老人の夢と孤独ⅩⅩⅠ
1
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(水曜日、午前中の家事が一段落した妻が声をかける。)
お父さん、今日のお昼、また市役所に連れて行ってくれませんか?
ああ、そうだね。
嬉しいことがありました。
さて、何だろうか?
孫ちゃんの中間テストが返ってきて、5教科485点ですって。
まあ、中一、一学期の中間だから、これからだな。
でも、上々の滑り出しだわ。
うん・・・。
お父さん、5教科で15点しかミスしてないのよ。
まあ、あまり期待してもなあ。
・・・お父さん、嬉しいときは素直に喜ぶものですよ。
}
{
(車で15分ほどの市役所に向かう老夫婦。駐車場に車を止め、地下の食堂に向かう。)
お父さん、何にする?(食券販売機の前で妻が言う。妻の背後に立ち、体を寄せるG。妻の髪の毛が、Gの頬に触れる。)
そうだなあ、から揚げ定食にしよう。
じゃあ、私も同じ物にするわ。
(受付場所で食券を渡し、小型の端末を受け取る。出来上がると音で知らせるものだ。座席に向かう二人。)
母さん、おかずが出来るまでに、フリーサービスのご飯と味噌汁を食べよう。
・・・はい。
食べ過ぎるなよ。おかずが来る前に満腹になる。
はい。(妻の口元が緩む。)
}
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(昼食を終え、家の近くのスーパーでレジ袋2つほどの買い物をし、家に戻る。)
少し値上がりしてる。
そうか?
そうなのよね。・・・でも、大丈夫。家で食べる物は、それほど高くないから。
}
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(自室で机に向かい、PC、タブレットでニュースや動画をチェックしながら喫煙。スマホに着信がある。櫂だった。)
G、少し話したい事があります。
ああ、かまわんよ。どうするかな・・・会って話すかい?
はい。
どこにするかな・・・。
駅近くのファミレスでどうでしょうか?
そうするか、車で迎えに行くよ。
ありがとうございます。明日は実家に居ます。
}
{
(ファミレスの片隅で向かい合う。)
元気そうで安心したよ。難しい話かい?
デビッドの事です。
坊主が何か・・・手に余るのか?
G、あなたに紹介していただいて、彼の家庭教師をしています。
うん、奴の母親に頼まれてな。君が相応しいと思った。
はい・・・。
一人息子が、中学に入って間もなく学校に行かなくなった。家族にとっては大問題だ。
そうですね。でも、一歩外に出れば、何事もなかったように社会は動いている。家の中は地獄なのに。
櫂、何かあったのか?
今、英国数の三教科を教えていますが、数学の進みが早くて、私では力不足だと思いました。
母親は、なんて言ってる?
国語の方にシフトして、続けて欲しいと言われました。
そうか・・・。理科や社会を取り入れてみたらどうだ。コンピュータも。
・・・スマホやタブレットは充分に使いこなしています。情報収集能力は私よりも高いくらい。
あいつ、能力あるんだ。
そう思います。でも、もう16歳ですよ。
そんなになるか、早いもんだ。で、何が足りない?
みんなと同じレールの上を走っていません。多分、戻ることは出来ないでしょう。
戻る必要があるか?
解りません。でも、みんなと同じレールの上を走れば、ご家族は安心するわ。でも彼は、適応する事ができない。
どんな社会であれ、適応出来ない者が一定数居る。たとえそこがユートピアでもな。人は一律じゃねえから。
・・・・・・。
こないだよう、三番目の孫の中間テストが戻ってきてな。五教科485点だったそうだ。
あら、凄い。
まあ、中一だからな。それに、トップには1点足りなかったようだ。
G、良い知らせには、喜ばなければなりません。・・・あなたには精神的な欠陥があります。
心外だな。
ご自分で解りませんか?
そう言われてもなあ・・・。
あなたは、なぜ身内の良い知らせを素直に喜べないの?
・・・・・・。
すみません。言葉がすぎました。
良いよ。気にしてねえから・・・。
}
{
櫂、坊主に必要なのはコーチだ。
コーチって・・・部活のような?私には経験がありません。
良いんだよ、櫂。結局、対話だからなあ。
}
2
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櫂、俺の考えを言っても良いか?
はい。
人にとって大切なものはなんだ?
夢とか希望ですか?
それもあるだろうが・・・やる気だよ。やる気の無い人間は、いずれ退屈な人生を送るようになる。デビッドは、その紙一重のところで生きている。君の助けが必要だ。
そうでしょうか・・・。
}
{
あいつが16歳なあ。高校2年ということか?
順調であったら、そういうことになります。エコーやスワンの同級生だったかもしれません。
屋根裏部屋に引き篭もって3年か・・・。時の流れは早いな。
そうですね。(櫂が顔を曇らせる。)
東公園であいつに会ったことが昨日のようだ。
どんな子でしたか?
細っこいボーイだった。驚いたよ・・・。
・・・・・・。
マディが強引に3本マッチに誘ってな、2本取られた。それで、俺に連絡してきた。
彼とマッチしたんですか?
いや、断られた。負けるマッチはしたくないってな。
やってみなければ分からないのに?
ハハハ、君はシンプルで良い。やっていれば、俺が3本取ったよ。
・・・老人は過去の栄光を過大評価するようですからね。
過去の栄光か、俺にはそんなものねえよ。振り返ってみれば、つまらない人生だった。
G、そんなことを言ってはいけません。奥様と過ごした時間もつまらなかったんですか?
そういう意味じゃない。
なら、どういう意味?
・・・・・・。
}
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櫂、そろそろ行こうか?長居が過ぎると、気が引ける。
はい。今日は、ありがとうございました。
いや、たいして役には立てなかったようだ。
(Gの車に乗り込む二人。)
実家で良いか?
はい・・・ジョシュア、セミナーに行っているので。
ああそうか、今年は何処だっけ?
長野県です。3泊で・・・。
それは、寂しいことだな。
プチ別居みたい・・・。
ハハハ、面白いことを言う。
車で行ったので、心配です。
まあ、大丈夫だろう。
}
3
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(櫂と別れ、自宅に帰るG。リビングに行くと、隅に置かれたライティング・デスクの前で、老妻が息子とネット通話をしている。二階の自室に行き、ズボンを履き替える。一服して、階下に降りる。)
お帰りなさい、お父さん。ごめんね、息子と話していたの。
うん・・・。
また本社に来る時、千葉で会えないかと思ってね。
それは楽しみだな。
ええ、待ち遠しいわ・・・若いお嬢さんとのデイトはどうでしたか?
まあ、それなりに。
それなりに楽しかった?
いやあ、どうかな・・・チクチク刺されたし。
お父さん、ビール飲もうか?
良いね。車だったから我慢してたんだ。
(ビールからウヰスキーのロックを飲み始めるG。)
母さん、1回目の妊娠も2回目も、俺を誘導したよな?
さあ、何のことでしょうか。覚えがありません。
そうか、じゃあ俺の思い違いだったのだろう。・・・俺さあ、子や孫を殺す自分を想像する事があるんだ。
恐ろしい事ですね。でも、実行はしないでしょ?
もちろん実行はしないが、そういう想像をする自分が怖くなるんだ。
}
{
・・・なあ母さん、人は死ぬ間際の数分間が満足できるなら幸せなのかな?
そうかもしれませんね。でも、死ぬ間際の数分間を認識できるでしょうか?難しいのでは?
俺、フィーリングで生きるタイプだから、出来るんじゃね。
ご気楽ですね。・・・私は来世について考えたことはありません。正しく生きたいと思ってきました。思い通りに行かないこともあって、辛い思いもしてきたけど、最後のダンスは、お父さんと踊ることにしたの。お陰で人並みの人生を送ることが出来たわ。
人並みの人生が、正しい人生なのか?
私、難しいことは解らないけど、大きな間違いはしなかった。
}
令和6年7月4日