楽園の狂人Ⅳ
1
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(まあ、それほど広い庭ではない。だが、草は生えるもので、放置すれば手がつけられなくなる。俺は、40代だったろうか、増えすぎた体重を落とそうとしたことがあった。不摂生の末に70キロまで増えた体重を落とそうとしたのだ。)
(出勤前のジョグ、ウォーク、食事制限。経験から分かったことは、すぐに結果は出ないということだ。3ヶ月くらいは、むしろ体重が増える。それでも続けていると体重が減り始める。1年で7キロ減量した。)
(庭の草刈りも同じだ。手を抜けば、草は勢いを増す。だから、毎日、少しづつでも刈り取る。雨の日もあるから、刈れる日は刈る。道具も必要だ。三角ホー、捻り鎌など。でも、最後は手だと思う。)
梅雨入りして間もない曇天の夕暮れ時、自室でウヰスキーの炭酸水割りを飲みながら、想いを巡らすエム。
}
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エム・・・エム・・・。
誰?
第三公園だよ。
第三公園の神?
まあ、そうだ。君は僕のことを知っているようだね。
いや、第一公園と西公園から、少し聞いた程度です。
彼らも、よく生き延びているようだ。
はい。
散る桜、残る桜も散る桜だよなあ。
はあ・・・。第三公園、なぜ冬の日に家出したんですか?
そうだねえ、僕はリタイアしてから、ほぼ自室で過ごしていた。晩年とか余生とか言うけどね。それなりに過ごしていたよ。その日、僕は出て行こうと思ったんだ。その気持ちを抑えられなくなった。で、家を出て歩き始めた。
不安はなかったんですか?寒かっただろうし。
そんなことより、何処かに行きたかったんだ。僕には動機が欠如していたから。
何処へ行きたかったんですか?
僕が一度も行こうと思ったことがない所だ。いや、思ったことはあったかもしれないが、その一歩を踏み出せなかった所だ。リタイアしてから、狭い自室で過ごしていた。読書したり、酒を飲んだりね。老いを感じ、退屈し、酒や動画で気を紛らわす。そんな生活が辛くなってきていた。スキットルにバーボンを入れ、夕方に家を出た。当てがあったわけじゃない、とにかく、振り返らず前へという感じだったよ。そのうち暗くなってきて、道に迷ったんだろうね、自分が何処に居るのか分からなくなった。二口、三口バーボンを飲みながら、歩き続けたよ。やっと小さな駅舎にたどり着いてベンチに座り、もう少し飲んだら眠くなった。
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(椅子で目を覚まし、居眠りしていたことに気づく。「夢か。俺も同じだ。」老いて、自室に閉じ籠り、無為の時を過ごしている。)
}
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若い頃、年下の友人と話すことがあった。彼は、俺より先に逝った。話の流れは憶えていないが、ジョグは恥ずかしいと言った。そのことが、ずっと気になっていた。不自由な社会だと思う。自縄自縛なのだろう。トラブルの大半は心が原因だ。
}
2
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(6月中旬、2日続けて、朝の雨が降った。小雨だ。雨具を着れば草刈りも出来なくはないが、気後れする。3日目、曇天の朝、少し長めに草取りをする。気になっていた家の横の狭い場所もホーで引っ掻き、ドクダミなどを手で毟った。)
(風呂に入り、身繕いして車で銀行に向かう。幾許かの金を下ろし、市役所に向かい、出先の銀行窓口で住民税の支払いをし、後期高齢者の保険証の確認をする。「ああ、手続きの必要はありません。保険証は8月から翌年7月までの1年間が期間ですから、新たしい保険証を7月中には書留でお送りすることになっています。ご心配をおかけし、すみません。」)
(市役所の出口付近で、弁当を売っている。焼肉弁当を買い車に乗る。帰路、ドラッグストアに寄り、焼酎、缶酎ハイ、ティッシュペーパーなどを購入し家に帰る。昼食の心算はあったのだが、明日にしようと思う。自室の机で、いつもよりボリュームのある弁当を食べ終え、しばらくすると睡魔に襲われ居眠りをする。)
}
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エム・・・。
・・・第三公園?
そうだ、君とはもう少し話したいと思ってね。
俺は構いませんが・・・。
そうだろうと思ったよ。今日は、どうした?
はい、今日は少し頑張りました。
頑張った?
そうです。庭の草を引っ掻いて、家の横のドクダミも。
そうか。
それから銀行に行ってお金を下ろし、市役所に行きました。市役所の出口で、お弁当を買って、ドラッグストアで酒とティッシュを買って、家に帰りました。
楽な生活だね。
いや、そんなことはありません。俺、頻尿系なんで、外出は大変なんです。
うん、晩年の僕もそうだったな。なんとか対面を保っていたがね。
で、帰って弁当を食べて・・・。眠くなって。
それで、僕とまた会えたわけだ。
夢ですよね?
まあ、そうなんだけどね。良いじゃないか。僕も、君と話したいと思っていたんだ。
俺とですか?
そうだよ。君とは、もう少し話したいと思っていた。
}
3
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エム、僕はね、豊かな家庭の息子ではなかった。だから、金が無くてもできることは何かなって考えた。
何ですか?
考えることだね。考えることは無料だから。
確かに・・・。
ただね、問題があった。
どんな問題ですか?
食わなければならないって事だよ。考えは金にならないから。
で、どうしたんですか?
働いたんだ。運良く職を得てね。
運良くですか?
この世は運とコネだからね。南野市役所に就職した。でもコネじゃないよ。
そうですか・・・。
それでね、しばらくは職務に専念することになった。研修を受けたりして、学ぶことも多かった。若かったし、酒も覚えたりして、それなりに生きてきた。出世はしなかったよ。やがて定年を迎え、自室に閉じ籠るようになった。これで、ようやく考えることに専念できると思った。
出来たんですか?
うん・・・。役所の仕事の基本は、ドキュメンテーションだ。はじめは手書きだった。筆記用具を集め、いろいろ試した。例文集を読んで勉強し、仮想の議事録を書いてみたりもした。そのうち、ワープロが出てきてね。ほどなく、コンピュータの時代になった。熱中したよ。
俺もです。面白い時代でした。
そうだね、沸き立っていたから。渦中に居た時は、書籍や雑誌を買ったりして、いろいろ試していただけだけど、過ぎ去ってみると、沸き立っていたと分かる。40代と、まだ若かったせいかとも思うけど、違うね。過ぎ去ったと言うか、別のフェーズに移った。僕も年老いたよ。ウインドウズ、リナックス、面白かったなあ。
自然な、時の流れではないでしょうか?
自然ではありません。僕が年老いたのは自然な時の流れだろうが、沸き立つ時を造ったのは人の経済活動ですよ。
はい。
考えることに専念できたのかって話だったね。そう、だんだん意味がわからなくなっちゃって。自我が崩壊していくんだ。
そうですか・・・。
それでも、なんとか正気を保っていた。
}
4
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(梅雨の合間、好天の日、西公園のベンチに座る老人が二人。西公園とエムだ。)
エム、今日は良い天気だな。
はい、そうですね。気温が上がりそうです。
うん、暖かいのはありがたい。
この数日、第三公園のことを考えていました。
そうかね。人はな、自分の見た夢に裏切られるものだ。第三公園も俺もだ。どうにもならない罠に囚われる。
そうですか・・・第三公演は何歳の時に家出したんでしょうか?
78か79だったかなあ。
}
{
まあな、どうにもならないんだよ。それが人生だ。若い頃に見た幻に裏切られ、年老いて、なお夢を見る。そういうことなんだろうね。
はぁ・・・。
}
令和5年6月17日