和5年9月30日